第300話 相合傘
6月も残すところ1週間となった金曜日、今年梅雨入りしてから初めての本降りの雨の中、俺は1本の傘の下、涼菜と身を寄せ合って登校していた。
生憎の天気にもかかわらず、彼女はウキウキと実に楽しそうに歩いている。
下ろしたてのレインシューズが跳ね上げる水しぶきが、ぱしゃぱしゃと軽やかに舞い踊っていた。
「ゆうくんと相合傘するの久しぶり♪ 雨の日も偶には良いもんだね♫」
「すずとこうして歩くのは2年ぶりか、随分前のような気がするな。」
二人で中学校に通学していた頃は、雨降りの日には決まって相合傘で登下校していた。
それが俺が一足先に進学したために暫しのお預けとなっていたのだから、喜びも一入と言ったところなのだろう。
ただ、残念ながら毎回と言うわけにはいかない。
俺の隣に立ちたいのは、涼菜だけではないのだ。
「ううぅ、ゆうを取られた〜」
「彩菜さん、言い出しっぺが何言ってるんですか、往生際が悪いですよ?」
俺と涼菜から遅れること数歩、呪詛の如く呻いている彩菜を愛花が窘めていた。
今週初めに二人が相合傘の話をしていたのは記憶に新しいところだが、その後の女子たちの話し合いの末、四人が順繰りに俺と傘に収まることが決まった。
そして、その発案者こそが彩菜だったわけだ。
普段は自分が並んで歩いているので、偶には隣を譲っても良いかと思ったらしい。
「ふーんだ、冗談です〜、ただちょっと拗ねてるだけ〜」
「まったくもう、何でも素直に言えば良いってもんじゃないですからね?」
「うえーん、愛花ちゃんが冷たい〜、助けてアデライ〜ン。」
「…私、いつから猫型ロボットになったのでしょう…」
「みんな仲が良いな。」
「くすっ、あたしたちは家族だもん、ゆうくんを中心にした七人の家族、でしょ?」
涼菜はくすくす笑いながら、ギュッと俺の左腕を抱きしめる。
俺は胸の内で本当に中心に居るのは誰なのかを思い浮かべながら、涼菜へ笑顔を向けていた。
「へえ〜、相合傘かぁ、紗代ちゃんが聞いたら羨ましがりそう。」
「恥ずかしがり屋の紗代にはハードルが高いと思いますけどね。」
同じ日の放課後、図書室での勉強会を終えたところで紗枝莉さんから空になった保冷温ポットを返してもらい、その際、彼女に今朝の登校時の様子を話した。
紗枝莉さんが言うとおり、間違いなく紗代は羨ましがるだろう。
しかし、だからと言って、俺と彼女が1つ傘の下で歩くわけにはいかない。
今出来るのは、精々茶化す程度のことだ。
「寧ろ話さない方が良いってこともあるかぁ。」
「紗枝莉さんとなら、いつでも出来ますけど。」
「やめて、紗代ちゃんが拗ねちゃう、あの人、王子さまのことになると直ぐ子供っぽくなっちゃうから。」
「そこがまた可愛いところなんですけどね、さ、帰りましょうか。」
ポットを仕舞って顔を上げれば、皆、既に帰り支度を終えていた。
俺たちは今日の司書当番に見送られながら、揃って図書室を後にした。
皆で談笑しながら昇降口へやって来る。
外を見やれば今朝ほどではないにしても、雨がしとしととアスファルトを濡らしていた。
「あの、お兄さま、お隣、よろしいですか?」
「もちろんだよ、アディー、さ、どうぞ?」
俺が傘を差して笑顔を見せると、アデラインもふわりと微笑みを浮かべて隣に並ぶ。
傘を持つ左腕に寄せた頬は桜色に色づき、しっとりとした空気の中、その表情は静かに幸せを噛みしめているようだ。
「うわぁ、すっごい良い雰囲気、お兄さんもアデラインさんもラブラブだあ。」
「アディー、幸せそう、ホントにゆうくんが大好きなんだね♪」
「あの優しそうな悠樹くんの笑顔、良いなぁ、羨ましいなぁ。」
「由香里はもちっと頑張らなきゃねー、でしょ? 神崎ちゃん?」
「南雲さんはそろそろ本気を出さないと、七人目どころか八人目もヤバいでしょうね。」
「ええっ?! わたし、もう十分本気出してますけどぉ?!」
「なるほどね、幸せのお裾分けってことか、彩菜も良いところあるわね。」
「そんなんじゃないけど、ゆうを独り占めには出来ないからね、ゆうの気持ちもあるし。」
「王子さまの気持ちかぁ、清澄さんが1番なのは間違いないと思うけど。」
「それはそうだよ、ゆうと私は一心同体なんだから。」
「はあ〜、やっぱり彩菜は彩菜ね、前言撤回するわ。」
「ちょっと後ろが賑やかだね、少し足を速めようか。」
「いいえ、それでは折角のひと時が短くなってしまいますので…」
「そっか…、それじゃあ、もう少しゆっくり歩いても良いかな。」
「はい…」
後方の騒がしさを他所に、俺とアデラインは雨音に耳を傾けながら静々と歩を進める。
なるほど、偶にはこのように雨を楽しむのも悪くない。
はたして来週は誰と歩くことになるのだろうか。
今年の梅雨はこれまでとは一味違うものになりそうだ。
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