少女と竜は今日も旅をする

白浜ましろ

Episode1.夜は不機嫌な灯と共に眠れ

夜は不機嫌な灯と共に眠れ


 街中で見上げる夜空よりも、森で見上げる夜空の方が星は瞬いて見える。

 瞬く星の数は同じはずなのに、人気のない森の方が多く見えてしまうとは、随分と星は恥ずかしがり屋なのだろうか。

 そんなことを薄ぼんやりと考えながら、ほお、と少女が細く吐く息がほんのり白く夜空へ溶けてゆく。

 風が奏でてみせるさわざわとした葉擦れの音は、さながら子守唄。

 それに合わせ、穏やかに唄う虫が夜の森をさらに演出していく。

 ぱちっ。火花を散らしながら薪が爆ぜた。

 少女がひとつに束ねた髪紐を解くと、はらりと白銀の髪は落ちる。

 肩口で切り揃えられたそれが、火に照らされて橙に揺れ染まる。

 悪戯に吹き抜ける風が少女の髪を煽り、ついでとばかりに首を撫でていくものだから、彼女は思わず首を竦ませてしまう。

 上体だけ脱いでいたつなぎに腕を通し、そこでほっと息をついた。

 冬の寒さを残す春の始め。薄手の上衣だけで寒いときには、防寒にも優れた飛行服のつなぎは便利だ。

 それでもまだ肌寒さは覚える。

 さらなるぬくもりを得るため、少女は傍で丸くなっていた彼女ににじり寄ると、その懐に暖目的で潜り込もうとする。


「グローシャ、ちょっとあっためて」


 ぱちぱちという音と共に薪が崩れた。

 グローシャと呼ばれた彼女は、ピルルゥと声をもらしながら閉じていた瞳を開ける。

 透き通る橙の瞳は薪の火を映すと、その中で陰影を踊らせる。

 金色の鱗に覆われたグローシャが己の懐へ招くように、どうぞと飛膜を持った前足を上げた。

 常から表情があまり動かぬ顔を柔く緩めた少女が潜り込むと、彼女をすっぽり覆ってしまう。

 そんなグローシャは、少女を背に乗せて空を翔ける程には大きい。

 人から見れば大きな体躯に見えるグローシャでも、竜の中では小型の方。

 触れた金色の鱗はほんのりとあたたかく、それは彼女が灯竜という種だから。

 少女は気に入りのグローシャの首元に顔を埋めた。

 ふわさあという表現が相応しい、それは見事な触り心地の白の体毛。

 頬を寄せ、擦り付ける。

 触れられたのがくすぐったかったのか、グローシャが突としてむず痒そうに身体を震わせ始めた。


「グローシャ……?」


 訝しむ少女の声。

 グローシャの身体が仄かに光を帯び始め、次第に控えめな熱も身体を巡り始める。

 あ、これはしまった。表情は動かずとも、直感した少女はそっとグローシャから身体を離し、そして、さっと腕で己の目を庇った。

 刹那。


 ――カッ、辺り一帯に眩い光が炸裂した。


 明かりに驚いた影は細く伸びて瞬的に消えてしまうも、すぐに戻った夜の気配にほっとする。夜は大きな影だから。

 それまで穏やかに唄っていた虫がふつりと黙り、黙りそこねた風だけが草木を奏でる。

 それに虚しさを感じながら、少女は目を覆っていた腕を下ろす。

 ぱちくりと瞬き丸くなるグローシャの橙の瞳。

 彼女も彼女で、己の光に驚いたらしい。

 光の残滓が燻っているのか、彼女の身体は未だにほんのりと熱を帯び、体内では仄かに灯が明滅し鱗を透かす。

 その証拠に頭部から伸びる二本の角先と、すらりと伸びる尾の先をそれぞれ飾る鉱石にも似たそれが、より強く明滅をしている。

 ピルルルルゥ。自身の尾先を見やって不服そうに鳴くと、次いで少女を見やって橙の瞳をしかめた。

 びっくりした、と文句を訴えている。

 そこでようやっと、少女の表情の乏しい常のそれに変化が生じた。

 何かを堪えるように口を引き結んでいたかと思えば、ふっと小さく吹き出してグローシャから顔を背ける。

 その肩が小刻みに震えているのを見て、グローシャが不満そうにぴたんぴたんと尾を地に軽く叩きつけた。

 ピルルッ、短く鋭く鳴いて訴える。

 誰のせいでこうなったのだ。

 彼女の気持ちに呼応して、明滅する感覚が幾分か速さを増す。


「……ごめ、まってっ……だって、ふふっ、ぅ……」


 こんなにグローシャは不機嫌を訴えているのに、挙げ句少女はうずくまる始末。

 グローシャもこれは面白くない。

 むうとさらに顔をしかめてみせると、拗ねたようにそっぽを向いて丸くなった。

 が、丸くなった先で鼻先に草花が触れてしまい、それが鼻息で揺れるではないか。

 え、ちょっと待って。心の動揺に構うことなく、とある衝動にグローシャは襲われる。

 鼻がむずむずとし、数度ひくついたのちに。


 ――ピルゥッションッ


 くしゃみの勢いで、口から灯が小さな珠になって飛び出ていった。

 灯の珠はぽうとしばし宙を彷徨い、やがて熱を失って夜に溶けた。

