真夜中の銃弾

広之新

本文

 日が暮れて街は活気が帯びてきた。物悲しいネオンがきらめく中を多くの人が通り過ぎていく。そこには喜怒哀楽では言い表せない人の感情が入り乱れ、やがて泡のように消えていく。ずっと毎晩のように・・・。

 その街の片隅にバイオレットというバーがあった。ここが奴らの根城なのだ。私はドアを開け、カウンターに静かに座った。中は騒々しく、客はやくざ者まがいの者が多い。グラスを拭いているバーテンが私に声をかけた。


「何にいたしましょう?」

「ウイスキー。水割りで。」


 私は大して飲めないのにこう返事を返した。するとバーテンがすぐに私の前に水割りのグラスを置いた。その中で割れた氷がきらきらと虹色に光っていた。私はグラスを持ち上げて見つめるふりをして、そっと辺りを見渡してみた。そこにはお目当ての男はいない。しかしこの店のどこかにいるはずだ。あのスタッフ用のドアの奥が怪しい。


(きっとどこかにいる!)


         ―――――――――――――――――――


 私のいる捜査課にタレコミがあったのは昨日だった。だが捜査課全体は動かず、私の所属する第3班のみが会議室に極秘に集められた。


「今夜、大きな麻薬の取引が行われる。それもアルフ国のシンジケートのボスが直々に麻薬を持って出向くらしい。その相手はバイオレットというバーのオーナーの山添俊一だ。」


 荒木警部は机の上に数枚の写真を投げるように置いた。そこには鋭い目をした中年の男とその部下と思われる男が数人写っていた。私はその一人に目をとめた。


「山添は表向きには水商売のオーナーだが、裏で麻薬組織の元締めをしている。その現場を押さえれば一網打尽だ。しかし警察内部にも内通者がいる。極秘裏に捜査を行わねばならない。だから第3班だけが担当することにする。倉田、頼むぞ。」


 それはかなり大きなヤマだった。アルフ国の麻薬シンジケートが絡むとなるとかなりの危険が伴う。しかしその現場を押さえられれば、国内の麻薬売買の主要なルートを潰せるかもしれない。


「わかりました。きっと取引現場を押さえます。それで場所と時間を探るため、山添のバーに捜査員を潜入させます。おい、藤田!」

「ちょっと待ってください。」

「どうした? 日比野。」

「私にやらせてください。私をバーに潜入させてください。」

「そのバーにはチンピラが多く出入りする。女性には危険だ。」

「女性だからかえって怪しまれないのでしょうか? その方が相手に警戒されずに探れると思いますが。」

「それはそうだが、しかし・・・」

「ぜひ私にやらせてください。お願いします。」


 私は執拗に頼んだ。それでも倉田班長は渋っていた。だがその様子をみて荒木警部が言った。


「倉田。日比野にやらせてやれ。彼女もこの課の刑事だ。その代わり・・・日比野。必ず取引現場を暴け! いいな!」

「はい!」


 そうして私はこの任務に就くことができた。私がそこまでしてこの任務に志願したのはあの男のためだった。


          ―――――――――――――――――――


 班長たちは店の外に停めてある車で待機している。私の周りで起こったことは、胸のブローチに仕込んだ小型マイクで音を拾って班長たちに聞こえている。私は飲めない水割りのグラスを持ち上げて眺めていた。


「お客さん。お一人ですか?」

「ええ、まあ・・・」


 私はバーテンの問いにあいまいな返事をした。すると店にいたガラの悪いチンピラが私に近寄って来た。


「よう、ねえちゃん! 俺と飲まねえか?」


 酒に酔ったチンピラが私に絡んできた。バーテンは見て見ぬふりをしている。私は無視しようと顔を背けた。するとそのチンピラは私の肩を抱こうとした。


「なあ、いいだろ?」

「やめてください!」

「ヒヒヒ、いいじゃねえか! 楽しくやろうや!」


 嫌がる私をチンピラは笑って抱き寄せようとした。だが次の瞬間、「バーン!」と大きな音がしてチンピラは床に転がっていた。店に入ってきた一人の男がいきなりチンピラを殴り飛ばしたのだ。


