第41話 メイドの矜持
球技大会2日目、既に全ての競技で敗退していた俺たちのクラスは、体育館で他のクラスの試合を応援したり教室で雑談に興じていたりと、みんな思い思いに過ごしている。
一応、試合の応援をしないのであれば教室で自習をすることになってはいるが、他のクラスの迷惑になるような馬鹿騒ぎでもしない限り大抵のことは黙認されていた。
学園としては学期末試験の採点と集計が滞りなく進められれば、何も言うことはないという訳だ。
俺は彩菜の試合がある時は、体育館に応援に行っていた。
彩菜のクラス、2年1組の女子バスケチームは順当に勝ち上がり、午後に3年生のクラスと優勝を掛けて対戦することが決まっていた。
当然応援に行くつもりだが、今はまだ通常授業であれば3時間目に当たる時間帯なので、昼食までまったりと過ごすことにしている、…筈だったのだが…。
「悠樹さま、アイスティーでございます。」
その女性はアイスティーが注がれたグラスを恭しく掲げ、俺の机に予めセットしていたコースターに置いて、すっとストローを差し込んだ。
グラスに4分の1ほどと控えめに入っている氷がからりと涼しげな音を奏でる。
俺はグラスに手を伸ばし、ストローで一口啜った。
「本日は良いアールグレイがございましたので、ご用意いたしました。」
「ありがとうございます。とても良い香りですね。」
女性は少し垂れ気味の目をさらにふにゅっと下げて、喜色を浮かべる。
「お気に召していただけましたなら何よりでございます。それではわたくしは一度下がらせていただきます。昼食は12時30分にご用意いたしますがよろしいですか?」
「ええ、それでお願いします。」
「承知いたしました。」
女性は両手をお腹の辺りに添えて、一礼して楚々と立ち去った。
彼女が教室を出ると、それまで静まりかえっていた周囲にざわめきが戻る。
クラスメイトの大半はこちらをチラチラと見ながら会話をしているようだ。
はあ、疲れる…。
「ねえ、アレ、いつまで続くのん?」
「うーん、どうなんだろうね。」
「もう、他人事みたいに言ってるけど、御善くんがたらし込んだんでしょ?」
「いや、俺がそうしてくれって言った訳じゃないし。」
「悠樹くんは自分が天然のたらしだということを自覚してください。これ以上被害者が増えては困ります。」
「うっわ、『被害者1号』の言葉は重みあるわー」
女性が教室を出てからの会話は全て声を顰めて遣り取りしている。
流石に事情を知っているこのメンバー、鷹宮さん、南雲さん、愛花さん(発言順)も、クラスメイトに聞かれては差し障りがあると思っているのだ。
ただ、女子三人が俺を取り囲み、額を寄せてヒソヒソ話をしている構図は、それだけでクラスメイトの興味を引いているようだ。
しかも、俺の側には先ほどまでメイドさんが来ていたのだ。
先ほどアイスティーをサーブしてくれた女性は、ヴィクトリアンメイド服に身を包んだあかねさんだった。
2週間前、図らずも俺の言動によって発現していたあかねさんの第一の性癖はショック療法(?)により鳴りを顰めたものの、同時に彼女の中では第二の性癖が覚醒し今に至っている。
愛花さんたちは何とかしろと言っているが、あの強烈な第一性癖を目の当たりにした俺としては、控えめで淑女然としたあかねさんの立ち振る舞いには感銘すら覚えていて、敢えて手を施す必要を感じていない。
策を巡らせることにより、さらに未知の性癖を覚醒させてしまうリスクを考えれば、寧ろ現状を甘んじて受け入れるべきではないかとさえ思うのだ。
「いや、アレに毎日付き纏われるってキツイっしょ、アタシはムリ!」
「それもそうですし、森本先輩のご家族も心配してると思いますよ?」
「それがね、あやに聞いたところだと、あかねさんの両親は寧ろ憂なく嫁に出せるって喜んでるらしいんだよ。」
「あの娘にしてその親ありって感じだねぇ。」
「でも、森本先輩としては誰かに嫁ぐんじゃなくて、きっと御善家でメイドとして仕えるつもりですよね。」
「あ…」
「悠樹くん、大好きなお料理させてもらえなくなりますよ?」
それは困る。
俺の唯一の趣味が奪われるのは、罷りならない。
しかし…
「元に戻す方法が分からないんだよね…」
はたして何が決め手になるのか分からないし、やはり第三性癖も怖いので、よくよく方法を吟味しなくてはいけない。
「いんでない? ご奉仕してもらえばさ。」
「鷹宮さん、言ってること、さっきと違うよね。」
「あはは、あのおっぱいでしてもらうとか男子は絶対喜ぶよねぇ。」
「だ、だめです悠樹くん! だったら代わりに私が!」
「神崎ちゃんにはムリっしょー」
「……ぐす」
思わず無言で愛花さんの胸元に視線を移すと、彼女に涙目で睨まれた。
愛花さん大丈夫、小学生は普通そのくらいだと思います。
昼休み、あかねさんは俺の教室で昼食の準備をしている。
クロスが敷かれた机の上にはサンドウィッチを載せた皿が置かれ、綺麗な花柄の茶器セットが用意されていた。
ポットでは茶葉が蒸らしに入っているようだ。
「お昼は温かいお茶をご用意いたしました。茶葉はウバを使いましたので、ミルクティーにいたします。」
あかねさんがカップにゆっくりとお茶を注ぐと爽やかな香りが立ち上る。
彼女は次にミルクポットを摘み上げ、カップにミルクを注ぎ入れた。
あれ? このミルク、色が普通のものと違うな。
何か珍しいものを用意してくれたのかな?
