第21話 私利私欲

 藤亜十兵衛が傍にいない。

 その事実は、ただそれだけで蘭の心を掻き乱した。

 まして、戦場に立つのは今日この日が初めて。

 下忍として諜報や符術、薬学の知識は詰め込まれたが、合戦での最善の動きややらなければならない事など分からない。


「嬢ちゃん! 早く先頭に何かぶちかましてくれ!」

「な、なにを!?」

「何でもいいから!! ……そうか、戦は今日が初めてか?」


 焦りで混乱し始めた蘭を見て、今更気付いたように甚八は聞いた。

 返事もせずに涙目で激しく頷く少女を見てから敵を見た。

 騎馬隊の先には離脱中の足軽が二名見えたが、あれはもう間に合わない。

 甚八は即座に、追いつかれるであろう足軽を見捨てた。

 ごく僅かな術士の符術は、最大限の効果を狙うべきである。


 だから最善の機会が過ぎ去った以上、次善の策で物事を推し進めしかない。


「泥濘の術を曲がり角の終わったところに仕掛けろ! それが終わったら逃げるぞ!」


 蘭は最善の判断が何か分からなくてまごついていただけであって、別に動けなくなったわけではない。

 素早く、細い腰の革帯から呪符を掴むと、形の良い桜色の唇から言の葉を紡ぐ。


「土よ! 岩よ! 石よ! 形を失い、粉となれ! 水とまみれて、泥となれ! 獲物を逃さぬ、底なしの沼と化せ!」


 符がまるで生き物のように蘭の手から飛ぶように抜け出ると、それは少女の視線の先にある、鋭角な曲がり角の奥―――つまり、敵からは完全な死角となる地点に舞い落ちた。

 即座に術は効果を発揮し、夏の日差しで乾いていた山道は瞬く間に、直径三メートルほどの湿った泥へと姿を変えた。

 音は立たず、光は煌めかず、風も吹かない。

 だが、その見た目の地味さとは裏腹に、仕掛けた術の効果は劇的だった。

 泥濘が出来上がる前に二~三騎ほど駆け抜けてしまったが、出来上がった瞬間、深く沈んだ馬の脚は自重とその速度で盛大な音を立てて、四本纏めて砕け折れた。

 馬の悲痛ないななきが木霊するが、救う手立てなど無い。

 騎乗していた騎士たちは運が良ければ投げ出され、運が無い者は人馬もろとも底なし沼へと助けを呼ぶ間もなく、次々と飲み込まれていく。


「逃げるぞ! 嬢ちゃん!」

「でも、あの足軽さんが!」


 蘭の腕を掴み、その場から逃げ出そうとする甚八に少女は抗った。


「あれは間に合わん! このままだと儂らがああなる!」

「――で、でも! 私の術なら」

「蘭! 甚八さんの言う通りだ! 逃げるぞ!」


 不意に背後から聞こえた声に振り向くと、数メートル離れた先に藤亜十兵衛がいた。

 その走りは獣の疾走と形容すべき速度で、少年は泣き出しそうな蘭が何かを言う前に彼女の前に辿り着いた。


「十兵衛!」

「ぎゃあああああ!!!!」


 少女の声を遮るように響き渡った悲鳴。

 蘭の背後では茨十時騎士団の騎士が長い馬上槍で、足軽を背後から突き刺すとそのまま高々と穂先を上げた。

 片手一つで百舌鳥の餌の如く死体を掲げる力。

 尋常ならざる、その腕力。

 間違いなく、あの騎兵は敵の超人である。

 藤亜は蘭の細い腰に左腕を回すと、問答無用で抱えた。


