第93話 二人だから

 放課後の図書室、彩菜が中間試験対策に勤しみ、隣で俺が高3範囲の予習をしていると、誰かが彩菜の側にやって来て声をかけ始めた。


「ねえ、清澄さん、…あれ、清澄さーん、清澄さんてばー、聞こえないのー、ねーえー」


 そこに居たのは彩菜のクラスメイトの桜庭さんだった。

彼女は何度呼んでも見向きもしない彩菜に困惑しながらも、アプローチを繰り返している。

ただ、残念ながらその声は彩菜には届かない。


 彩菜は一度ひとたび集中モードに入れば、もう誰にも思考を邪魔されることはない。

もちろん、体を揺すったりすれば話は別だが、どんなに近くで大声で叫ぼうとも動じることはないのだ。

身内二人の声を除いては。


「あや。」

「なに?」

「桜庭さんが呼んでる。」

「分かった。」


「え? え? 聞こえてるの?」


 桜庭さんは俺と彩菜の遣り取りに、訳がわからないと言った面持ちで驚いている。

そんな桜庭さんの様子を然程も気にすることなく、彩菜は無表情で尋ねた。


「ごめん、桜庭さん、何か用?」

「え、あれ? 何だっけ…、あ、そうだ! 来週金曜日にレンタル衣装屋さんにサイズ合わせに行くから、試験終わった後、空けといて。」


 来月の文化祭で彩菜のクラスが予定している執事&メイド喫茶で、彼女は男装執事として接客することになっている。

桜庭さんはその衣装合わせの日程をわざわざここまで伝えに来てくれたようだ。

しかし…


「えぇ、面倒臭い、適当で良いよぉ。」


彩菜は桜庭さんの厚意を一言で無下にした。


 流石は学園の姫君と言いたいところだが、それでは桜庭さんも気を悪くするだろうと思っていると、あちらも流石は姫君の学友、こんなことは慣れっこという様子だ。


「そう言うと思ったけどね、ちゃんと体に合ったの着てピシッとしないと、彼氏や妹さんに良いところ見せられないよ。」


 彩菜は桜庭さんの言葉を聞いて一瞬顔をこわばらせたかと思うと、ゆっくりとこちらを向いた。

彼女の表情は何かを請う時のものだ。


「ゆう…」

「分かったよ。」

「ん、ありがと。」


 俺と短く意思疎通した彩菜は桜庭さんに向き直る。

桜庭さんは不思議なものを見ているような顔をしていた。


「桜庭さん、ゆうも連れてって良いよね、だったら行く。」

「うん、大丈夫だけど…、今、二人ともそんな会話してなかったよね。」

「え、私、ゆうに聞いたよ? ね、ゆう。」

「俺もそれで一緒に行くことにしましたけど。」


「はぁ〜、あなたたち、どれだけ長いこと連れ添ってるのよ…」


桜庭さんは呆れとも諦めともとれるような表情でため息を吐いた。




 彩菜は再び試験対策に取り組み、集中モードに入っていた。

けれど、桜庭さんは教室に戻らずに、俺の手元を覗き込んで首を捻っている。


「それ、1年生の教科書じゃないよね、何やってるの?」


 俺が彩菜の試験成績向上のためにやっていることを説明すると、桜庭さんは目を丸くした。


「ええ? 何それ? 普通そこまでする?!」

「あやのためなので。」


 答えはそれだけ。実に明快だ。

世の皆さんが何と言おうと、俺の『普通』は『全ては清澄姉妹のため』に他ならないのだ。


「しっかし、そっかあ、清澄さんが成績良いのって、彼氏くんのおかげだったんだねー」

「あやは俺が手伝わなくても、試験で20位以内には入れますよ。」

「うわ、元々出来るんだ、それでも、もっとってことなのかぁ…」


 桜庭さんは手元に集中し続ける彩菜に目を移して、ふっと表情を柔らかくする。


「去年がもったいなかったねぇ、今更だけど。」

「去年も今年も、あやとしては、何も変わらないんですけどね。」


 彩菜は常に自分の気持ちに従っているだけだ。

それが他人の目にどう映っていようと、大きく揺らぐことはない。

清澄彩菜とは、そういう強さを持つ少女だ。

(見方を変えると、我儘娘とも言えるが…)


「わたしは今の清澄さんが話しやすくて良いけどね、結局、それは王子さま次第ってことですな。お邪魔しましたー」


 桜庭さんは最後に一言残して、俺の肩をポンとひと叩きすると、手をひらひらと振りながら図書室を後にした。




 俺と彩菜は学園を出て帰宅の途についていた。

辺りは徐々に暗くなってきて、まもなく日の入りを迎える。

これから益々夜の訪れが早くなる季節になることを考えると、自宅で課題に取り組んだ方が良いのではないかと思えてきた。

学園で課題を済ませていたのは、同居する以前の事情からだ。


「うん、そうだね、それならすずの勉強も見てあげられるし、そうしようか。」


 来週は中間試験があるので、昼には帰宅出来る。

彩菜と相談して再来週から、司書当番がある月曜日を除いて、居残り組を返上することにした。

また一つ、同居したことで生まれる変化が増える。


「ゆうが早く帰ったら、すずは凄く喜ぶよね。」

「俺が、じゃなくて、俺とあやが、だろ?」

「そうだと良いけどね。あの子にとっては、ゆうが1番だから。」

「それは、あやが居てくれるからこそだよ、お前と一緒じゃない俺なんて考えられない。」

「ふふ、それは私も同じ、ゆうが居ない私なんてあり得ないもの。」

「やっぱり、二人がってことだよ。ちょっとスーパーに寄るぞ。」

「はーい、何買うの?」


 俺と彩菜は足りない食材を買いにスーパーに立ち寄った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る