「お待たせいたしました。どうぞお召し上がりください。」
「ありがとうございます。」
あかねさんに礼を言ってカップを口に近づけようとすると…
「ゆう! それ飲んじゃだめ!」
「え、あや?」
「あかね! こっちに来なさい!」
「お、奥さま、何をなさいます!」
彩菜が教室に飛び込んで来て俺を制止したかと思うと、あかねさんの襟首を掴んで廊下へ連れ出した。
俺はカップを戻し、慌てて二人の後を追いかけて廊下の端までやって来た。
俺が追いついたところで、彩菜があかねさんに詰問する。
「あかね、あんたさっき調理実習室で何やってたの?」
「お、奥さま…、わたくしは悠樹さまのお茶のご用意を…」
「あーそうよね、で、あのミルクはどこから持ってきた訳?」
「あ、あれはその…、フレッシュなものをお使いいただこうと思いまして…」
「それは良い心がけよね、で? どこから?」
「は、はい…」
あかねさんは俯いてモジモジしている。
心なしか頬に赤みが差しているようだが?
「あかね、桜庭さんからタレ込みがあったのよ、あんたが調理実習室で自分の胸を生でしごいてたって」
「はうっ♡」「え?」
何か衝撃的な言葉を聞いたような気がするのだが、聞き違いだよな?
「あんた、一体何やってるの?!」
「は、はい!」
あかねさんは今日、ミルクティーによく会う茶葉が手に入ったので俺に飲ませようと意気込んで準備をしたのだが、うっかりフレッシュミルクを切らしてしまったらしい。
それならばミルクなしでも良いと思うのだが、メイドとしてのプライドがそれを許さず、どうしてもミルクが欲しかったようだ。
そこで彼女がしたこととは…
「あの…、わたくし、ここ数日、悠樹さまのことを思うと胸がキュンキュンして、気がつくと、お胸の先から…出ちゃうんです…、それで、ミルクがないって気がついた時に、もうこれしかないと思いまして…、悠樹さまのお喜びになっているお姿を思い浮かべながら…こう、そうしたらたくさん…、って…あ、ああ、また…♡」
「このエロメイド! 目を覚ましなさい!」
自分の胸を抱きながら悶えるメイドさんの脳天に、学園の姫君の容赦ない手刀が叩き込まれた。
メイドさんはあえなく昇天し、保健室送りとなった。
下校時刻になり、俺と彩菜は保健室に顔を出したのだが、あかねさんは既にいなかった。
養護教諭にあかねさんの様子を聞くと、彼女は保健室に担ぎ込まれてから1時間ほどで意識を取り戻し、自分がメイド服を着ていることに戸惑っていたと言う。
そして俺たちはこの後の話を聞いて驚愕する。
なんと彼女はスーパーで俺と会った日から今日までの記憶をほぼなくしているようなのだ。
詳しくは明日、精密検査を受けてからということになる、とのことだった。
後日、俺と彩菜が会った時、あかねさんは以前の彼女に戻っているようだったので二人でホッと胸を撫で下ろした。
ただ、俺たちとの別れ際に、あかねさんが熱い吐息を吐きながら瞳を潤ませて彩菜を見つめているのを俺は見逃さなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます