第316話 オアシス

 不意を突かれた彼女は一瞬惚けたかと思うと、目を丸くして大慌てで飛びついて来た。


「うぎゃー! ダメダメダメダメ、見ちゃダメーーー!」

「うわっ?!」


 奥寺さんの見事なタックルを食らった俺は、咄嗟に彼女を受け止めたものの、勢い余って諸共後ろに倒れ込んでしまう。

先日も同じようなことがあったななどと思いつつ、左腕で胸に抱えた彼女と右手に持ったスマホを見れば、両者とも何とか無事だったようだ。


「奥寺さん、大丈夫? どこか痛めてない?」

「うー、それよりもスマホ返してー」


 体の心配に先んじて、必死になって手を伸ばす奥寺さん。

俺はその様子が何とも微笑ましくて、スマホを渡しながら自然と笑みを浮かべていた。


「くすっ、了解、はいどうぞ。」


 奥寺さんはスマホを受け取ると、俺の胸に顔を伏せて言葉少なにポツリと呟く。

どうやら彼女はハッチャケキャラから通常モードへ移行しているようだ。


「見た、よね…」

「うん、それ、さっきの試合だよね。」


 男子バレーの決勝戦で、俺は優勝を決める1打を放っていた。

あれは多分その時の画像だろう。

奥寺さんは俺の返事を聞いてぷるっと身じろぎしたかと思うと、黙り込んでしまった。

 そのまま暫く様子を見ていると、やがて彼女は小さな声で問うてきた。


「…怒って、ない?」

「何のこと?」

「隠し撮り、したから…」

「ううん、全然、凄く綺麗に撮れてて驚いたよ。」


 真顔でボールを打ち込む自分の姿が気恥ずかしくはあるものの、怒気や嫌悪感を抱くことはないし、寧ろ決定的瞬間を逃さず撮影できていることに感心している。

その他にはどのようなシーンが切り取られているのだろうかと、俄かに興味が湧いて来るほどだ。


「他にも撮ってる画像はあるの?」

「うん…」

「見せてもらって良い?」

「うん…」

「その前に、体を起こそうか。」

「……」

「奥寺さん?」

「このまま…」

「うん?」

「このままが、良い…」


 奥寺さんはそう言うと、体の力を抜いて体重を預けてきた。

床の上で折り重なるのは如何なものかと思いつつも、彼女がその方が良いと言うなら応えることもやぶさかでない。

俺は手持ち無沙汰になった右手を奥寺さんの背中に回し、彼女の体を支えるように包み込んだ。




 奥寺さんのスマホには、球技大会の画像が数え切れないほど収められていた。

そして、その被写体のほとんどが俺だった。


「随分撮ってくれたんだね、ひょっとして、全試合見てくれたの?」

「うん…、最初から、全部…」

「それで昨日、発破をかけてくれたんだ。」

「うん…、本気を、見たかった、から…」

「そっか、期待に応えられたかな。」

「うん…、大満足…」


 思えば彼女はファンクラブ発足メンバーの一人だ。

それを知った時はどのような思惑があるのかと戦々恐々としたものだが、結局あれもこちらの苦手意識がそう思わせていただけなのだ。


 ならばきっと…


「ねえ奥寺さん、一つ聞いて良い?」

「うん…、なに?」

「第2放送室のこと、きみが提案してくれたの?」


 ここを訪れたのは、それを確かめるためだった。

俺の問いかけに奥寺さんはピクリと肩を震わせる。


「どうして…」

「うん?」

「どうして…、分かったの?」


 あの部屋に入った時、直ぐに奥寺さんの顔が思い浮かんだ。

ハッチャケキャラを演じて常に気を張っている彼女が、誰にも気兼ねなく過ごすには打ってつけの場所だと思えた。


「良い隠れ家だよね、あそこならのんびり出来そうだ。」

「うん…、誰も来ない、から、安心…」


 放送室では他の部員と顔を合わせることになる。

たとえ幼馴染の早川部長が居たとしても、気が休まるいとまはないだろう。

そのような奥寺さんにとって、第2放送室はオアシスとも言える場所の筈だ。

彼女はそれほど大切な部屋を俺と清澄姉妹のために提供してくれたのだ。


「御善くん…」

「うん?」

「御善くんは…、来て、OK…」

「そうなの?」

「約束、したから…」


『時々、きみと一緒にのんびりしようかな』

『うん…、のんびりは、楽ちん…』


「…そっか、そうだったね。」


 俺はあの時、奥寺さんの素の笑顔に魅せられ、いつまでもそのままで居てほしいと思った。


「ねえ、奥寺さん。」

「うん…、なに?」

「今から、第2放送室で、のんびりしようか。」


それは、今も変わることはない。


「でも…、良いの? 彼女が…」

「大丈夫、ちゃんと断りを入れて、ここに来たから。」


 俺が左手を差し出すと、奥寺さんは薄らと顔を綻ばせて右手を乗せてくれる。

この笑顔が見られるのなら、俺がこの子のオアシスになろう。

俺は心の底からそう思ったのだった。


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