九十九以下合

桂花陳酒

創作百合#001

 1

 今の私は、以前の私とは別人なんじゃないかと思う。何か、過去に忘れ物をしてしまったかのような妙な喪失感を感じる。今までのある一点を境に、大切な何かを忘れてしまったんじゃないかと不安になる。

 人間の全身細胞は6年くらいで入れ替わると言うけれど、それが今の私の感傷と関係があるかなんて分からない。


 私は、あまり夢を見ることがない―見たとしても起きるまでに忘れてしまう―のだが、その日は珍しく夢を見て、内容を覚えていた。


 私が住んでいる街の景色。けれど、ずっと見ていると段々とぼやけてくる。そうして私は、この光景が夢であると自覚した。明晰夢と言う奴か。

 この世界が私の夢である、そう自覚すると、少しずつ景色は明瞭になってくる。小学生の頃よく遊んでいた公園だった。けれども、現実と違って何か異質なものを感じる。街を行く人の顔はまだぼやけていて分からない。

 私が夢の中にぼうっと立っていると、向こうから他の人とは違って、はっきりとした人影が私の前にやって来て、私に話しかけてきた。


「君の夢の中って本当につまらないね。退屈だから、早く出しておくれよ」


 私と同じくらいの少女だった。その顔の影を見ていると段々とはっきりしてくる。

 目の前の人影は、咲 だった。小学生の頃からの友達で、中学に上がった今では同じ学校にこそ通っているものの、クラスが別れてしまったため自然と疎遠になっていた。

 その 咲 が、私の記憶の中の姿で現れた。


「やり方が分からない」


 私は答えた。明晰夢の中では、自分の思うような事ができると言うけれど、そのやり方が分からないのではどうしようもない。


「人間の顔はみんなぼやけてよく分からないし、本を読もうと思ったら活字がめちゃくちゃ。街の外に出ようにも、空白で何もない。どんな人生送ってきたら、こんな風になるのかねぇ」


罵られる。本物の彼女はこんな性格だったか、よく思い出せない。


「そんなに退屈なら、話しでもしない? 」


 罪悪感のようなものが湧いてきたので、代替案を出して彼女の機嫌を取る。


「そうそう、君とは最近話してなかったからね。色々と言いたいこともあるんだけど……」

「何? 」

「いや、もう時間みたいだ。現実の君が目覚める」


 頭痛がして瞼が重くなってくる。彼女の言葉など聞いていられないほどに、猛烈な眠気を感じる。

 私はその場に倒れ込んで、意識を深い所へ沈めた。


 と、言う夢を見て私は目覚めた。


✳︎


 その日の朝、偶然にも登校中に 咲 と出会った。今日の夢は予知夢か何かだったのかと思う。


「おはよう。久しぶり」

「うん。おはよ。部活は? 」

「今日は朝練がないから。ゆっくり出てきた。よかったら、一緒に行こう? 」

「うん」

 私の記憶では、彼女はバスケットボール部に入っていたはずだ。それに対して私の方は無所属。私達が疎遠になった理由はそういう意識の所にあるのだと思った。


「最近どう? 」

「どうって言われても。別に、普通? 」

「そうだよね」

「うん」

「今日、寝癖ついてるかも」

「え」

「違う違う、私の方」

「なんだ。自分に寝癖ついてるかと思った」


 そんな他愛もない話が20分ほど続いた。気がつくといつの間にか、学校の正門前まで来ていた。彼女とは、一度下駄箱に靴を履き替える時に別れて、また一緒に教室の前まで来て、また別れた。

 別れる時、彼女は昔と変わらない笑みを浮かべて、私に手を振った。

「また今度ね」

「うん」


 その「また今度」はいつになるだろうか。私は今までの会話の一部始終を思い出しながら、席についた。


2


「やあ、昨日ぶり。それとも、今日と言うべきかな? 別に、どっちでも良いんだけど」

 また、夢の中で彼女に会った。昨日とは違って制服を着ている。それに背景もいつも登校中に通る道だ。彼女についての記憶が更新されたからだろうか。直前の記憶に強く影響されるようだ。