「なにしやがる!」


 そのチンピラは起き上がってその男に食ってかかろうとした。だがその男の顔を見てすぐに拳をひっこめて、あわててその店から出て行った。その男は何も言わず、私の前を通り過ぎようとした。私は慌てて椅子から立ち上がってお礼を言った。


「あ、ありがとうございます。」

「あんたみたいな人が来るところじゃねえ! 帰んな!」


 その男は私の方を見ようともせずにぶっきら棒に言った。私はその男を覚えていた。彼は西山順二。元刑事だ。私は彼に一度だけ会ったことがある。あれは忘れもしない、私が警官になって駆け出しの頃のことだった。


        ―――――――――――――――――――


 当時、私は交通課で駐車違反の取り締まりをしていた。ある時、大通りで駐車違反の車両に駐車違反のステッカーを張っていた。するとチンピラ風の若い男が突っかかってきた。


「おう、ねえちゃん。ちょっと停めただけじゃねえか!」

「いえ、30分以上、停めてありました。違反です。」

「そんなことはねえぜ! ステッカーを剥がして帰れよ!」

「そんなことはできません。違反は違反です。」

「おい! 俺を怒らすなよ! 女だからっていつまでもおとなしくしてると思ったら大間違いだぜ!」


 若い男が私に脅しを掛けてきた。まだ新人だった私はどうしたらいいかわからず、怖くて震えていた。そこに西山が通りかかったのだ。


「おい、やめろ!」

「なんだよ、おまえ! 口を出すな!」

「俺は城西署の西山だ。公務執行妨害でしょっ引いてやろうか?」


 西山は警察バッジを出した。するとその若い男は急に大人しくなった。そうして西山は私に言った。


「さあ、違反切符を切ってやるんだ。」

「は、はい。」


 その若い男に抵抗されることもなく、私はそのまま違反切符を切ることができた。


「ありがとうございます。助けていただいて。」

「いや、いいんだ。でもあんな奴が多いから気を付けるんだ。もしそんな時は応援を呼ぶんだぞ。じゃあな。」


 西山はふっと笑顔を見せて、そのまま手を振って立ち去っていった。


           ―――――――――――――――――――


 私はそのことを今でも鮮明に覚えている。だがその西山は3年前に退職して、今は麻薬組織の人間になっているという、要注意人物だ。

 西山はバーテンに合図をしてあの奥のドアを開けて中に消えていった。


(やはりあの中が怪しい。そこに山添がいるはず・・・)


 私はそう思うとバーテンに尋ねた。


「ちょっと。化粧室はどこ?」

「店の奥にありますよ。」


 バーテンはグラスを拭きながら、こちらを見ずに答えた。私は立ち上がり化粧室に行くふりをして、店の中の者に気付かれないようにそのドアをそっと開けて中に入った。中は暗い廊下が続いており、その先には支配人室があった。そのドアに近づき耳を寄せると、中から話し声が聞こえた。


「今夜、シンジケートと取引する。サツには感づかれていないだろうな?」

「大丈夫です。会長。」


 それを聞いて私は確信した。


(この中に山添はいる。このまま盗み聞きしていれば取引場所をつかめるかもしれない。)


 だが私の背後に忍び寄る者がいた。それは山添の部下だった。私を見て、いきなり大声を上げた。


「何を盗み聞きしていやがる!」

(しまった!)


 私はとっさに逃げようとしたが、山添の部下が私に飛び掛かってきた。私はその男の腕をひねり上げようとしたが、逆に押さえつけられてドアを開けて中に放り込まれた。


「会長。この女が盗み聞きしてましたぜ!」


 私はその部屋の真ん中で倒れ込んだ。すぐに体を起こすと、私の前に数人の男がいた。その中には山添と西山もいた。部下の男が私の髪の毛をつかんで顔をあげさせ、顎をつかんで言った。


