第34話 エスメラルダの逡巡

「近々、ここに界獣が現れるわ」


 何気なく告げられたエスメラルダの一言に、リリアーヌら三人は絶句した。

 エカチェリーナに至っては一瞬、意識さえ飛びかけた。


 界獣は人類が認識している三界――人界(または現世)、天界、魔界以外の世界から現れる未知の獣のことを指す。

 原因不明、詳細不明、目的不明の大災厄。

 時折人界に現れては破壊の限りを尽くす、強大で異形の怪物のことである。

 界獣は地上最強生物である龍族でさえ、容易く屠る強さを持つ。

 勇者や大賢者、大魔導師、聖女などの人類最強個体と大兵力を揃えていても、追い払うのが限界。

 界獣はただ存在するだけで、小動物がその場で死に至るほどの恐怖を撒き散らす。

 その巨体がひとたび暴れれば、地は裂け、海は穢れ、空は瘴気で満たされる。


 界獣が勝手に消えなければ、人類などとっくに滅びている。


 その脅威が近々現れる。


 叫びそうな衝動を無理矢理抑えながら、女騎士のアイダは問い掛けた。


「か、界獣って、ここにか? 本国とか地獄峠とかじゃなくて!?」

「ここよ」

「それで……一人でも多く、戦力になる人材が欲しいってこと」

「そうよ」

「だったら、そのお告げをユードリッド男爵に今すぐ伝えるべきだ。あの若侍は確かに味方に出来れば心強いが、今はもう神州国とは戦争をしているんだ。味方になるわけがない。むしろ騎士団が戦闘準備をするために引き返すべきだ」

「それじゃ……駄目なのよ」


 エスメラルダが馬を並足まで落とすと、護衛のリリアーヌらも同じ速度に落とした。

 後続の騎兵たちは彼女たちエスメラルダら四人を抜き去り、ラーフェンたちからは完全に置いて行かれた。

 ラーフェンたちとしては一刻も早く、神州国軍を襲撃してエルフたちを一網打尽にしたいのだ。

 協力しないエスメラルダたちを待つ理由など、もはや無い。

 弱兵である神州国軍程度ならば、我々だけで十分だとラーフェンらは思っていた。


 エスメラルダもラーフェンらを完全に無視して話し合いを始める。


「神様に言われたの。と協力して倒せと。私一人では倒せないほどの界獣が具現するって忠告だったわ」

「新しい仲間……確かにその条件ならば、茨十字騎士団以外の人材だよな……確かに戦力的に有り得るのは、あの若侍だけど。だけど、それは本当なのか?」

「ええ、本当よ。六年振りに神様を見たけど、昔と全く変わらなかった。ちょっと軽薄そうで、信用しにくい神様だけどね」


 苦笑いを浮かべるエスメラルダを、エカチェリーナは信じられないという表情で見つめた。

 神を信じて生きており、その神から奇跡を――魔術の助力を受けているエカチェリーナとしては、エスメラルダの口ぶりと言葉は信じられないほど不敬な態度だった。

 それらを微塵も感じさせずに、エカチェリーナは意見を述べる。


「今からでも遅くはないわ。神州国との休戦協定を結ぶべきよ」

「だったら、ラーフェンたちを抑えないと」

「今さら無駄よ。言うことを聞かせるならユードリッド男爵の命令の方がいい。それよりも戻って迎撃準備をすべきよ。茨十字騎士団の主力はまだ、あの山城にいる」

「休戦協定は何を以て結ぶ? 俺が神州国なら、界獣の後に攻勢を掛ける」

「エルフの女王さえ捕らえれば帝国は止まる。だけど、彼らが無条件で渡すと思う?」

「無理だろ。問答無用で城主をぶっ殺してんだ。この程度で止まるわけない」


 四人の女たちの足は完全に止まり、話し合う問題の結論は出ない。

 これ以上は時間の無駄と割り切ったリリアーヌが大声で場を取り仕切った


「話し合い終了! エスメラルダ、貴女が言う神のお告げは外れないのよね?」

「外れるわけないよ。だって、神様だもん」

「じゃあ、これからは何があっても絶対四人一緒で行動するわよ」


 リリアーヌの一言にアイダとエカチェリーナは強く頷き、エスメラルダはきょとんとした。


「リリアーヌ、二手に分かれて行かないの?」

「馬鹿なこと言わないで。私たちは貴女を守るために、こんな辺境にまで来ているの。界獣が現れるなら、私たちは貴女から離れないわよ」

「……だけど」

「いいからっ!! エスメラルダも神様からお告げを受けたなら正直に言いなさい!」

「ご……ごめん」

「さっさと城に戻るわよ!」


 リリアーヌの指示でラーフェンたちに背を向けたエスメラルダたちだったが、アイダが海を見て、悲鳴に似た声を上げた。


「あの帆船……神州国のだ!」

「え!?」


 最悪の状況を生起させる報告に、リリアーヌは血の気を失った。


(もう、駄目だ……)


 独断専行で駆け出したラーフェンたち前衛隊も、入港しようとしている帆船は見えたはずだ。

 このまま入港をさせたら、目の前で獲物が逃げてしまうのだ。

 ラーフェンたちが手を出さないわけがない。

 こうなったら、もう力尽くでなければ、彼らは止まらない。

 

「――――前衛隊を止める!」


 この状況で最も早く動き出したのは聖騎士エスメラルダ・パラ・エストラーダ。

 彼女が馬を走らせると、他の三人も即座に後を追った。


 そして、その数分後――――。

 これからの戦いを暗示するように雨が降り出した。

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