春夜に飛び込む 2 シアとレン 10

楸 茉夕

春夜に飛び込む 2

 シアとレン 10


 目の前を、白いものがふわふわと飛び交っている。

 それをなるべく目で追わないようにしながら、彼はぼんやりと突っ立っていた。この白い何かを、なるべく多く視界に入れるようにと言われている。

 隣では黒服の青年がスマートフォンをのぞき込み、タイマーで時間を計っている。やがて鐘の音が鳴って、青年はタイマーを止めた。

「はいそこまで」

 彼は息をつき、一度目を閉じて開いた。ふわふわと飛んでいた白いものは、もう見えない。

「レン先輩」

「なんだいシアくん」

「なんの意味があるんですかこれ」

「開口一番それかい。相変わらず塩だな君は」

 苦笑いで言いながらレンはスマートフォンをしまい、左腕を伸ばした。

「お疲れ様、詩子うたこ先生」

「ほんと、人使いが荒いんだから」

 ぼやきながらレンの左腕に舞い降りたのは、大きな白い鳥だった。さぎに似ているが、鷺ではないらしい。

 シアは、人使いじゃなく鳥使いではないのかという言葉を飲み込む。最初に引き合わされたとき、鳥の姿を指摘したら、理不尽にも怒られてつつかれた。

 レンがシアのアパートのベランダに落ちてきたとき、聞こえた女性の声は詩子先生のものだったらしい。無論のこと人間ではないし、幽霊でも妖怪でもないという。精霊や妖精に近い存在らしいが、それらの存在を信じてこなかったシアには、今ひとつよくわからない。とりあえず人外の何かなのだろうと思っている。

「シアくんは、今は詩子先生の姿が見えるね?」

「見えます」

「でも、『黒服』を着ていないと見えない」

「はい」

「うん。『黒服』がなくとも詩子先生が見えるようになるのが目下の目標だ」

 レンの言う「黒服」というのは、映像研の討伐隊メンバーに支給されている服のことだ。

 誰が名付けたのか、「霊感増幅布ブースター・クロス」なる、直接的すぎるネーミングの布で作られており、まとうとその名の通り霊感が増幅され、普段見えない、聞こえないものを、感知できるようになる。シアとしては半信半疑だったが、実際に体験してしまったら信じざるを得ない。

 夜に活動することが多いので、布の殆どが黒く染められている。ゆえに、通称を「黒服」という。身につけるアイテムが多ければ多いほど増幅される量も多くなるので、皆大抵スーツで、大きな任務の時は更にトレンチコート、手袋、ポケットチーフなどなど、身につけるものを増やすという。

