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    死に至る意志への応援コメント

    「僕は死にたいんだ。もう死のうと思う。」

    閉館寸前の図書館で、作者本人である主人公と、20年来の付き合いになるという「その人」(作中では明記していないがたぶん男性)との対話が始まる。

    主人公に対する「その人」の態度は、あくまでクールだ。しかし、クールを装っているだけかもしれない。本を返却するのを忘れて帰るあたりに、それが読みとれる。

    主人公のこの上なく不吉な宣告に「その人」は何故か、死を思いとどまるよう説得するという一般的な対処の仕方をしない。

    あくまで、主人公が死のうと決意したその原因を突き止めようとしている。

    主な原因は2つあり、1つめは「生きていることに疲れたから」。2つめは「幸せになれる自信がないから」である。「その人」は、この2つ目の理由に焦点を絞る。

    主人公は、この世には幸せになれるエネルギーがあって、そのエネルギーには限りがあるという。彼はなぜか、その力を自分にではなく他人にばかり多く使ってしまうのだ。

    ここで、謎の存在が現れる。幸せになれるエネルギーを、自分や他人のために使おうとするたびにそれをさせまいと、ネガティブな言葉(声)でもって彼の精神を脅し、あの手この手で牽制しようとする存在である。

    この極めて厄介な存在のせいで、彼は徐々に生きるのがしんどくなり、しまいには生きる気力すら失せてしまったのだろう。

    彼が精神的にも肉体的にも相当、追い詰められていたことを思うとあながち、「死」を選択しても無理はない、とまで思ってしまう。

    対話が終わりに近づいた頃、「その人」は主人公のことをオスカー・ワイルドの「幸福な王子」だという。

    なるほど、確かに幸福な王子はツバメに協力させ、自分が身に付けているありったけの宝石を全て他人のために使ってしまい、無残な姿になり果ててしまうのだから彼の生き方と酷似している。

    図書館が閉館し「その人」と離れた後、彼はとぼとぼと自らの行き先(おそらくは死に場所、ひいてはあの世であろう)まで歩いて行くのだった...

    最後の最後で、自分自身のためにエネルギーを使うわけだが、それが「自殺」のためだという事実に読者である僕は、なんともいえずやり切れなくなる。

    つい最近Spoonというアプリで知り合ったばかりの浅い間柄だが、シュガーさんのラジオ配信に参加してわかったその碩学っぷりと文学的素質を心から惜しむからだ。

    もちろん、これらのスキルや才能がないとしても、シュガーさんの飾り気のないあっさりとした性格や、優しさや誠実さに好感を抱いているのは僕だけではあるまい。



    以上、お粗末な感想文でした。長くなっちゃってごめん。小林秀雄みたいな文章を書きたかったんだけどなー。無理してすぐに感想文の感想、書かなくていいからね?

    作者からの返信

    ありがとうございます。

    作品の感想を書いてもらった嬉しさと、人柄に触れてもらったことに対する照れがあり、気恥しさとありがたさの混じった気持ちです。

    今でこそ少し気楽に生きているけれど、当時は本当に身も心も強ばらせて生きていたように思います。