プロニート
るふな
プロニート
いつぶりだろうか、これ程までに高揚感を感じるのは。久方ぶりに僕の心臓は、意に反してハイテンポなビートを刻んでいる。それもこれもつい先日、友人から仄聞したこの一言「俺の先輩、プロのニートやってるよ。」に起因する。
未知なるもの、それは時に思いもよらぬ形で人生に厚みをもたらしてくれる。今日はその先輩とやらにお目に掛かる予定なのだ。好奇心に背中を押されて、僕は待ち合わせの改札前に42分も早く着いた。
街ゆく人々を遠目に眺めては、彼らの私生活に思いを馳せる。彼はどんな仕事をしているのだろう、彼女はこれからどこへゆくのだろう、プロフェッショナルとアマチュアの境界線て、どこにあるのだろう。
様々な思考が溢れ出しては、都会の喧騒の激流に押し流されていった。僕が到着してから20分もしないうちに、啓介はやってきた。
「お、ちゃんと遅刻しないできたな。」
初期アバターのような当たり障りのない格好で現れた啓介は、特に重要な集まりでも無いだろうに、上から目線で開口一番言い放った。高校の同級生の啓介とは、この間のプチ同窓会で再開を果たしたのだが、就活浪人となって項垂れていた僕に、船として機能していない助け舟を、ただただ見せようと提案してきたのだ。
こんなおかしな展開に興味を惹かれないはずがない。今後の人生において参考になるとは微塵も思っていなかったが、とはいえコネを使って内定をもぎ取るほど、今の僕は活力に満ち溢れているわけではない。いっそ底辺を目の当たりにして、僕はまだマシだと自己救済をそのプロニートとやらに求めただけなのかもしれない。
「ところでそのプロニートってなんなの?聞いたことないけど。」
「まぁ、百聞は一見にしかずって。だから来たんだろう。」
啓介は何度も同じ質問をされたように、少しうんざりといった様子でぶっきらぼうに答えた。僕の知り合いの中にも無職の者は、片手で数えられる程度にはいる。あまり表立って話す話題でもないので、無関心という表現が最適解だったが、彼らがアマチュアに該当するというのであれば、話は別だ。当然プロフェッショナルが如何なるものか、この目で確かめたくなるものだ。
駅から歩いて5分、陸橋を渡って公園の端に数人ばかりの人だかりができているのが目に入った。
「あれだ。」
啓介は思い出したように携帯をポケットから取り出すと、徐に電源を切った。
「颯太、撮影は禁止だからね。」
美術館じゃあるまいし、と思いつつも僕も一応携帯の電源を切って、目の前に立ちすくむ人だかりの方へと歩みを進めた。公園の一番端に行き着くと、その一帯だけに柵がなく、民家の1階が大きなアクリル板に仕切られて、中を自由に覗くことができる様になっていた。
中には生活感あふれるコタツとテレビが設置されていて、手前の手すりにはまるで動物園のように、撮影禁止と張り紙が貼られていた。人をかき分けて前に出ると、コタツの左側から何やら非常に親しみのわく人相の男が、顔と手だけを出しているのが見えた。手の中ではルービックキューブが不規則にカシャカシャと回転させられていた。
「先輩、今日も抜かりないなぁ〜。」
一体啓介は何を言っているのだろう。これではただの見せ物ではないか。動物園もどきで脱力した人間を見せられてなんの徳があるのだろうか。いやしかし啓介曰く、この透明な壁越しにいる無気力を具現化したような人間は、その道のプロなのだ。何かしら特別な要素があるに違いない。
僕は食い入るようにコタツと一体化した人間を観察し始めた。ボサボサの髪の毛に、所々整え切れていないヒゲ、眼鏡をかけてはいるが度があっていないのか、常に目を細めて手元に目線を揺蕩わせている。ふと視界に飛び込むのは、彼の手の届く範囲内にティッシュ、リモコン、けん玉、途中で開かれたままの漫画、あらゆる物が散財していた。
コタツの上には正月でもないのにみかんがお供えされている。テレビは観てもいないのにアニメが源泉掛け流し状態だ。よくよく観察してみても、一向に眼前の無気力人間に、プロフェッショナルな要素を見出せない僕は、次第に苛立ちを感じ始めた。何故に貴重な休日のひと時を絞り出して、作品名自堕落の生きた絵画を見せられなければならないのか、これが芸術だとでもいうのか。
「これでプロなのか、こんなんで商売成り立つなら世界中の誰もがニートになっちゃうよ。」
僕が文句を垂れ流すと、啓介は呆れた様子で僕を半ば見下し気味に嗜めた。
「これだからど素人は。お前は何もわかっちゃいない。誰にもできないことをやってのけてるから、プロとしてこの職業が成り立っているんじゃあないか。お前が同じことしても生活できるわけないだろう。」
「どうみたってただダラダラしているだけじゃあないか。あんなの誰にだってできるさ。」
