勇者ああああ

るふな

勇者ああああ

「ああああ!」


「あっ、はい!なんでしょう?」


「えっ?ああ違う違う、ごめんねちょっと手が滑って。」


「あぁ…はい。」


 厨房の奥で、幾度となく繰り返されてきた虚しい問答が、業務用オーブンに反響した。僕は自他共に認める平々凡々な一般人だ。平日は職場と自宅の往復のみ、休日もこれと言って特にする事もなく、自宅で死屍と化している。敢えて特徴的なことを挙げるとすれば、「ああああ」という奇天烈な名前くらいだろう。


 この名を目にした者は、十中八九何かの間違いかと問いかけ、残りは誤謬を確信し取り敢えず「田中さん」と呼びかける。まさか物臭な父親が名付けた名前が、人生終了するまで改名できないとは思いもよらなんだ。人生リセットボタンが存在するならば、早急に手中に収めたい。


 そんな僕の唯一とも言える仲間は秋山勇者である。彼もまた俗に言うキラキラネームに苦しめられて来た、始まる前から終わっている冒険者だが、彼自身は案外その奇抜な名前を気に入ってるらしい。彼が英語の授業で自ら英雄を自称する度、失笑を買っていたことは想像に難くない。


「俺の場合、それがデフォルト設定だったから両親も選びようがなかったんだよ。」


 悟りを開いた僧侶のように半ば諦め気味に秋山が語っていたことを思い出す。人の人生は多種多様、時には生まれた環境によって、ある程度その後に辿る運命が決定づけられてしまうこともあるようだ。


「俺、この仕事が終わったら結婚するんだ…。」


 秋山はこのところ「姫」探しにご執心である。


「不用意にフラグを立てるのはよしなさい、確かに君はもうすぐ魔法使いになる年頃だけど、仕事を辞める気かい?」


「いいや近々大きなイベント企画があってね、最近忙しくてろくに寝れてもいないけど、終わったら有給全部使って婚活に費やすつもりだよ!」


「姫って名前に拘らなければたくさん出会いもあっただろうに。もうこれ魔法使い通り越して、賢者フラグだよ。」


「子供の頃は電話帳を引いて探していたな。」


「そんなに昔から君の冒険は始まっていたんだね、姫様探す前に社会に巣食う魔を払ってくれないか。」


「そんなの俺にどうこうできる問題じゃないし、人類が束になっても敵わないだろ。歴史が証人だ。」


「やってもみる前から諦めるなよ、ゲームだって最初はレベル低くて何もできないでしょう。」


「俺にできる事と言えば、賄いと称して食材をくすねてくる子悪党を成敗することぐらいだよ。」


「その戦利品を昼食代浮かせるために僕から巻き上げる君も共犯だし、職業は盗賊だ。」


「それにしても姫様は見つからないな。最近マッチングアプリなるものを導入して探索を始めたのに…」


「おやおやこれは初耳ですな。勇者もいよいよ本気というわけか。」


「この前プロフィールの名前が姫の人に会えたんだけど、本名は全然違ったんだよ!これ虚偽申告でしょ!自称姫とか完全に勘違いの匂いがするよ!」


「きっと相手も勇者とかふざけてるのかって思ったでしょw」


 荒ぶる勇者をさらに煽りつつ、先ほど手に入れてきた賄いを手渡した。


「サンキュ、んん〜そもそも変わった名前を周りで聞かないからなぁ。」


「そういえば高校生の時、全国模試で町田村娘さんていう人が上位にランクインしていたけど…あまり聞かないよね。」


「俺、占いの姓名判断で姫って名前の人が運命の人って言われたんだけどなぁ〜。」


 この男はどこまでも名前にこだわるやつだな。


「君はまだいい方じゃないか、僕なんてああああだよ?この呪いをかけられた時点でもう人生終了だよ。ゲームみたいにリセット出来ればいいのに!」


 流石の勇者も僕の気持ちを察してか少し静かになった。しばらくの沈黙が流れた後、勇者は切り出した。


「確かに、人生にリセットボタンなんてないけどさ、コンティニューはいくらでも出来るから、楽しいことだけセーブして行こうぜっ!」


 彼は本物の勇者なのか?屈託のない笑顔で放たれた彼の魔法になぜだか救われた気がした。しかし彼の満面の笑みの向こう側に、ほんの少しだけ哀愁の念が垣間見えた。きっと彼も人生の荒波にHPを削られては、この呪文を自分自身に唱え聞かせ、何度も何度も立ち上がってきたのだろう。


 僕もいつか誰かの勇者になれるように、彼の言葉を心にセーブした。

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