「貴方って、何なの? 」


「さあ。私は 咲 でもあるし、君自身でもある。まぁ、夢の中のことなんて気にするだけ無駄だと私は思うけどね。夢なんて脳細胞が見せる幻覚に過ぎないんだから」


 確かにそうだが、私には今、彼女とこうして夢の中で話していることに何か意味があるかのように思えてならなかった。


「今日、貴方に……いや、現実の 咲 と会ったのは貴方のせい? 」


「それは、全くの偶然だと思うけどね。いやぁ、不思議なこともあるもんだ」


 とぼけるように、演技じみた調子で彼女は答える。

 私としては、夢の中でこんなにも自我のある存在が話しかけてくる方が不思議だ。


「それじゃあ、今日は何の話をしようか。思い出話? それとも、恋の話でもしてみたりなんて……」


 立ち眩みがして、こめかみを二本指で押さえる。昨日と同じように、耐え難い程の頭痛と眠気がやって来る。


「君はまだ、この夢の空間に慣れてないみたいだ。君が慣れたら、もっとお話しできるよ。それまで私は待ってるから」


 意識を失う私が最後に視界の端に捉えたのは、笑顔で手を振る彼女の姿だった。


✳︎


 中学生になって、私の行動範囲というのは広がった。時には、休日に一人で気晴らしに一駅隣の商業施設へ行っては色々な店の中を見るだけ見た後、甘い物を買って、それを食べて帰ることもあった。

 だから、友人を連れてその商業施設へ一緒に行くというのは、私にとって未知のことであった。


「公園じゃなくてこういう所で遊ぶのって、なんか大人っぽいね」


 隣で 咲 が言った。

 どうしてこんなことになったのかはよく覚えていない。お互いに、携帯電話を持ったという話題から、連絡先を交換しようという流れになり、そこでのやり取りからこうなったはずだが。

 あれから、私達はたまに登下校を共にしている。あの夢を見てから、彼女と会う機会が増えた。そこに私はなんらかの因果を見いださずにはいられなかった。

 夢の中の彼女にそのことをいくら問いかけてもはぐらかすばかりで、彼女はまともに答えようとしなかった。


「ねぇ、最近さ、夢とかって見る? 」


 この機会に、私は本物の彼女の方へ問いかけてみた。


「なんか、唐突だね。んー? 最近は特にこれといって夢なんて見てないんだけど……それがどうかした? 」


「いや、別に、なんというか」


「もしかして、凄く怖い夢でも見たから、聞いて欲しいとかそういうこと? 」


 その後も、彼女は私がなぜそんな問いをしたのかということを知りたがっていたが、「貴方のことを夢で見ました」なんて正直に言えるわけがなかった。なんとかはぐらかして、話題を変えることにした。彼女の方は不服そうだったが。


✳︎


 クレープ屋の前に来た所で、彼女の方から食べようと誘って来たので、私はそれに乗っかる。いつもわ一人で来た時にも、私はこの店でクレープを買う。


「どのクレープにする? 私は苺にするけど」


「じゃあ、チョコバナナにしようかな」


 私は迷うふりをしたが、注文するものはあらかじめ決まっていた。いつも、頼んでいるものだ。


「分かった。君の分も買ってくるね」


 私は彼女に500円玉を渡すと、彼女は自分のお金と一緒にそれを握りしめてクレープの注文に行った。


「はい。チョコバナナね」


「ありがと」


 ベンチに腰かけて待っていると、彼女がクレープを持って帰ってきた。巻かれた生地から果物のはみ出たクレープを二つ持った彼女は、両手に花束を持っているかのように見えた。