「ほんとにそう思うのか?」
啓介は深淵を覗き見て生還した旅人のように、意味深な発言をした。
「彼には両親はおろか、頼れる身よりは誰1人としていないんだよ。」
「そんなバカな、誰かの援助も無しにどうやって無職でいられるんだよ。」
「それが彼の凄いところさ。」
啓介は目線を六畳一間の生活空間に戻し、羨望の光をその瞳に宿し始めた。それにしてもあのニートには動きがない。動物園に閉じ込められたハシビロコウの方が余程大胆な躍動を感じさせる。
僕の抱いているなんとも形容し難い心のモヤモヤに反して、周りの人だかりからは「これが極致…」だの「素晴らしい」だの訳のわからない過大評価を投げかけているのが聞こえてくる。中には彼を拝み始める者も現れ始めた。
彼を観察するのに飽き始めた僕は、周りの人だかりを何気なく見渡し始めた。ふらふら歩きながら見渡していると、少し離れた後ろ側に、スーツに身を包んだ外国人とそのほか大勢の取り巻きが、こちらを物々しい雰囲気で見物しているのに気がついた。その中の1人がこちらに近づき話しかけてきた。
「失礼デスが、彼ノ知り合いデスか?」
「後輩です。」
僕が答えるよりも先に啓介が長身の外国人に返答した。
「ウチのボスが彼を欲しガッテいます。あれホド攻撃的な惰性ヲ展開できる逸材ハいません。報酬ハ言い値デOKデス。」
僕がすこぶる驚いたアホヅラを呈していると、啓介はまたかといった感じで携帯を取り出した。啓介が携帯をいじってしばらくすると、コタツから生えた手が卓上の携帯を捕まえるのが見えた。
「ん〜?」
力ない声が啓介の携帯の向こうから発せられたと思うと、啓介は淡々と話し始めた。
「先輩、またです。」
「誰ぇ〜?」
「企業っぽいんですけど、え〜と…」
外国人は無言で名刺を啓介に手渡した。
「ホーム…セクリ…セキュリティなんとか、海外の自宅警備会社ですね。代表戸締り役自ら来てます。報酬は言い値でいいそうですが。」
「断っといてぇ〜。」
電話が一方的に切られた後、啓介は慣れた様子で「そういうことですので」とだけ外国人に伝え、携帯の電源を再び落とした。
「出直しマス。」
長身の外国人は非常に残念そうに、ボスらしき貫禄のある大男の元へと戻り、ゴニョゴニョと話し込んでいた。
「一体全体どういうことなんだ?」
僕の情報処理能力はとうに限界を迎え、起きた出来事をありのまま受け流すことしかできなくなっていた。
「まぁ、それが彼の生き様ってことなんじゃない?」
後に聞いた話では、彼はここに集まる人々の献上品で生活を賄っているらしい。啓介はバイトと称して、公園の端の祭壇に集められた供物を、時折先輩の家まで運んではその一部を我が物としているらしい。
驚いたことに、あのプロニートとやらは全く赤の他人の脛を齧って生き延びているのだ。確かに、僕には到底真似できない。僕がただ自堕落な生活に身を落とそうものなら、働けという暴言の斬撃を、ただただ浴びせられて終わるに違いない。僕らがその場を離れようとした時には、研究者らしき人物が「彼には顕在意識がなく、一挙手一投足が潜在意識下で行われている」など、ボソボソと独り言を呟いていた。
それから何日かして、再び僕の好奇心が啓介に掻き乱された。それもそのはず、今回は啓介の例のバイトを手伝えることになったのだ。詰まるところ、先輩との謁見を許されたことになる。
曇天の空の下、駅の改札を出て陸橋を渡り、しばらく歩いた公園の端に向かうと、以前スケスケだった六畳一間の空間に、水玉模様のカーテンがひかれていた。毎日が日曜日の様な生活をしている彼にも休日があるのかと、不可思議な思いに若干の期待を重ねていると、どこからか啓介の声が漂っていた。
スケスケハウスの裏手に回ると、引っ越しでもするのではないかというような大荷物を、啓介がせっせと運んでいる姿が目に入った。しばらく隠れてみていると、家の反対側にまで垂れ流されていたのは、啓介の絶妙に音程を外した鼻歌だったことを認識した。
「お待たせ。」
僕が近寄ると啓介は顎で荷物を差して、僕にも運ぶ様に促した。大小様々な段ボールには手紙やメッセージが添えられている。僕たちはほとんど無言で荷物を家の中の空き部屋に運び続けた。額に汗が滲み始めるくらい往復し、やっとのことで荷物を運び終えた僕たちは、先輩の待つ部屋で少し休めることになった。
「お前、変なこと聞くなよ?先輩忙しいんだからな。」
啓介は重役にでも会いに行くように背筋を伸ばし、先ほど運び終えた荷物に紛れていた茶菓子を片手にドアを開けた。
「先輩、お疲れ様です。」
「うぃ〜。」
