第33話 明日の準備

 週末の土曜日、俺は雨の中、全国チェーンの大型スーパーに来ていた。

普段の買い出しは近所のローカルスーパーで済ませることが多いのだが、ここ一月ばかり品揃えに難がある店舗ばかり利用していて少しストレスが溜まっていたのと、明日の日曜日は我が家に神崎さんを招いていることもあり、品揃えが豊富な大型店に出向くことにしたのだ。


 雨降りのためか、それとも開店して間もない9時に入店したからか客足は鈍いようで、広い店内はあまり混んでおらずゆったりと商品を物色出来る。

カートを押しながら食材を選んでいると、見知った顔と出くわした。


「あ…、み、御善くん。」

「おはよう、神崎さん。」


 明日のお客さま、神崎さんが買い物をしていた。

普段ここで見掛けない俺が居たからか、神崎さんは少し驚いてなぜか緊張しているようだ。

俺は努めて自然な表情で居るようにする。


「お、おはようございます。あの、御善くんって、いつもここで買い物してるんですか?」

「ううん、ここは普段買わないような食材を見たい時にたまに来るくらいかな。いつもは近所の小さなスーパーで済ませてるんだよ。」


 神崎さんはホッとして、強張っていた頬を緩めた。

一体何にそんなに驚いたんだろうか…。


「そうなんですね。今日は一人なんですか?」

「うん、ここに来る時は大体一人なんだ。家から少し離れてるし、一人の方が食材をじっくり見られるからね。」

「ふふ、御善くん、さっきから自炊してる人みたいなこと言ってますね。自分でも何か作るんですか?」


神崎さんが悪戯っぽく俺に問うけど…


「俺は一人暮らしなんだ。だから食事はいつも自分で用意してるんだよ。」

「す、すみません、そうだったんですね。私、勘違いして…。」


 俺が一人暮らしだと聞いて神崎さんは恐縮しているけど、そもそも話していないのだからしょうがないことだ。

俺は話題を逸らすことにした。


「俺が言ってなかっただけだから、謝らないで。あ、そうだ、明日のことなんだけどね、神崎さんって嫌いだったり、食べられなかったりする食べ物はある?」

「いえ、特にありませんけど…、ひょっとして、御善くんも何か作ってくれるんですか?」

「ああ、あやは何も話してないんだね。実は、明日の食事は俺が用意することになってるんだよ。」

「え? そうなんですか?」

「場所も俺の家なんだけど、これも聞いてなかったりする?」

「し、知りません! 初耳です!」


 声を裏返しながらあたふたし出す神崎さん。

多分、彩菜は家も料理人も黙っておいて、サプライズにしようとしていたのだろう、帰って話したらさぞ悔しがるに違いない。

俺は可笑しくなって吹き出してしまった。


「ぷっ」

「…うう、御善くん、笑うなんて酷いです。」


 神崎さんは薄く赤みを差した頬をぷくっと膨らませながら上目遣いで抗議してくるけど、頬袋に餌を蓄えたリスのようで可愛くて、今度は微笑ましくなってしまう。

内心で笑いを堪えながら…


「ごめんごめん、神崎さんのことじゃなくて。これってきっとあやはサプライズのつもりだったと思うんだ。まさかここでバレちゃうとはね。」

「ああ…なるほど、地図には清澄先輩のお宅しか載ってなかったし、メッセージにも書いてなかったので、すっかり騙されました。」


 神崎さんが彩菜から送られたメッセージを見せてくれたけど、これじゃ清澄家だと思うのは当たり前だ。


「ホントにごめん、男子の、しかも一人暮らしの家って敷居高そうだもんね。でも、あやとすずも居るから、安心して来てくれると嬉しいな。」

「あ、はい、私も楽しみにしてましたので、明日は必ず伺います。」

「うん、俺も楽しみにしてる。どんなに遅くなっても明るいうちにお開きにするつもりだから、よろしくね。」

「はい、ではまた明日。」


神崎さんはぺこりとお辞儀をして、買い物に戻っていった。


 神崎さんがショッピングカートを押している様子は『はじめてのおつかい』に見えるな、などと思って見ていると、神崎さんが不意に振り返った。

俺は慌てて目を逸らし、買い物を再開した。





「あれ〜?許婚くんだ〜♪」


 あかねさんが買い物に来ていた。

今日は知り合いに会う日なのかな。

そう言えば、この人もこのスーパーの徒歩圏に住んでいたんだっけ。


「おはようございます。ってか、あかねさん、そろそろその呼び名、やめてもらえません?」


 学園内では既に知れ渡っているので諦めているが、ここでそのワードは勘弁してほしい。

案の定、商品を陳列している店員さんがこちらを見ているし、あっちのお年寄りも老眼鏡をずらして俺を凝視してるじゃないか。


「え〜、だって〜、彩菜からは君のこと『許婚』としか聞かされてないんだよ〜?」

「じゃあここで覚えてください。俺の名前は御善悠樹ですから。み・よ・し・ゆ・う・き、です!」

「い・い・な・づ・け・く・ん、だよね〜?」

「……」


あかねさんのチェシャ猫のような人の悪い笑顔を見て、俺の頭でプチンと何かが切れる音がした。


 これはもう構わない方が良いな。

朝から無駄な気力を使いたくない。

どうでも良くなった俺は、何も言わずに無表情でショッピングカートを押し始めた。


 さっき魚介売り場で見たイカとエビが美味そうだったから、ご飯ものはシーフードドリアにしようかな。

グラタン皿は4つあったはずだし、うん、決めた。


「あれ? え〜っと?」


 ホタテを入れるのも良いかもな。

けど、さっきの売り場にあったかな、もう一度見てみるか。

新鮮な貝柱が手に入れば良いが。


「許婚、くん?」


 デザートは手間を掛けずにシュークリームで済ませるか。

一口サイズにしておけば皆んなで摘めるし、女子でも食べやすいだろう。

クリームに三温糖を使うと甘さ控えめの和風に仕上がるから、食後に緑茶を合わせると良さそうだ。


「…おこっちゃっ、た?」


 神崎さんは食べられないものはないと言っていたけど、好きなものも聞いておけば良かったな、失敗した。


「ふえ〜っ?! ねえっ?! 無視しちゃやだよ〜?!」


 おしゃべりは清澄姉妹にお任せで良いだろう。

女子同士の方が話も盛り上がるだろうしな。


「うえ〜〜〜ん!!」(泣き声)


 何か離れたところで騒いでる人が居るな、まったく、迷惑なことだ。

店員が注意してくれれば良いのに。





「ねえ、ゆう。さっきあかねが泣きながら電話して来たんだけど…。」

「……」


ん? あかねって誰だっけ?

さ、食材を冷蔵庫に入れてしまわないとな。

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