第3幕

第98話 夢の中で

漆黒の闇の中で、体が震えている

凍てつく寒さに晒され、凍えて身動きが取れない

これでは、ここから逃げられない


目の前に一人、誰かが佇んでいる

暗闇の中、その人だけが存在している


その人は、こちらへ両手を伸ばしている

口元に笑みをたたえ、この手を取れと


その人に向かって手を伸ばそうとした時、声が聞こえた

聞き覚えのある、とても耳触りの良い声が呼んでいた


やがて、心地好い熱が体を包み込み

凍えた体を温め、心を蕩けさせる


俺は、この熱を知っている…

俺はまた、彼女たちに救われた…




 目が覚めると、ベッドに横たわっていて、温かく柔らかな重みに体を覆われていた。

彩菜と涼菜が左右から覆い被さり、熱を分け与えてくれていたのだ。

そのおかげで、俺は夢からうつつへ戻ってこられた。


 頭が痛い、少し記憶が混濁している。

昼御飯を食べてからソファーで寛いでいたところまでは覚えているのだが、その後のことが分からない。

時刻を確認したかったけれど、両手が清澄姉妹に握られているので叶いそうにない。

ここは、ゆっくり待つしかなさそうだ。


 暫くすると、彩菜の頭がピクリと動いた。

やがて薄らと瞼を上げてこちらに顔を向け、俺が目覚めていることに気づいたようなので声をかける。


「ありがとう、あや。また助けてもらったな。」


彩菜は一瞬呆けたような表情を見せたが、直ぐに俺の首にしがみつき頬を合わせて来た。

閉じた瞼には涙が滲んでいる。


「ゆう…、良かった…」


解放された右手を彩菜の頭に添えて、優しく撫でた。


 時刻を確認すると今は土曜日の4時、夜明けまではまだ間がある。

彩菜によると、俺が記憶している時点の直ぐ後に、俺は意識が朦朧となり自我を失いかけていたようだ。

それでもまだ体は動いたので、姉妹の手を借りて何とかベッドに入ったと言うことだった。

そして、夢に取り込まれそうになった俺を彼女たちが救い出してくれたのだ。


「ゆう、最近何かあった? 昨日の電車のこと?」

「…昨日、ホームで倒れ込んだ時に、ゆいねえに会いたいと思った。」


 心配してくれている彩菜の問いに正直に答えると、彼女は大きく目を見開き、俺に覆い被さってぎゅっと抱きしめてきた。

その勢いに、反対側に覆い被さって眠っていた涼菜が目を覚ました。

俺は先ほどの夢の話をする。


「さっき、夢の中で手を差し出している人がいた、あれは多分…」

「ゆう! もう言わないで! もう、言わなくて…、良いから…」

「うん…、ごめん、あや…」


彩菜の悲痛な叫びに涼菜がビクンと体を震わせ目を見張っていた。


 彩菜は俺の心の中に、俺がこれまで気づかなかった、いや、気づかないようにしていた願望があることを知っていたのだろう。

 そして今なら分かる。

夏休みに清澄の祖父・英治さんが俺を見て感じた引っかかりが、俺の祖父が別れ際に言っていたことが。

やはり、俺は心のどこかで、結菜のところへ行きたがっているのだ。




 家から少し離れた大型スーパーに来ていた。

ここに来なければいけない用がある訳ではなかったが、昨晩のことがあって頭を冷やしたいのと、頭の中と心の整理をするために一人になりたかったので、ふらりと足を向けたのだ。


 考えごとをしながら売り場を歩いていると、いつの間にかショッピングカートがいっぱいになっていた。

無駄なものを入れてはいないかと品物をチェックしたが、補充して差し支えないものばかりだったのは、主夫業もしっかり身についたという証だろう。


 スーパーを出て、ゆっくりと帰路につく。

今日は冷食や要冷蔵品を買っていないので、それほど急ぐ必要はない。

敢えて回り道をしてあまり交通量のない住宅街の通りを歩いていると、幼い頃通っていた幼稚園の前に女性が佇んでいた。

あれは…


「あれ? 鷹宮さん?」

「うーす、御善くん、買い物?」

「うん、そうだけど、鷹宮さんこそ何してるの?」


やはり、クラスメイトの鷹宮さんだった。

 土曜日の今日、なぜこの場所に居るのか不思議に思い尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。


「散歩。」

「こんなところで?」


鷹宮さんの自宅からは1時間以上かかるであろうここで? と思っていると、彼女はさらに意外なことを口にした。


「アタシさ、この幼稚園に通ってたんだよねー」

「え、ここに?」


俺は目を丸くして、鷹宮さんと幼稚園に視線を往復させた。




「で、幼稚園が見たくなって来てみたら、御善くんとバッタリって訳。」


 頭の中の疑問を解消したくて、もっと話を聞きたいと鷹宮さんを家に招待すると、彼女は快く受けてくれた。

どうやら古いアルバムで昔の写真を見て、懐かしくなって幼稚園を見に来たようだ。

取り敢えず、彼女の分を含めて四人分の昼御飯を用意して、今は食事をしながら歓談している。


「そうだったんだ、ってことは、私たちとも一緒だったってことだよね。」

「姫君と妹君いもうとぎみとは、一度遊んだことあるんっすよねー、ってか、その一度しか覚えてないんだけど。」

「そうなんだね。じゃあ、俺のことは?」

「ふーん、やっぱアタシのこと、覚えてないんだねー、『ゆーちゃん』?」

「え、あれ? ひょっとして…、『まりちゃん』?」

「ピンポーン、正解でーす♪」


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