第173話 入試前日

 稜麗学園高校の入試日前日、俺は学園の最寄駅前のコーヒーショップに居た。

改札口が良く見えるこの店は、電車を利用する際の時間調整や出迎え時の待機場所として格好の位置にあった。


「へー、叔母さんねー」

「それがさぁ、すっごい美人なの。ねぇ、悠樹くん、あの子、なに人?」

「イギリス人、そろそろ来る頃だから、俺は行くね。まりちゃんと由香里さんはどうする?」

「アタシたちも行くよ、由香里、帰ろ。」

「うん、行こっか。」


 出迎えに付き合ってくれていた二人と共に店を出て改札口前に向かうと、ちょうど良いタイミングで電車が到着したようだった。

そして、まもなく俺の待ち人が、駅構内に姿を見せた。


「ここだよ、アディー。」


 俺が合図を送るとアデラインはこちらに気づいて、小振りのキャリーケースを引きながら、いそいそと改札を抜けてきた。


「いらっしゃい、アディー、また会えて嬉しいよ。」

「こんにちは、悠樹さん、わたしもお会いできて嬉しいです。」


 俺が微笑みかけると、アデラインもニコリと笑みを返してくれる。

出会った頃の少し気を張った凛としたものではなく、本来の彼女らしさが薄らと滲んで見える美しくも可憐な笑顔だ。


「長旅だったよね、うちまで20分くらい歩くから、少し休んでいく?」

「ふふ、電車では座れましたし、大丈夫です。皆さんにも早くお会いしたいですから。」

「ん、了解。それじゃ、行こうか。」

「はい。」


 アデラインが持っていたキャリーケースを引き取って空いている左手を差し出すと、彼女は一瞬キョトンとしたけれど、頬をぽわっと桜色に染めながら翠の瞳を細めてスッと右手を乗せてくれた。

俺たちの直ぐ傍では、まりちゃんと由香里さんが、呆然とこちらを眺めていた。




 数日前、美菜さんから、入試の前日から合格発表まで、アデラインを清澄家に宿泊させてはどうかと提案があった。

3月に暮らし始めるための、お試しを兼ねてということらしい。

祖父に連絡したところ、実は彼も同じことを考えていたようで、あらためて彼の方から美菜さんにお願いの連絡があり、今日を迎えていた。


 我が家までの道すがら、アデラインが通う中学校の話をした。

驚いたことに彼女は白蘭女子中学校の生徒、つまりは愛花の1年後輩だった。


「わたしは途中編入しましたから、1年しか通っていないのですけどね。」


 アデラインは前に通っていた中学校でストーカーまがいの行為を複数回受け、転学を余儀なくされていたのだ。

幸いにも転学後は平穏な日々を送れたようなのだが、加害者ではなく、被害者の彼女が日常を変えなくてはならなくなったことに、俺は何ともやるせない気持ちになった。


「そうだったんだね、今はもう、落ち着いてるの?」

「ええ、怖い思いをしなくなりましたし、白蘭には、わたしのように、見た目が外国人の子も複数居ますので、居心地は良かったです。」

「白蘭で上に上がることは、考えなかったんだ。」

「あそこは、お金がかかりますので…、今も母には迷惑をかけていますから、これ以上は…」

「そっか…、ごめん、また言いづらいことを聞いちゃったね。」

「いえ、そんな…、寧ろ、わたしは、悠樹さんに聞いてもらえて良かったと思っています。これまでは、このようなことを話せる相手もいませんでしたし…」


 日本人とは違う民族、類まれな容姿、身の回りで起きるトラブル、アデラインが友人を作りにくい境遇にあったことは容易に想像できるけれど、彼女の心中しんちゅうが如何なものであったのかを推し量ることはできない。

あらためて、これからはどのようなことがあろうとも、静かな暮らしをさせてあげたいと心から思った。




「ごちそうさまでした、美味しいお食事をありがとうございます。」

「お粗末さまでした、こんな料理で良ければいつでもどうぞ。」


 同じ日の晩御飯どき、俺と恋人三人、そしてアデラインは、清澄家で食事をいただいた。

最近はこちらで食事をすることも多くなり、清澄家は随分と賑やかになっていたけれど、今日はアデラインが加わって、更に華やかな場となっていた。


「朝食は7時頃で良いかしら、ちょっと早い?」

「いえ、わたしは朝食は…」

「あら、朝食抜きは体に良くないし、頭が働かなくなるわよ? それにほら、こんなに痩せて(むにむに)」

「ひゃっ?! ゆ、悠樹さん、助けて!」

「アディー?!」


 突然、美菜さんに脇腹を摘まれて驚いたアデラインが、俺の胸に飛び込んできた。

腕の中でびくびくと体を震わせて怯えるアデラインの頭をよしよしと撫でて宥めながら、溜息を吐きつつ苦情を申し立てる。


「美菜さん、セクハラはやめてください、この子、そういうのに免疫ないんですから。」


 俺の言葉を聞いた美菜さんは、信じられないものを見たように大きく目を見開き、震える声で俺を糾弾した。


「そ、そんな、嘘でしょ? あなたが連れてきた女の子に限って、そんなことあり得ないわ! きっともう、全身隈なくまさぐられて、あんな所やこんな所まで開発されて、あなた好みの性◯隷にされてる筈なのに! いつからそんなヘタレになったの?!」

「美菜さん、貴女の中の俺って、一体何者なんですか?!」




「アデラインさん、ごめんね? うちのお母さん、ゆうくん弄るの大好きで、時々やり過ぎちゃうの。」

「い、いえ、驚きましたけど、もう、大丈夫です。」

「本当にごめんなさいね? あなたまで巻き添いにするつもりは(ちょっとしか)なかったんだけど、ついね。」


 美菜さんの俺弄りは、最近特に度を越していると思う。

邪険にされるよりはマシだろうが、そのうちトラウマを植え付けられそうな気がしてきた。

多分また、欲求が溜まっているのではないかと思うので、翔太さんには責任を持って対処するようにしっかりと話をしておこう。


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