「サツかもしれません。会長。始末してきましょうか?」


 すると西山がその部下の男を押しのけた。


「その必要はない。この女。バーで酔っ払っていたんだ。迷いこんできただけだろう。店から叩き出してくる。」


 西山は私の腕を取って立ち上がらせて、そのままドアの方に引っ張って行こうとした。


「待て!」


 山添がそう言って西山を引き留めた。すると彼の部下が通すまいとドアの前に立ちふさがった。西山は山添の方を振り返った。


「この女に取引の話を聞かれたかもしれない。このまま帰したらまずい。向こうの倉庫に押し込んでおけ! 西山! お前が見張っとくんだ!」

「はい。会長。」


 山添の言葉に西山がうなずいた、山添の部下がドアを開けて、西山は私の腕をつかんだまま廊下に出た。彼は私を引っ張るようにして廊下の奥の倉庫に向かった。その後ろから山添の部下が怪しい動きをしないかとじっと見ていた。私は部下の男に気付かれないようにそっと西山に尋ねた。


「さっきは助けてくれようとしたんでしょう?」


 だが西山は無表情のまま答えない。やがて倉庫のドアの前に来た。ドアを開けながら西山は私にそっと言った。


「あんたは刑事デカだな?」

「どうしてそれを?」

「俺にはわかるんだ。独特のにおいというのかな。」


 そして私を強引に倉庫に入れると外からカギをかけた。私はドア越しに話しかけた。


「あなた、元は刑事なんでしょう。奴らがやっていることを知っているんでしょう。どうしてそれを許しておくのよ!」


 だがいくら私が話しかけても返事はなかった。ただ西山がドアの外にいるのは気配でわかった。


(このままではらちが開かない。せめて班長に伝えなくては・・・)


 私は外にいる班長たちに伝えようとしたが、マイクを仕込んだブローチが胸になかった。どこかに落としてしまったようだ。


(これでは無理だ。助けを呼ぶ手立てがない。どうしよう・・・何とかここから抜け出さないと・・)・


 私は倉庫のあちらこちらを探った。窓はなく他に抜け出せそうなところもない。それどころか狭くて真っ暗で息が詰まりそうだった。この状況を打開できないかと私はドアに近づいて、外にいる西山にまた話しかけた。


「ねえ、退屈でしょう。お話でもしましょうよ。」


 西山からの返事はない。それでも私は話した。


「私ってドジなの。せっかく刑事になっても先輩たちの足を引っ張ってばっかり・・・。今日もいいところを見せようと思ってここに来たけど捕まってしまったわ。」


 西山は何も言わなかった。それでも私は話し続けた。


「新人の時からそう。交通課でね、駐車違反の取り締まりをしていたの。それである時、チンピラに絡まれたのよ。怖かったわ。でも通りかかった刑事さんが助けてくれてのよ。うれしかったわ。ねえ、聞いてる?」


 それでも西山は黙っていた。こっちの話に乗ってこようとしなかった。


(ダメだわ。このままでは取引が終わってしまう・・・)


 私が焦っていると、しばらくして足音が聞こえてきた。別の男が倉庫の前に来たようだ。


「ご苦労だな。女を始末しろとのことだ。」

「わかりました。ところで会長はどこに行かれました?」

「取引のため裏の隠し通路から出ていった。第2埠頭の倉庫だそうだ。真夜中の2時に会うんだと。」


 男と西山の会話が聞こえてきた。それで私は確信した。


(やはり今夜、麻薬取引は行われる。何とかそれまで・・・)


 外の会話が途切れ、ガチャガチャとカギが開けられ倉庫のドアが開いた。その方向を見ると男が拳銃を構えて私を狙っていた。私には逃げるところも、身を隠せるところもなかった。


「悪いが死んでもらうぜ。」


 拳銃の引き金に男の指がかかろうとしていた。私は死を覚悟して身が固まった。いつ銃弾が私の体を貫くか・・・。だがそうならなかった。突然、西山がその男に飛び掛かったのだ。


「何をする! 西山!」

「この人を殺させやしねえ!」


 男と西山は激しくもみ合い、「パーン!」と拳銃が暴発した。男は腹を押さえて倒れた。そのそばに立つ西山の手には拳銃が握られていた。男は血まみれになってもだえていたが、すぐに動かなくなった。それを見て西山は顔を曇らせていた。


