呪いをといて

神谷レイン

第1話 出会い

 ――あれは随分と昔の事だ。


 まだ私が王都の中心地から少し離れた、二階建てアパートメントに住んでいた頃。向かいの部屋に住んでいた男の子が妙に私に懐いた。

 その子はまだ五歳になったばかりの幼児で。黄色味がかったバターブロンドの髪にこぼれんばかりの琥珀色の大きな瞳、まだ体のコントロールが利かないのか猫科の獣人特有のひょこっと丸い獣耳と金と黒のシマシマの尻尾を出したままの、実に愛らしい子だった。


 でも子供嫌いの私にとっては、愛らしいとかそんな事はどうでもよくて。本来なら近寄らないし、関わり合いたくもない。子供なんぞ見たくもないぐらいだった。

 だが、その子はとても大人しくて喋っても一言二言。はしゃぐこともないし、懐いても私の邪魔をすることはなかった。だからアパートメントの裏庭に置いてあるベンチで、本を読む私の隣に座るぐらいは許せる相手になった。


 しかし、その子が六歳の誕生日を迎えた時。

 気を許してしまった私はうっかりと聞いてしまった。


『何か欲しいものはあるか? 特別に何かやろうじゃないか』


 そう尋ねればその子は真剣中で少し考えた後、私に問い返してきた。


『なんでもいいの?』

『私に用意できるものであれば』

『ほんと?』


 琥珀色の大きな瞳を向けて尋ねてくるものだから、私はついつい見栄を張って答えてしまった。


『嘘は吐かん』


 そう答えればその子は目をキラキラさせて私にこう言った。


『じゃあ、セージがいい。コタ、セージがほしいっ!』

『な、なんで私を?』


 少々たじろぎながら尋ねれば、満面の笑みで返された。


『セージとケッコンしたいの!』

『……は?』

『セージ、コタとケッコンしてくださいっ!』




 ――思えば、これが運の尽きだったのやもしれん。



 ◇◇◇◇



 二十年後。


 若葉生い茂る初夏。カラッと晴れた空には太陽が昇り、大地を照り付ける。夏の風が木々を揺らし、森の中にある小さな一軒家の中をも通り抜けた。

 その風はテーブルに置いていた一枚の紙を運び、そしてソファで寝ている一人の男の上に落とす。


「……フッ、フッ、ブッェクションッ!!」


 盛大なくしゃみと紙は吹き飛ばされ、共に胸に置いていた魔法書がバサッと落ちた。だが、気にも留めないでむくりと体を起こすと鼻を擦った。


「くそ、折角気持ちよく寝ていたのに」


 私は悪態をつきながら目をしょぼしょぼと瞬かせる。そしてようやく頭が回転し始めた頃、床に落ちた魔法書と紙を拾った。


 ……一体何の紙だ?


 そう思って見れば、その紙はつい先日街に行った時に偶然貰った号外だった。


『王国騎士団、ついに暗闇の森に住むレッドドラゴン討伐成功!』


 見出しはでかでかと書かれ、人々を長年悩ませていた悪しきドラゴンを王国の騎士団が一団となって討伐した記事が載せられている。


 ……ドラゴンね。


 ちらっと見るが記事の内容より、大きく貢献した騎士団随一の剣士の名前に目が行く。そこには昔の知り合いと同じ名前が記載されていたからだ。


「昔の夢を見たのもこれを読んだせいだな。ま、同姓同名の他人だろうが」


 独り言を呟きながら立ち上がり、号外を再びテーブルの上に置く。そしてもう飛ばされないように魔法書を重石代わりに乗せた。


 ……それにしても懐かしい夢だったな。もう二十年ぐらい前か?


 そんな事を思いながら、ぐーっと背伸びをする。そんな折、姿見鏡に自分の姿が映った。

 四十代ぐらいの年齢に、中肉中背で黒い服を身に纏っている男。肩につくぐらいの長さに切り揃えた真ん中分けの黒髪に少々気怠そうな黄色の瞳。


 ……昔から冴えない顔だが、どうして懐かれたのか未だに疑問だな。


 ついついそんなことを思いながら鏡に映る自分をまじまじと眺める。

 しかしそんなことをしているとドアがノックされた。


 ――コンコンッ。


 ……この家に誰かやって来た? こんな森の中の家に、一体誰だ?


 家族も友達もいないのでこの森にやってくる人間はいない。いるとしたら森に迷った狩人か木こりぐらいだ。なので少し警戒しつつ声を返す。


「はい」


 そう答えれば、低い男の声が返ってきた。


「こちらはセージ・アルファークさんのお宅で間違いないですか?」 


 それは私の名だった。どうやら道に迷った狩人でも木こりでもないようだ。


「そうだが。どちら様ですかな?」

「とりあえずドアを開けてもらえないでしょうか? お届け物があるんです」


 ……自分は名乗りもせずにドアを開けろだと? だが届け物ってなんだ?


 私は眉間に皺を寄せて考える。しかし思い当たる節は見つからない。


 ……まあ、危害を加えそうになったら返り討ちにすればいいか。そもそもドアにカギを掛けてないから勝手に開けられるし。届け物が何なのか気になるし。


「わかった。今、開けよう」


 そう返事をして私は身構えながらも玄関に向かい、ドアノブに手を掛けて回し、ドアを開けた。

 だがドアを開けた瞬間、鼻をくすぐる香りがして、すぐ目の前に現れたのはピンク色の花が束ねられた大きな花束だった。


「っ?!」


 思いもよらぬものに私は驚き、そして花束の向こう側にいる男に目を向ける。

 そこにいたのは自分よりも身長が高くがっちりとした体格で、黄色味がかったバターブロンドの短髪に切れ長の琥珀色の瞳を持つ、なかなかの見目麗しい、精悍な顔立ちの美男子だった。

 しかし、見知らぬ男だ。


「一体、これは……届け物と言うのはこの花束か?」


 私は戸惑いながら男に尋ねた。だが、彼はにっこり笑って私に告げた。


「いえ、これは贈り物で。届け物、と言うのは俺の事です」

「……君が? どうして」

「約束したでしょう? ドラゴンを倒すほど強くなったらって」

「は?」


 ……何のことだ??


 クエスチョンマークを頭いっぱいに並べる私に男は花束を持ったまま突然その場に膝を折った。そして戸惑う私に思いもよらぬ事を告白した。


「セージ、改めて申し込みます。俺と結婚してください。この俺、コンスタンテ・ティーグレと」


 熱のこもった瞳に見つめられ、私の中に昔の記憶が蘇る。


『セージ、コタとケッコンしてくださいっ!』


 見かけは全然違うが、あの時の子と男の姿がそっくりそのまま重なる。


 ……ま、ま、まさか、あの二十年前のチビ!? いやいや、全然違い過ぎるだろう!? 二十年とは言え、目の前にいる男は。


 太い首に鍛えられた二の腕に、男らしさに満ちた顔立ちには幼い日の愛らしさなど見る影もない。しかし、残念ながら(?)髪色と瞳は昔のまま。


「俺の事覚えてない?」


 そう言うとポンッと丸い獣耳と金と黒の縞々モフモフの尻尾を出した。


「なっ!」


 ……いやいやいや、何かの間違いだ!


「じょ、冗談は他所でやってくれ!」


 私は悲鳴を上げる様に叫ぶと、そのままバタンッとドアを閉めて鍵もしっかりと掛けた。

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