1-3
昨夜と寸分も違わない丑三つ時、俺はまた病院を訪れていた。
昨日と一つ、違うところがあるとすればそれは目的だろう。
昨日の目的は自尽する事だったのだけれど、今日の目的は命の恩人________名も知らぬ少女に会うことだった。
しかし、懸念事項もあった。
________それは今日、この時間にこの場所で会う約束をしている訳ではないと言うこと。少女が居る保証はなかった。
大人しく昼間に正規の手順を踏んで面会に来ようか、とも考えたのだけれど、少女の名前を知らなかった事と、大勢の人と接しなければならないことに気がついて諦めた。
俺にはまだ、人の集団と接する覚悟がなかった……
「______ごちゃごちゃ考えてても仕方ないよな」
ため息を一つ吐き、手に持つ貯金通帳を握りしめると、昨日と同じように、ゆっくりと鉄骨階段を昇り始めた。
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昇り終えてすぐ、俺は安堵のタメ息を漏らした。
淡い灯りに照らされたベンチ、その右側、真剣な表情で座る少女の姿が確認できたからだ。
少女の近くまで歩み寄ってみても、こちらに気づくような素振りは見せない。よほど手に握られている携帯電話に集中しているようだった。
しかし、どういうことなのだろうか……?
引っ掛かりを覚えつつも少女の正面に移動すると声をかけた。
「良かったよ、居てくれて」
当然、脅かすつもりなんて微塵もなく声をかけたのだけど、少女は肩をピクリと跳ねると、小さく「ひゃっ!?」と声を漏らし、持っていた携帯電話を手から滑らせる。
コンクリートに叩きつけられる形になった携帯電話がカラカラと乾いた音を響かせ、こちらに背を向けて静止する。
「ごめん。驚かすつもりはなかったんだけど……」
「くっ!」
少女は左胸に手をあてがいうっすら苦悶のような表情を浮かべるも、それもすぐに鳴りを潜め、こちらに向き直る。
「なんだー昨日の自殺志願者君か、看護師さんに見つかったかと思ったよー」
言いながら少女は携帯電話を拾いあげ、恐る恐るといった感じで画面を覗き込む________
「________はー、セーフ。よかったー。買い換えたばっかりで画面割れちゃったら最悪だもんねー」
余程安心したのだろう。少女は安堵のタメ息を漏らす。
「昨日、俺を助けようとした時にも、携帯落としたよな?」
引っ掛かりを覚えた事。それは少女が携帯電話を持っていた事だった。
昨日の帰り道、画面が粉々に砕け散った携帯電話を階段横で見つけた。ちょうど少女に助けられた位置の真下で。
他に落ちている物はなかったから、少女が落とした物がその携帯電話であると言う事が推察できたのだ。
当然、見つけてすぐに戻ったのだけど、少女の姿は既になかった。
「あー、うん。でも、大丈夫だよ。ほら!この通り新品になって帰ってきたから!」
少女はじゃじゃーんと効果音を付けて大袈裟に携帯電話を見せびらかすように掲げて見せる。
「お父さんもお母さんも私に激甘だからねー。だから、気にしなくていいよ」
少女は柔和な笑顔をこちらへ向け、ヒラヒラと手を振って見せる。
「そういうわけにもいかない」
俺がここに今日やって来た理由。それは携帯電話を弁償する為。
ずっと握り締めていた貯金通帳と判子を柔らかな笑顔を浮かべる少女の眼前へと突きつける。
「この中に20万くらい入ってる」
小さい頃からコツコツと貯めてきた俺の全財産。俺からすれば相当な大金だ。
携帯の弁償、そして命を救って貰ったお礼としてみれば、きっと安すぎる金額なのだろうけど……
「んー、いらないよ」
少女は笑顔を崩すことなくゆっくりとした所作で首を横に振る。
そして、立ち上がると柵の方へと近づき背中を預けるようにしてもたれ掛かる。
「私、そんなことがして欲しくて君のことを助けた訳じゃないから。だから、気にしないで」
少女は『それにね』と前置きをしてから続ける。
「ちょうど、古くなって買い換えようかなと思ってた所だったから、言い訳考える手間が省けてむしろラッキーみたいな」
小さく舌を出しておどけて見せる。
それは少女なりの拒絶のポーズだった。鈍感な俺にでも、なんとなく理解できる。
このやり取りを続けていてもきっと話は、平行線を辿るだろう。
「……」
一瞬の沈黙。見つめあったほんの僅かな時間。
少女の眉毛尻は徐々に下がっていき困惑が入り交じった笑顔へと変化していく。
……命の恩人であるこの少女を、あまり困らせる訳にもいかないだろう。
「……だったら、そうだな……なにか君にしてあげられる事はないか?」
「自殺志願者君が?私に?」
「ん?ああ、そうだ。……あとその自殺志願者君ってのはやめてくれないか?俺も今となっては反省もしているし、後悔もしているんだ」
「んーわかった。だったらなんて呼べばいい?」
「俺は涼、高木涼だ。君は?」
「私……?わたしは……」
少女は自身の名を訪ねられて一瞬、躊躇するように目を伏せた。しかし、それもほんの僅かな時間の事。再度視線をこちらに向けると少女は告げる。
「________やすみ。私は、やすみ」
これが、やすみと俺がお互いを正しく認識した日。そう、出会いだった。
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