「助けてくれたの?」

「ああ。目の前で撃たれて殺されるのを見たくなくてな。」


 西山はふっと息を吐いて、奪った拳銃をズボンに突っ込んだ。


「俺は行く。あいつをるために・・・。あいつを今度こそ逃さない。」

「それはだめです! 犯罪者は逮捕して法の裁きを受けさせるべきです! これから応援を呼んで取引現場に向かいます。私たちに任せてください。」

「それはできない。」


 西山はきっぱりと言った。


「とにかく署に連絡を取ります。」


 私が倉庫から出ようとすると、西山は私の腕をつかんで強引に引き戻した。


「何をするの!」

「悪いがもう少しここにいてくれ。」


 西山はまた私を倉庫に閉じ込め、外からカギをかけた。


「開けて! 開けて! 何をするつもりなの! そんなことをしてはだめよ!」


 私はドアをドンドンと叩いて叫んだ。


「俺は必ずあいつをる。罪を償わせてやる! 加奈子のために・・・」


 西山はそう言い残して行ってしまった。その足音が消えた後は、辺りは静まり返った。私は閉じ込められた倉庫の中でため息をついて座り込んだ。


(このままでは最悪の結果になる・・・)


 私は捜査会議の時に出た西山の話を思い出していた。


      ―――――――――――――――――――


 私は今日まで西山の姿をこんな形で見るとは思いもしなかった。捜査会議で机の上には山添をはじめ、組織の構成員の写真が並べられていた。その中に西山の写真があった。


(あの人が・・・。まさか・・・)


 私はそれをじっと見ていた。するとそれに気づいた荒木警部が私に言った。


「奴は西山順二だ。元城西署の捜査課の刑事だ。」


(やっぱりあの人だ。でもなぜあの人が・・・)


 私には複雑な思いがあった。荒木警部は西山について話した。


「西山について調べてある。奴の婚約者の東堂加奈子は潜入捜査官だった。3年前、彼女はアルフ国の領事館を探っていた。麻薬のシンジケートの関係者がいるという情報を得てな。だが正体がばれて殺されてしまった。多分、領事のジェンキンが犯人だ。彼がシンジゲートのボスに違いない。」

「それで捜査はどうなったのですか?」

「その事件は領事館が絡んでいたから、犯人を捕まえるどころか、満足な捜査もできなかった。西山は激しく上に抗議したが、それでも通らなかった。それからすぐに西山は警察を辞めた。」

「それがどうして麻薬組織に?」

「西山は法の力ではどうすることもできないと思ったのだろう。だから西山は自ら組織に潜入した。」

「それでは西山は・・・」

「ああ、そうだ。ジェンキンを罪に問えないなら、自分の手で裁こうするだろう。」


         ―――――――――――――――――――


 私は彼の気持ちがわかるような気がした。だからこそ止めさせねばならないと思った。


 私は暗くて狭い倉庫の中で足を抱えてじっと座っていた。どれくらい時間がたっただろうか。急に外が騒がしくなった。誰かがこっちに走って来る音がして、大きな声で私の名を呼んでいた。


「日比野! 日比野!」

「日比野! どこだ!」


 それは班長たちだった。私と連絡がつかなくなったので、バーに踏み込んで助けに来てくれたのだ。


「ここです! ここにいます!」


 私は大声を上げて助けを求めた。するとドアをガチャガチャする音が聞こえた。


「鍵がかかっている。今開けてやるからドアから離れていろ!」


 そしてドアに「ドーン!」と体当たりでぶつかる音がした。それが2,3度続き、やっとドアが開いた。


「日比野! 大丈夫か?」

「はい。それより山添たちが裏の隠し通路からここを出たようです。」

「なに! 逃げられたか!」

「でも場所はわかっています。第2埠頭の倉庫です。今夜、確かに取引が行われます。午前2時に取引相手に会うようです。それに西山がジェンキンを殺害しようと追って行きました。」


 藤田刑事が腕時計を見た。もう1時半だ。


「2時? それならもう時間がありません。」

「わかった! すぐに行くぞ。」

「はい。」


 私たち第3班の捜査員はすぐに覆面パトカーで現場に向かった。山添たちに気づかれぬようにするため、赤色灯を回さず、サイレンも鳴らさなかった。だがスピードはかなり上げていた。揺れが激しく暗い車内で私は祈っていた。


(間に合って! あの人を殺人犯にしたくない・・・)