 彼女から自分の分を受け取ると、すぐに彼女は苺のクレープに囓りついた。頬にクリームがついたのを、彼女は空いた方の手の人差し指で取ってそれを舐めた。


「座って食べたら? 」


「いいの。ゴミをすぐに捨てに行けるからね。君の分も捨ててきてあげるよ? 」


 それを聞いて、私はなんだか申し訳なくなったので、チョコソースのかかったバナナと生地を飲みこんでから申し出た。


「クレープを買ってきてもらったから。ゴミ捨ては私が行くよ」


「確かに、そっちの方が平等だ。じゃあ、お言葉に甘えて」


 そう言うと、彼女は私の隣に座った。彼女と会話しながら食べたクレープは、一人で来た時に食べたものより、美味しく感じられた。


✳︎


「そういえば、実香って読書が趣味じゃなかったっけ? ほら、いつも公園でみんなが遊んでいるのを見ながら本読んでた」


 本屋の前を通りかかった彼女が、昔の思い出を交えて言った。彼女の言う通り、私はあまり社交的ではなかった。まぁ、それは今も変わらないのだが。


「寄っていくの? 」


「うん。最近は、私も本読むんだ」


 そう言って二人で入店する。すぐ目の前には、話題の本のコーナーがあった。


「これ今、人気だよね。テレビとかでもよく見る。なんとか賞を取ったんだっけ? 」


 私は、その本にはあまり興味が湧かなかった。

 なので、私の領分である文庫本コーナーへと彼女を連れていく。


「あ、このシリーズは最近ドラマ化したやつだ。実香は知ってる? 」


「あー、一話しか見てないや」


 ふと、一冊の本の表紙が目に入る。傘をさした少女が、独特な絵柄で描かれた表紙。私はその表紙の少女と目が合う。その奇妙な絵柄に魅入って、私は小説を手に取る。


「これ、読もうかな」


「おー。面白そう。表紙もなんだか芸術的。そうだ。ねぇ、それ、私がプレゼントしようか? 」


「え」


「その代わり、実香も私の読みたい本を買って交換するの」


 私には、それがあまり意味のある行為とは思えなかったが、せっかくの友人の提案であるので、その通りにした。

 彼女はしばらく、悩んでいたが結局は私と同じ本にした。「貸し借りすればいいのに」と私は言ったが、彼女は「同じだから意味があるの」と答えた。それなら、アクセサリーか何かの方が良かったんじゃないかと私は思った。




「私、自転車で来たから。じゃあここで。またね」


「また」


 商業施設の駐輪場で彼女と別れた後、私は一人で電車に乗った。私の家から商業施設は、自転車で行こうと思えば行ける距離だ。現に、私とさほど家の遠くない彼女は自転車で来た。今日は私も自転車で来ればもう少しだけ彼女と一緒にいれたかもしれないと、一駅の間だけ乗った電車の中で考えた。


3


 彼女から、プレゼントされた小説を読んだ。主人公が無意識と現実の狭間で罪を犯すというものだった。途端に私は怖くなってきた。咲 ―私の夢の中の私は、いつか私の意識を乗っ取るのではないかという、不安に駆られた。体感温度が3度程下がり、震えが止まらなかった。

 私は、眠ることが怖くなった。しかし、そうして自我の喪失に抗っていても、生理現象である睡眠欲には勝てず、私は眠ってしまった。

 その日は夢は見なかった。いや、覚えていなかっただけかもしれないが。


「あの小説読んだ? 」


「読んだ。怖くて眠れなかった」


「 咲 も?私もそうだよ」


 週明けの朝、登校中に彼女と会ってそのまま一緒に登校することになった。

 今日から定期考査の2週間前なので、全ての部活は停止している。

 彼女とあの小説の感想を語りあうことで私は少し気が楽になった。けれども、それは解決ではない。これは小休止であり、私は私の中に住む彼女と向き合う必要がある。私はそう自分に言い聞かせた。



「やあ。また会ったね」


 できることなら、会いたくはなかったが、人間の生活のサイクルに睡眠が組み込まれている限り、彼女と会うのは避けられない気がした。


「なになに、夢の中でも君が寂しくないように、話し相手になってあげようってのに、その目は少し冷た過ぎるんじゃないかな」


 今日、現実の彼女と話していて、気づいたことがある。現実の彼女は私のことを名前で呼ぶが、目の前の彼女の姿をしたやつはそうではない。君呼ばわりだ。


「貴方は 咲 じゃない。何者なの? 」


「本当は君自身も分かっているくせに。私は君自身が作った 咲 の皮だけ被った君自身の意識だよ」


「私は何の目的で、貴方を作ったの? 」


「その答えは私の方の意識には無いかなぁ。でもね。推測はできる。私は君のことを、現実の誰よりも知っているから」


「それは? 」


「そういえば、君は、私のことを疑っているみたいだ。意識を乗っ取られると。それはまぁ、半分くらいは正解で、やろうと思えば私は君と入れ替わることができる。でもそれには、君の方の意識の許可がいる。君の方の意識は私よりも強いからね」