生返事と共に目に飛び込んできたのは、先日目撃した無気力人間の面影もない、清潔感のある青年だった。ズラリと並んだ本棚に囲まれて、光沢のあるスーツに身を包み、整えられた髪、キーボードを叩く洗練された手つきに、黒縁メガネの先に覗ける鋭い眼光。全くもって以前見かけた彼とは別人である。
「先輩、友人の颯太です。献上品の運搬を手伝ってもらいました。」
「初めまして。」
「うぃ〜。」
先輩はこちらに一向に興味を示さず、パソコンと睨めっこした目線を逸らさない。
「菓子、置いときますね。俺、お茶入れてきます。」
啓介は邪魔するなよと僕にアイコンタクトをして部屋を出て行った。
「君、俺に話があってきたんでしょう?」
唐突に先輩は僕に語りかけてきた。
「えぇ、これと言って特別な理由はなかったんですが、先輩の生活に興味を持ったのでお話を伺いたいなと。」
「ふ〜ん、下に運んでくれた荷物の中から好きなの持ってっていいよ。バイト代。」
「え、あぁ、はい。あれ、凄いですよね。」
「君はどうして俺が何もしなくてもあれほど贈り物をもらえるかわかるかい?」
「いえ、気になっていたところです。」
「みんな自分より下を探しているんだよ。」
先輩の言葉に思い当たる節がある僕は、鼓動が大きく脈打ち、うっと声が漏れそうになった。
「差し詰め君も、就活に失敗して自分はまだ大丈夫だと思いたくてここにきたんじゃないか?」
僕が押し黙って先輩を見ていると、先輩はようやく手を止めてこちらを見た。
「俺が誰よりも底辺であることで、救われる人がいる。心の救済につながることがある。自分はあいつよりはマシだと思うことで、自尊心を取り戻すんだ。いつしかそれは思想になり、一種の宗教として崇められる様になったんだ。」
「神格化されて供物で生きているってことですか。物凄いですね。」
確かに僕は先輩の体たらくを刮目する以前よりも、自分自身に対しての評価が多少甘口になった様にも思える。
「でも、どうして働かないんですか?」
僕が抱いていた最大の疑問、自分の今後の人生に対する答えになるかもしれない質問を投げかけると、先輩は少し間を空けて、左の棚の本を眺めた。
「断食芸人って知ってる?」
「いえ、知りません。」
「断食をして自分自身を見せ物としていた人のお話さ、なぜそんなことを続けるのかという質問に対して彼は、うまいものを見つけられなかったからと答えた。俺も同じ理由さ。働きがいのある仕事を見つけることができなかった。だから何もしないという選択をした。」
「そんな、先輩まだ若いのに、もしかすると面白い仕事があるかも知れないじゃないですか!」
先輩に向けた言葉なのに、自分自身に対して言っている様な気がした。
「君が仕事を探し始めたのは一年くらい前からか?俺は幼稚園に属しているときに将来の夢を聞かれた時から始まった。みんなはケーキ屋さんだの宇宙飛行士だの好き放題夢を描いていたが、いくら探そうとも俺の興味を惹く様な仕事は存在しなかった。自分の好きでもないことをするのに時間を割くほど俺は暇じゃないんだ。」
「なるほど、やりたいことを仕事にするなら、この間スポンサー契約を持ちかけてきた外国人のとこで働けばいいんじゃないですか?」
「どこかに属するってのは自分の意思とは無関係に、努力しなければいけないんだよ。どこかで頑張りたくないことを頑張るように言われたら、その時点で俺の人生じゃなくなると思ってるんだ。」
理屈は無茶苦茶だが、ここまで振り切れているからこそ、この人のどこかに魅力を感じる人物がいるのかも知れない。
「そうですか、ところで今は何をしているんですか?何かの執筆ですか?」
「いや、何もしていないよ。」
先輩に近づいてパソコンを覗き込むと、真っ白な画面だけが映し出されていた。さっきからカタカタ何かを打っていたのは、仕事のフリだったのか。ますます意味がわからない。
「君は自分に合う仕事を見つけられるといいね。」
優しそうに僕に笑いかけると、お茶の場所がわからないだろうからと、啓介の手助けに先輩は一階へと降りていった。
なんだか期待していたものとは違って、肩透かしを食らった僕は、漠然と何かないかと部屋を眺め始めた。ふとさっき先輩が忙しなく叩き散らしていたパソコンを覗くと、下の方に文字のアイコンが点滅しているのを見つけた。そうか、文字の色が白に設定してあって見えないようにしてあるんだ。そこには僕の求めていた秘密が隠されているようで、内容を覗き見る衝動を抑えきれなかった。僕がドラッグして配色を選択した直後、その内容に僕は喫驚した。
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい…
プロニート るふな @Lufuna
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