「蘭、口を閉じてろ! 舌噛むなよ!」

「う、うん!」

「甚八さん、一騎削ってくれ!」

「どこで片付ける!?」


 蘭が仕掛けた泥濘の術をすり抜けたのは三騎。

 甚八はその最後尾を狙うことを決断。


「第四防衛線の拒馬きょばの前でる!」


 超人は超人で仕留める。

 そうでなければ、圧倒的人数か火力で仕留める。

 戦場での常道セオリーはどちらかだ。

 そして、藤亜十兵衛という少年は前者を選んだ。


「分かった! 若は先に行って下さい!」

「頼みました! 死なないで下さいよ!」


 ここから甚八は実質的な殿しんがりを務めることになるのだ。


「逃げるのはお任せを!」


 藤亜が駆け出し、甚八は引き金を引いた。

 最後尾の騎兵の頭を銃弾が撃ち抜いた。

 同時にもう一人の足軽も、先頭の騎兵に背後から馬上槍で串刺しにされて絶命した。


 蘭を抱えたまま、細い獣道を全力で走る藤亜。

 かいぬしを追う魔狼のポチ

 道は曲がりくねっているとはいえ、馬を走らせる敵騎兵。

 第四防衛線での敵騎士と部下の接敵に間に合わないことを知りつつも、少年は鳴り子山の斜面を走り続けた。




 ラーフェンの突撃から数分後。

 鳴り子城へ向けて、茨十時騎士団副団長ユードリッド男爵が悠々と本隊を率いて前進していた。

 狭い山道を埋め尽くす騎兵と槍兵たちが隊列を組み、一糸乱れぬ歩調で進む。

 前から順に重装甲騎兵、装甲擲弾歩兵、槍兵、弓兵と続き、最後尾には術士隊。

 現代的に言うならば諸職種連合軍。それも遠征可能な多くの超人を集めた一団である。

 揺らぐことがない勝利を確信しながら、彼らは進んでいた。


 その隊列の真ん中ほどにいた白銀の鎧を着た美少女、聖騎士エスメラルダ・パラ・エストラーダが、馬の脇腹に軽く蹴りを入れて副団長の脇へと移動して声を掛けた。


「ユードリッド男爵、私が前に出なくてもよろしいのですか?」


 エスメラルダの魔術は下手な魔術師など相手にならない。魔術師より魔道に精通した魔導師でも、相当の腕前がなければ比較すること自体が彼女に対する愚弄に等しい。


「攻城戦では支援魔法を頼みたい。だから、今は休んでいて貰って結構だ」


 ユードリッド男爵はエスメラルダと比べれば、年齢は二倍ほど上だが、彼女は部下ではない。

 その上、皇帝陛下のお気に入りである。礼を失するのは得策ではなかった。


「今回は短期決着を狙って、敵の城には煉獄陣を放つつもりですが」


 エスメラルダが使える、最大火力の面制圧火炎系攻撃魔術。詠唱に少々時間は掛かるが、一度発動してしまえば、十数メートル四方を岩をも溶かす超高温で延々と焼き尽くす術だ。素早い敵には当たりにくいが、巨躯の魔獣や界獣には絶大な威力を誇る。無論、動かない建造物に向けて放てば消し炭しか残らない。城門などを破るにはちょうど良かった。


「それは最後の手段にしておいて貰いたい」

「昨日とは……作戦変更ですか?」


 先日オルデガルド帝国軍が大勝した理由の一つに、エスメラルダが連打した大火力魔術があった。下手な大砲より高威力で、なおかつ狙い澄まして放つのだ。狙われた方はたまったものではない。