「今は、私が貴方を作った理由を聞いているんだけど。今、そんな形でその疑問に答えて欲しくはなかった」


「まぁまぁ。そして君は知ってるはずだ。少し前に、三年くらい前だったかな。君は、鏡に映った自分の顔を見て、自分は何者かと自分に問いかけていたじゃないか」


「つまり? 」


「きっと、君はね、疲れたんだよ。自分自身を見つけるという行為の果ての無さに。それを、自分じゃない誰かに代わって欲しいと思った。だから、君は自分の代わりを作り出したんじゃないかな。

 君が思っている不安に関しては安心して欲しい。私は、君が今まで経験してきたことを覚えている。私は君のように振る舞うことができる。それに周りの人間は他人の中で起こった、精神の入れ替わりなんて気にしないはずだ。

 あとは、君自身の意思に全てが委ねられている。私という君が作り出した意識を好きに扱ってくれ」


「私は……」


 何か、まだ現実にやり残したことがある。この私自身の意識でやらねばならないことがまだ残っている。それは目の前の、私が作り出した意識の姿と関係がある。


「まだ、いい」


「そっか。残念。せっかく外に出るチャンスだったのに」


 その日の夢からは、いつの間にか目覚めていた。彼女の言う通り、夢を見ることに慣れて来たのかもしれない。


✳︎


 昔から彼女は私と違って明るくて、自分の思ったことをはっきりと言える人だった。そんな彼女のことを、私はまだはっきりとは言えないが好きなのかもしれなかった。

 彼女と、初めて出会ったのは幼稚園の時で、私を遊びに誘ってくれた。

 それから、同じ小学校に入学して、関係は続いた。5年生の時を除いて、私達は同じクラスになった。

 彼女のまわりには、いつも2、3人くらい彼女の友人がいて、よく昼休みになるとその友人達を連れて校庭へ遊びに行っていた。私はそれを教室の窓から見ていた。私も誘われることはあったが、運動にはあまり自信がないので、校庭に出るだけ出て、彼女らが遊んでいる側で突っ立っているだけだった。

 放課後も、彼女は私を誘ってきた。せっかく、誘ってくれたのだから、断っては申し訳ないと感じていたので、私はそれに応じて、昼休みと同じように彼女と友人が遊んでいるのを眺めていた。

 私が、小学五年生であった一年間はそんなことのない孤独の時期であった。自分の世界に閉じこもって、学校に行っても他人と話すことなく一日を終えることが多かった。それにつれて、考え事ばかりするようになった。

 鏡で見た自分の顔に違和感を覚えて、そこから自分は何者なのかをずっと考えていた。いくら考えても私の中でその答えは出なかった。

 そのような氷河期を経て六年生になった私は、また彼女と同じクラスになった。一人で考え込むことに耐えかねた私は、今までとは違って彼女とその友人の輪の中に積極的に入るようにした。

 中学生になってからも、そうするつもりだった。しかし、私はまた独りになってしまった。それは、運命のせいなんかじゃなく私自身に原因があるのだと分かっていた。


4


 月日は流れて、私はなんとなく中学三年生になった。彼女も部活を引退したそうで、またクラスこそ違えど、会う機会は増えた。

 そろそろ受験を考えなければいけない時期になったが、私は別にどこへ行きたいという希望がなかった。

 それを彼女に相談してみた所、彼女も決めかねているみたいだった。そして、二人分の頭で考えた結果、同じ高校を目指すことにした。私達の家からはあまり遠くなく、偏差値もそこそこある。

