本山らのと最後の時間

七条ミル

ありがとう。

 ありがとうを言うために、私は久々にこの場所へ来ていた。

 どこかの山の中にある神社。たぶん、稲荷神社の一種で、らのちゃんという巫女さんがいる。

 巫女さんというわりにはライトノベルが大好きで、そこはちょっと俗っぽくもあるけれど、熱意をもって語る人が私は好きだった。だから、前はよくこの場所に来ていた。

 けれど、らのちゃんも忙しくなって、私も忙しくなって、暫くこの場所には来れていなかった。

「なんか、久しぶりだなぁ」

 通っていたころは、よくここでらのちゃんと色々な話をした。そのときオススメしてもらったライトノベルは、すぐに買ったし、今も家に置いてある。

「こんばんらのー」

 真夜中の神社なんて、普通に考えたらおっかないことこの上ないけれど、電気もないのに境内は不思議と明るい。ぼんやりとした光に照らされた中、らのちゃんはあの時と同じようにそこにいた。拝殿の軒下、凛とした表情で青い髪を風に揺らしていた。

「こんばんらの! お久しぶりです」

「おひさしぶりですねぇ……」

 らのちゃんは少し寂しそうに眼を伏せ、再びぱっと顔を上げた。

「別れって、なんだと思いますか?」

 らのちゃんは、私の目を見ていない。

 別れと言うのは昔から物語のネタにされてきたことで、考えれば考えるだけ、深みにはまっていく。

 ――もし。

 もしらのちゃんとの別れが来るとしたら?

 あるとは解っていても、それがすぐに来るだなんて誰も思っていない。なんだかんだいつまでもそこにいてくれるのだと思って、感謝を伝えきれなくて、とか、色々言う。

 でも、別れなんて言ったって。

「結局、近くにいるかそうでないか、じゃないですか。心の中で、小説の中で、絵の中で、あろうと思えば誰でもそこに存在し得る――だとしたら、私にとっての別れは、ちょっとそこへ出かけてくるっていうのとそう変わりません。だって、そこにいると思えば、いつでもそこにいるんですもん」

 勿論、実物としてそこに存在しているかは別として。

 けれど、もしそこに姿が見えなくても、きっとどこかで今まで通り生きてくれている。或いはどこかで不幸なことが起こったとしても、それでも私たちの中では生きている。

「その別れが悲劇的なものでないのだとすれば、私はそれを笑顔で送り出したいなって、そう思います」

 はっと、らのちゃんは顔を上げた。

「そう、ですよね。私は、形を変えたとしても、そこにいますもの。むしろ、分裂? なんだかラノベみたいですね」

「分裂……?」

 もしかして。

「私、一皮むけようと思うんです」

「一皮……」

「卒業、ですかね」

 目を閉じて、次に目を開けたとき、らのちゃんはいつもの衣装ではなかった。いつもより煌びやかで、いつもよりも綺麗だった。そして――そして、狐ではなくて、普通の人のように見えた。

「私、これから新しいことを始めるんです。だから、こうして狐の姿でいられるのも残りわずか……」

 らのちゃんの身体が、光の粒子に包まれる。夜の神社を背景にしたその様子は、一級の芸術作品でも見ているかのようだった。

 ――ううん、もっと。

 芸術とは全然違うものだ。

 もしらのちゃんがここからいなくなってしまったとしても、もしかしたら世界のどこかで、らのちゃんに出会うことだってあるかもしれない。

「いつか、どこかで会ったときには――」

 らのちゃんはそこまで言いかけて、口をつぐんだ。

「いえ、きっと、次に会うときには、私が私だと分からないと思うんです。それでも――」

「きっと、私はらのちゃんが描いた奇跡を、らのちゃんのものだと知らなくても、美しいものだと思うんだろうなって、なんとなく分かる」

 だから、別れの言葉はさよならじゃない。

「らのちゃん、ありがとう」

 そして。

「また、らのちゃんの好きだと思うものを、世の中に広めていってください」

 さよならじゃない。だって、私たちは見ようと思えば、いつでもそこにらのちゃんを見ることが出来るから。

 目を瞑って、開くと、そこにはもうらのちゃんは居なかった。けれど神社は消えずそこにあって、らのちゃんが生きて、活動していたことを私に教えてくれる。

 神社に触れれば、そこにはらのちゃんが紡いできた歴史があって、私たちが応えてきた歴史がある。

 ――またね。

 わかんないだろうけど。

 私は心の中のらのちゃんにそう告げて、神社をそっと後にした。

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本山らのと最後の時間 七条ミル @Shichijo_Miru

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