 必要なだけ重ね着すればいいのではと思ったが、ただ着ればいいというものではないらしい。そのあたりの理屈は、シアにはよくわからない。

 着慣れたものの方がいいだろうと普通のパーカーとパンツを選んだシアは、かなり珍しがられた。

「目標はわかりました。何の意味があるんですか」

「集中力と、見ようとしないで見る力を養うってところかな。白いもやもやが見えただろう」

「見えました。もやもやと言うかふわふわが」

「もう形を識別できるのか。早いね。この分だとすぐに詩子先生が見えるようになるよ」

「態度はよくないけれど逸材ね、たしかに。早く戦力になるといいわね」

 言い置いて詩子先生はどこかへ飛び去っていった。白い姿はすぐに闇に飲まれて見えなくなる。先程のふわふわは詩子先生によるものらしい。

「じゃあ、今夜はもう一段階進もうか。シアくん、垂直跳びは何センチ?」

「ええと……七〇くらいだったかと。去年ですけど」

「おお、すごい。アスリート並みだね」

「ベランダから向かいの民家の屋根に跳んだ人に言われると嫌味にしか聞こえませんけど」

 正直な感想を述べれば、レンは笑いながら片手を左右に振った。

「あれはちゃんと仕掛けがあるんだよ。俺は、素の状態で跳んだら、六〇センチだったかな? 高校時代のだけど」

 言い、レンはつま先でトントンと地面を叩いた。シアは首をかしげる。

「仕掛けって?」

「簡単に言えば、力とか気とか、まあそんなようなものを足に集中して」

「待ってください。『そんなようなもの』の説明を」

 曖昧に流されそうな気配がしたので、シアは口を挟んだ。レンの説明は殆どがふわっとしていて、詳しい説明を求めないとそのまま話が進んでしまう。

「具体的な名前はないんだよ。みんな持ってるけど、認識できる人は少ない。霊力って呼ぶのが一番わかりやすいかな」

「急に安っぽいですね」

「それだけわかりやすいってことさ。続けていいかな」

「どうぞ」

「見えない力が全身を薄く覆っているところを想像して。それを、全部足に集めるイメージ。すると、こう」

 レンは軽く足下を蹴った。それだけで一メートルほど跳び上がる。滞空は出来ないらしく、すぐにすとんと着地した。

「人間離れした動きができるってわけ。応用して、速く走ったり高いところから落ちても平気だったりね」

「なるほど」

 頷き、シアは言われたとおりに実践してみた。目を閉じ、力を両足に集中するイメージを思い浮かべる。そして、

「あっ、ちょっと待っ……」

「え?」

 レンの焦った声が聞こえたが、止めるのが間に合わず、シアは思い切りジャンプをした。

「は?」

 レンのように一メートルほど跳び上がるかと思いきや、一瞬で眼前の風景が足下に飛び去る。

「え? うわ、何!?」

 一瞬の浮遊感で上下がわからなくなり、シアは手足をばたつかせた。落下の恐怖に背筋が凍る。

「目を閉じて! 身体を締めて! 奥歯を噛んで!」

 遙か下から聞こえるレンの声に縋るように従う。

 一瞬だったのだろうが、永遠にも思える時間の後、強い衝撃と共に落下がとまった。恐る恐る目を開けると、レンの顔が間近にある。

「大丈夫かい?」

「……た、ぶん」

 どうやら、レンが落ちるシアを受け止めてくれたらしい。固まったまま小さく頷くと、レンは安堵したように息をつく。

「立てる? 下ろすよ」

 地面に下ろされたが、腰が抜けてしまって立てず、シアはその場に座り込んだ。視線を合わせるためだろう、レンも片膝をつく。

「ごめん、今のは俺が悪かった。力加減から教えないとね」

 曰く、シアは力の殆どを集めて跳んでしまったらしい。

「どこか痛むところはないかい」

「ない、ですけど……先輩こそ、腕は大丈夫なんですか」

「大丈夫。力の集中を応用すると、ビルの五階くらいから落ちてくる米俵を受け止めることもできるわけさ」

「そんなに重くないですよ」

「そう? 米俵って一俵六〇キロくらいだよ」

「あーじゃあ重いです」

 シアは身長体重共に一八歳の平均を上回っている。欲を言えばもう少し身長が欲しいが、そろそろ止まってしまうだろう。

  レンは立ち上がりながら、シアに手を差し伸べる。

「今日はこのくらいにしておこうか。日付が変わりそうだ」

「もうそんな時間ですか」

 明日は土曜日だが、時間を聞いた途端に欠伸が出そうになって、シアは口を閉じた。もう足腰が立たないことはなく、レンの手を借りて立ち上がる。

「一人で練習してもいいですか」

「黒服を着なければ大丈夫だと思うよ。でも、一人の時はジャンプじゃなく指弾しだんくらいにしときな」

 シアが頷くと、頭上から鼓翼こよくが聞こえた。見上げれば、詩子先生が舞い降りてくる。

「レン、任務よ」

「うっそ。今日はもう時間外だよ」

「緊急。今すぐ。ASAP」

「はいはい。―――それじゃあシアくん、俺はここで。おやすみ」

 軽く手を上げ、レンは白い鳥と共に跳び去っていった。あれについていけなければ、「任務」に参加することはできないのだろう。

(……がんばろ)



 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春夜に飛び込む 2 シアとレン 10 楸 茉夕 @nell_nell

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