 とりあえずの目標ができたので、私はまだ私のままでいることにした。



「最近頑張ってるね。ちゃんと睡眠は取れてる? 」


 夢の中で睡眠を取っているか聞かれるなんて、これほどおかしなことはあるだろうか。


「おかげさまで」


 何がおかげさまなのか、発言した私にも分からない。実際、睡眠不足というわけではないし、彼女と夢の中で話した後の寝起きは別に気だるいとか、そんな感じはしない。


「ところで、君は、私のこと好きなの? 」


「うざったらしいけど、嫌いじゃない。仮にも私の一部だってことは自覚してるし」


「違う違う。本物の私の方。好きなんでしょう? 違う? 」


「そうかもね」


 自分でも驚く程冷静だった。普通、こうやって心の内を当てられた時はもっと動揺するものではないのか。


「へぇ。じゃ、私の姿をこうしたのも、そのせいなんだろうね」


「それは分からない」


「おー。夢の中でも、その癖をやるんだ。無意識って恐ろしいねぇ」


 彼女に言われて気がつくと、私は人差し指で髪の毛をくるくるとやっていた。考え込んだ時に私がよくやってしまう癖だ。

 彼女の姿を 咲 にしたのも、無意識のうちに私がやったのだと彼女は言いたそうだった。



✳︎



「38度も熱があるよ。今日は寝ていなさい。明日、治るといいけどね」


 私が高熱を出したのは、修学旅行の前日だった。けれども、私はむしろこの状況を残念に思うどころか、期待していたのかもしれない。

 私の交友範囲は非常に狭く、仲の良い友達という括りに該当する人間は、私のクラスにはいないだろう。そんな中で班や、部屋決めをして、私は空いた枠に突っ込まれただけだった。それではきっと、私にとっても、周りの人にとっても面白くはないだろう。

 一対一で人と接するのは苦手ではないが、それを複数同時にとなると少し難しい。多人数に手間取っている間に、私は周囲から浮いていく。そんな私を繋ぎ止めているのは、 咲 だけだ。彼女とはクラスが違うため、一緒に行動はできない。それではもう、私が旅行へ行く理由が無かった。