 真夜中の闇を斬り裂くように覆面パトカーが湾岸の道路を疾走し、やがて第2埠頭に到着した。電灯の灯りが多くの倉庫の姿を暗闇に浮かび上がらせ、不気味なほど静まり返っていた。倉田班長が指示を与えた。


「各自、注意して山添たちを探すんだ。発見したら連絡しろ。皆で包囲してから取引現場を押さえる。いいな! 日比野はここで待機しろ。」

「いえ、私も行きます。私の拳銃と手錠と無線機を出してください。」

「危険だ。君はここで待機するんだ。」

「いえ、行かせてください。西山に罪を重ねさせたくないんです。お願いです。」

「う~む・・・。わかった。だがくれぐれも無茶はするな。」


 私の頼みを班長は渋々聞いてくれた。それで私は装備を受け取ってすぐに車から飛び出した。早く西山を止めなければ・・・。外は真夜中の冷たい風が吹き渡っていた。


 しばらく探していると、遠くの倉庫の裏に電灯に照らされて2つの人影が見えた。私は拳銃を手にして建物の陰に身を隠した。


(あれは山添とジェンキン。取引現場はここだわ!)


 私は確信した。薄暗い電灯の元で今や、取引が行われようとしていた。幸いにも西山の姿はなかった。あとは応援を呼んで2人を逮捕すればいいだけだ。私は無線を取り出して連絡しようとした。するとそこにもう一つ、人影が急に現れた。


「動くな!」


 鋭い声が響き渡った。それは西山だった。彼は拳銃を構えていた。


「西山! 何の真似だ!」


 山添が大声を上げるが、西山はそれに動ぜずにジェンキンに拳銃を突き付けた。


「3年前、お前が加奈子を殺したんだろう。領事館に潜入していた彼女を。」

「い、いや、知らない・・・」

「嘘をつけ! 何もかもわかっているんだ。証拠もある。しかし外交官特権で罪を問うことができない。だから俺が罪を償わせてやる!」


 西山は拳銃で狙いをつけた。このままでは西山がジェンキンが撃ち殺してしまう・・・。私はとっさにその場に出て行き、西山の前に両手を広げて立ちふさがった。


「やめて! もういいでしょう。ここからは私たち警察が引き受けるわ。」

「あんたは、さっきの・・・」


 西山は私に驚きつつも、眉間にしわを寄せて首を横に振った。


「だめだ。それではまた逃げられる。本国に帰られたらもう打つ手はない。」

「ダメよ! そんなことは私がさせない!  あなたは法を守る刑事だったのよ。復讐なんかしてはいけないわ!」

「俺はもう刑事じゃない。組織にどっぷりつかった薄汚いドブネズミだ。人を殺すなんて何でもない。」

「いいえ。あなたは優しい人のはずよ。私を助けてくれた・・・。そんなあなたが殺人をできるって言うの! それにそんなことをして加奈子さんが喜ぶって言うの! あなたが殺人犯になって・・・」