「エルフを一人でも多く連れ帰える。男でも女でも。それが団長の命令です」

「そうですか……」


 エスメラルダの耳に、犯される女エルフたちの嗚咽と悲鳴が蘇る。


「多少の死者は戦である以上、どうしても出るもの。それは納得して頂かなくてはいけません」


 初夏の日差しの中、底冷えするような男爵の声音。

 背筋に走る悪寒に、エスメラルダはまじまじと男爵の顔を見た。

 彼は何もかも力尽くで解決をしたがる悪癖持ちだが、ある意味単純で陰険なところがない人物だった……はずだが……。

 芽生えた嫌な感覚がどうしても消えない。


「……ユードリッド男爵……」


 エスメラルダの声に応えることなく、ユードリッド男爵は後方に目を向けた。

 その視線の先には見晴らしの良い小高い丘があり、そこには、今ここにいない茨十時騎士団団長のオスカー侯爵が高みの見物と洒落込んでいる場所だった。


「勝負とは水もの。予想外のことが起こる……きっと団長も御存知でしょう」


 エスメラルダは禍々しく嗤う副団長にこれ以上声を掛けることなく離れた。

 無言で元の場所に戻ると、エスメラルダの両脇を二人の騎兵が流れるように固めた。

 一人は護衛として派遣された第一近衛騎士団の女騎士アイダ。

 もう一人は正道教会から派遣された女司祭エカチェリーナ。

 二人とも遠距離攻撃を警戒して盾を持ち、エカチェリーナまで鎖帷子を着込む念の入れようである。


「どうしたの、エスメラルダ」


 アイダが気安く声を掛けながらも、その目は山から矢が降ってこないか警戒している。


「嫌な予感がする」

「ユードリッド男爵からですか?」


 エカチェリーナが微かに首を傾げると、その拍子に慣れない鉄兜がずれて、慌てて右手で押さえた。


「うん」

「では、エスメラルダはそれを信じて行動して下さい」

「ただの勘だよ」

「それは知っています。ですが、それは貴女だけの天啓かもしれませんので」

「エカチェリーナ、さすがに大げさすぎるよ」

「リリアーヌが戻ってきたよ」


 アイダの一声で、エスメラルダとエカチェリーナも仲間を見つけた。

 疲れ果てたように道端に腰を下ろしている斥候兵の中に、オルデガルド帝国陸軍正規兵であるリリアーヌがいた。

 エスメラルダたちは隊列から離れ、斥候兵たちのところで馬を止める。

 無言で立ち上がったリリアーヌはエカチェリーナの馬に括り付けていた合成弓と矢筒を身に付け、先ほどまで使っていた弩を括り付ける。


「リリアーヌ、貴女が弓を使わないと駄目な相手がいるの?」


 近衛の女騎士アイダが警戒心を隠さずに聞く。

 リリアーヌは軍で専門教育を受けた斥候兵だ。弩で行う狙撃の腕前はかなりのものだが、それよりも威力は劣るが連射性で勝る合成弓を選ぶということは、彼女が一撃で仕留められない敵がいることになる。


「超人の少年兵が一人いるわ。あれは……」


 仕留め損ねた時の様子を思い出しながら、慎重に言葉を選んだ。

 あれは……少し、いや、かなり危険と感じた。

 そこまで考えて、リリアーヌは気持ちを改めた。

 悔しくても正直に言わないと駄目だ。

 幾度となく単独で敵勢力圏に侵入しては離脱する彼女でさえ、危険を感じさせる少年。

 単純に勝てないと思わされてしまった少年兵。

 未熟な少年兵相手に屈辱ではあるが、仲間には伝えておかなくては駄目だ。


「あれは相当に殺し慣れてるか、修羅場を踏んでる。死臭がしそうな危険な奴よ」

「そんなに? 少年兵なら子供でしょ?」

「体つきは青年に近いかな。だけど、あれが近づくだけで獣か何かに狙われた気分だったわ。赤い鎧の侍よりは未熟だと思うけど、野獣のような気配で……強い弱いの問題じゃない。あれだけは警戒しないと駄目」

「見た目は?」

「見窄らしい感じだけど、見れば誰だって嫌でも分かるわ。見た限り、敵で警戒するのは若侍とあの少年兵だけよ」


 話し込みそうになるアイダとリリアーヌの会話に、エカチェリーナが割り込んだ。


「これ以上は術士隊より遅くなるわ。戻りましょう」

「アイダ、相乗りさせて」

「OK」

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