 私は、布団を被って目を閉じる。頭が痛くて、思考が鈍ってくる。私が気づかないうちに意識が落ちる。


 夢の中でも、私はベッドに横たわっていた。そんな私の顔を彼女が覗き込んでいた。


「おお、体調を崩したのか。そりゃお大事に」


「それなら寝かせてくれない? 」


「それは無理だ」


「なんで」


「君の方から私に会いに来てるんだから。それとも君は、他人の家に上がっておいて『出てけ』なんて言うのかね」


 私としては、彼女に会いに来たつもりはないが。この夢のことはよく分からない。


「君はね、心の底ではきっと、孤独が嫌いなんだよ。だから、私に会いに来るんでしょう? この寂しがり屋さんめ」


「イマジナリーフレンドみたいなこと? 」


 夢のことが気になって、精神のことについて調べた時に知ったことだ。空想上の友人を作ってしまう。


「まぁ、言ってしまえばそんなものだけど、私達はそんなに単純な関係じゃないでしょう? 」


「分からない」


「素直じゃないね。本当は私と一緒に居たいくせに」


「……」


「図星かな?」


 彼女はニヤリと笑っている。本当に、私のことを見透かしているような気がしてくる。


「どうしたらいいと思う? 私は」


「それは簡単だ。私と遊ぼう」


「絶対に嫌」


私が即答すると、彼女は声を上げて笑う。その笑い方は、どこか現実味を帯びていて、私はそれが夢だと思えなかった。


5


 私の願いは叶って、私達は一緒の高校に合格した。

 クラスも一緒になって、毎日が楽しいと思えた。彼女と共に過ごす時間はとても幸せで、かけがえのないものだった。

 そんな日常に、私はもしかすると不満を抱いていたのかもしれない。


「もっと、私と近づいてみたいって思わないの?」


 ある日、空想の彼女は私にそう言った。


「それは……」


「素直になりなよ。君の気持ちに一番気づいているのは君自身なんだから」


 私は、その誘いに乗った。本能のままに、自分の気持ちに従順に行動した。


✳︎


 いつものように、空想の彼女は夢の中で私を待っていた。


「お帰り。あの後どうだった? 」


 彼女は、私を唆した本人にも関わらず、悪びれる様子もなかった。私は内心で『結果なんて知ってるくせに』と呟いた。


「失敗した。貴方の言うことを聞くべきじゃなかった。一人の友人を失った」

「親愛なる隣人ならここにいるけれどね」


 あまりにも彼女がふざけた様子で、こちらを刺激してくるので、私は彼女を押し倒した。

 途端に、私達がいる場所もいつもの所から、今私が寝ているベッドの上に変わる。


「何、怒ってるの? それは私の態度に対して? それとも現実が君の思い通りにいかないことに対して? どっち? 」


「うるさい。貴方は私の夢の中の人物に過ぎないんだから、黙って私の言う通りにしてれば良いの」


 彼女の服に手をかけて、脱がせる。本物の彼女の裸体を見たことはないから、全て私の想像ということになる。


「こう言うこと、どこで覚えて来たの? いやらしい」


「テレビのドラマ。最近は過激なのばっかやってる」


「へぇ、内容を覚えてるんだったら、こっちのテレビでも流してくれよ。君がいない間は退屈なんだ」


「……、できたら」


「こういうこと、本物の私の方にもしたかった? 」


「……」


 彼女の下着を脱がし終えた所で、自分が今からしようとしていることに、罪悪感を抱き始める。けれど、ここまできて、退くことはできなかった。

 私は、彼女の身体に触れた。本物の彼女には、絶対に触れさせてくれないような場所も触った。彼女は、ドラマの女性のような反応はしなかった。


「私を抱いたところで、それは君自身の自慰行為にしかならないよ。それは君自身が一番わかってるんじゃないの? 」


 私が彼女を触っている時に、彼女が言った言葉だ。けれど、そんな言葉を無視してしまう程に、私は彼女の―私が作り出した虚構の―身体に夢中になっていた。

 いつの間にか、私は目覚めていた。えも言われぬ満足感とそれを上回る罪悪感が私を満たした。  

 最悪な目覚めだ。


 彼女を夢の中で好きにしてから、高校を卒業するまで、彼女とは一言も話さなかった。それは私の、彼女への告白というのが周りにばれたからとか、そういう理由ではない。その点に関しては、彼女は約束を守ってくれた。ただ、私側の意識の問題だった。

 卒業式の時に、一言だけ、言葉を交わした。それは、何でもないただの形式的な挨拶のようなものに過ぎなかった。

 空想の彼女の方はと言うと、こっちも同じく滅多に、合うことはなかった。修学旅行の旅先で「本物の私の裸を見れるチャンスだったのに、惜しかったねぇ」と、高熱を出して皆とは別の部屋で寝ている私の夢に現れたくらいだった。


✳︎


「や。また会ったね。あんな別れで良かったわけ? 今ここで、別れの言葉を言い直しても良いんだよ? 」


「貴方は、ガワだけ被った別人じゃない。そんな下らない冗談はやめて」


「と、まぁこれで君は失恋したってわけだ。君はもっと積極的になればよかったのに。案外、脈ありだったかもよ? 」


「夢の中とはいえ、あんなことしたし、そんな私を彼女が受け入れてくれるわけない。仮に受け入れてくれたとしても、私の方が気まずさに耐えられない」


「じゃあ、今、私と話しているのも気まずいんじゃないの? 」


「本物よりはマシ」


「私がいない間の夢で、あの時のこと思い出してたの、私は知ってるからね。あの件の被害者は本物じゃなくて、こっちの私だからね」


「うるさい。その事についてはもう言わないで」


「後悔してる? 」


「別に、私の夢なんだから好きにしたっていいじゃない。でもその事を誰かに指摘されるのは嫌」


「それはそうだ。まぁ、私は夢を見ないから分からないけど、誰かに夢の中身を喋られるなんてたまったものじゃないだろうね」


「分かってるなら言わないで。そして消えて」


 彼女は、「はいよ」とだけ返事をして消えた。夢の中に私だけが取り残される。


「何それ」


 あまりにも、あっけない終わり方じゃないか。彼女の消失は、私の失恋を如実に表していた。

 私の全てが間違いだったのかと思う程に馬鹿らしくなる。虚しくなる。


「そろそろ起きようかな……」


 私は私を捨てて目覚める。

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