 私は必死に西山を説得した。そう言われて西山は拳銃を撃てなかった。彼は苦悩に満ちた顔をうつむけ、拳銃の筒先も下がっていった。


「俺には撃てないって言うのか・・・」


 その時だった。その隙をついて山添が拳銃を抜いて私たちを撃とうとした。だが西山はすぐに気づいて、私の横に回って拳銃を構えて山添を撃った。


「パーン!」「パーン!」


 2発の発砲音が響き渡った。山添は胸を撃たれて倒れた。しかし西山も右肩を撃ち抜かれて拳銃を落とした。そして片膝をついて、右肩から流れる血を左手で押さえていた。


「西山さん!」


 私は驚いて彼の元に駆け寄った。ジェンキンはそれを見て、懐から拳銃を取り出して私たちに向けた。


「よくも取引を邪魔したな。2人とも消してやる!」


 私はすぐに振り返ったが、すでにジェンキンの拳銃は私に狙いをつけていた。私は拳銃を抜くこともできない。


「確かにお前の女を殺したのは俺だ。まとめて殺してやる! 死ね!」


 ジェンキンは拳銃の引き金に指をかけた。私は恐怖で身動きができなかった。


「パーン!」


 拳銃から銃弾が放たれた。だがその前に私は西山に突き飛ばされていた。地面に倒れる私が見たのは西山が撃たれた瞬間だった。

 銃弾は西山の胸を貫いていた。辺りに血しぶきがパッと飛んだ。だが彼は倒れなかった。撃たれた胸を左手で押さえながら、ジェンキンの方にゆっくり進んでいた。


「俺はお前を許さない。決して許さない・・・。」

「死にぞこないめ! 死ね! 死ね!」


 ジェンキンはさらに発砲した。だが彼は倒れなかった。ふらつきながらジェンキンに向かっていた。


「ジェンキン! お前を・・・お前を・・・」


 その執念に満ちた姿を見てジェンキンの顔は恐怖で蒼白になっていた。彼はおびえて拳銃をさらに発砲した。


「こ、こっちに来るな! くたばれ!」


 ジェンキンはすべての弾を打ち尽くした。だが西山はそれでも倒れず、ジェンキンをにらみつけて左手を伸ばした。


「う、うわあ!」


 ジェンキンはパニックを起こして叫び声をあげ、拳銃を西山に投げつけた。それでも向かってくる西山に、ジェンキンは後ろを向いて逃げ出した。


「ま、待て・・・」


 それだけ言って、血だらけの西山はその場に倒れた。


 息を切らせながらジェンキンは逃げた。だが倉庫の角まで来た時、急に立ち止まった。そこに藤田刑事が待ち構えていたからだった。ジェンキンはあわてて方向を変えて逃げた。しかしそこでも彼は立ち止った。その前に倉田班長がいたのだ。


「くそ!」


 ジェンキンは舌打ちをしてどこに逃げようかとあたりを見渡した。だが周囲から次々に捜査員が現れた。拳銃の発砲音を聞いて集まってきたのだ。ジェンキンはもうすでに包囲されていた。


「来るな! そばに寄るな! わしはアルフ国の領事だぞ!」


 ジェンキンはわめいたが、捜査員は少しずつ近づいて彼を壁際まで追い詰めていった。もう逃げられない。

 私は血だらけで倒れている西山を抱き起した。彼はまだかすかに息があった。


「西山さん。しっかりしてください!」

「俺の方がドジだな。加奈子の仇を取るどころか、逆に奴に撃たれてしまった・・・」

「西山さん・・・」

「あんたの言う通りかもしれない。あとは任せた。ジェンキンを・・・ジェンキンを・・・。」

「西山さん! 西山さん! 西山さん!」


 目を閉じた西山に私は何度も呼びかけたが、彼はもうこと切れていた。その死顔には悔しさがにじみ出ていた。私はため息をつくと西山をそっと寝かせて立ち上がった。向かうはジェンキンのところだ。

 ジェンキンは曲がりなりにもアルフ国の領事だ。その彼に対して倉田班長をはじめ捜査員たちが取り囲んだものの、外交官特権の件がちらついて何も行動がとれないでいた。だが私はもう覚悟を決めていた。ポケットから手錠を出してジェンキンの前に立った。


「殺人の現行犯であなたを逮捕します。」

「逮捕? 笑わせるな! わしを誰だと思っている。アルフ国の領事だぞ!」


 だが私はそんなことではひるまない。強引にジェンキンの腕を取って手錠をかけた。


「何をする! こんなことが許されると思っているのか! 早く手錠を外せ!」


 ジェンキンは大声で怒鳴った。だが私は彼をキッとにらみつけ、手錠を放そうとしなかった。それでやっと倉田班長は腹を決めたようだった。


「ジェンキンを署まで連行しろ!」

「なんだと! 後で吠え面かくな! 覚えていろ!」


 捜査員たちは、わめいて暴れるジェンキンを押さえつけて連れて行った。私はその様子をじっと見ていた。


(必ず罪を償わせる。西山さんや加奈子さんのために・・・)


 私はそう誓った。それで少しは2人は浮かばれるはずだ。

 辺りはまだ夜の暗闇が支配していた。朝日が昇るまでにはまだ時間がかかる。私が目を下に向けると、そこには血で染まった西山が倒れていた。彼の上着を冷たい真夜中の風が揺らしていた。

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真夜中の銃弾 広之新 @hironosin

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