 それに切なさに似た寂しさを一瞬抱くも、瞬時に後ろの存在を思い出して振り返る。

 すると、蒼の瞳を丸くした少女と目が合った。

 途端、恥ずかしさに襲われて、グローシャは今度こそ不貞寝を決め込んだ。




「……な、グローシャ。機嫌直して」


 呼びかけてもグローシャは動かない。応えない。

 飛膜を持った前足で顔を隠されては、非力な人の身であるティシェではどうすることも出来ない。

 これはちょっと楽しみ過ぎてしまったか。

 だって、面白かったのだから仕方ないではないか。

 すでに笑いは顔から消え失せ、変化の乏しい常の表情下で少しだけ反省するも、後悔はしていなかった。

 ふうと軽く息をつき、立ち上がる。

 グローシャはしばらく動かなさそうだ。

 しばらく放おっておけば、そのうち寂しくなって顔を出すだろう。

 それまでは離れたところで火に当たっていよう。

 夜も更ける頃だが、眠気はとうに遠ざかってしまっている。

 空を仰げば、先程よりも強く瞬く星々。

 手元に吐いた白い吐息が夜空へ昇る。

 ぱちと薪が爆ぜる中、ほぉーほぉーと梟の声に、落ち着いた虫も再び唄い始める。

 さわざわと葉擦れの音が夜の森に満ちる頃、火に揺れるティシェの影がうごめいた。

 ゆっくりとティシェが振り返ると、影が形を伴って這い出て来るが、彼女は別段驚くことなく手を伸ばす。

 姿形をまとい始めた影を持ち上げると、その手にはひんやりとした冷たさが伝わり、それが一瞬肌に鳥肌を走らせるも、彼女は構わずその場にあぐらをかくと彼を膝上に座らせた。

 影が立体を伴って現した姿は、夜色の鱗に覆われた子竜であり、愛嬌をはらんだ丸い紅の瞳は幼さゆえか。

 その瞳がティシェを見上げ、カロロォと嬉しげに鳴く。

 彼女が彼の首元の灰色毛を撫でると、さらに嬉しげな声を上げた。

 少し硬い毛質。けれども、滑りはなめらか。


「……カロンは好きだな。ここを撫でられるの」


 柔く蒼の瞳を細め、ティシェは表情を和らげる。

 心地よいのか、カロンと呼ばれた影竜は目を閉じ、ティシェに身を委ねる。

 ゆっさゆっさと振れる長い尾がティシェの腹部を叩くも、尾先は丸くなっているために痛くはない。

 だが、それが攻撃に転じると、一気に鋭さを増し武器となるのをティシェは知っている。

 だから、ティシェはしっかりと気を付けてやらねばならない。

 撫でる手が首の体毛から頭部の二本角へと移る。

 ここも今は先が丸いが、攻撃に転じてしまえば瞬時に鋭さを持ち、人の柔肌など簡単に傷つける。

 カロンは幼い個体だ。興奮して流血沙汰になったのは一度や二度だけではない。

 満足しただろう頃合いを見計らって。


「はい、終わり」


 膝上からカロンを下ろす。

 だが、下ろされてからも彼は、カロロロロォと切なげに鳴いては続きを強請る。

 かしかしと小さな飛膜を持つ前足でティシェのつなぎを軽く掻いてみるも、小さくしかめられた蒼の瞳に諦めた。

 ふすっと不満げな息をもらすと、ティシェの横で身を丸める。

 しかし、時折窺うような動きで、彼が紅の瞳がちらちらと見え隠れさせている様は、ティシェを誘っているのだ。

 一緒に寝ようよ。期待するような視線だ。

 夜風がティシェの白銀の髪を揺らし、ぱちと爆ぜる薪の火花をさらう様を眺めながら、彼女は嘆息ひとつ落とした。

 途端、ぱぁああとカロンの顔が明るくなる。

 ティシェが薪へ砂をかけて火を消すと、一気に辺りは夜に呑まれて温度も直様たち消えた。

 カロカロと甘える声が夜の静けさに響き、既に準備していた寝袋にティシェが潜り込む、待ってましたとばかりにカロンも潜り込む。

 ぷはあと顔を出したカロンはティシェへ身を寄せて間もなく、すぴすぴと穏やかな寝息を立て始める。

 寝付きの早さは常であるも、いつも驚きと羨ましさをティシェは抱く。

 眠るカロンを腕に囲みながら夜空を仰ぎ、瞬く星を数える。眠気はやって来ない。


「……今夜も、眠気は遠く」


 諦めた声音が虚しく風に拐われて行く。

 葉擦れの音は子守唄。と思うのに、どうして己の眠りは誘ってはくれないのか。


「……誰かがいなくて、眠気はさらに遠退く夜」


 当てつけのような声。それは誰か、名を口にせずとも伝わる誰か。

 さわざわと葉擦れの音が夜の森に満ちる。

 やがて、細く嘆息に近い息がピルゥと声を伴って落とされた。

 のそりと大きなものがうごめく気配。

 地に控えめに響く足運びの音に、ティシェの視界の隅では輪郭が鈍く浮かぶ灯が掠める。

 蒼の瞳が動くと、不機嫌そうな面をした灯竜を認めた。

 それに表情を緩め、ごめんね、小さく謝をこぼした。

 しばし灯竜の橙の瞳がティシェを見下ろすと、グローシャは尾を一振り、灯の珠を散らして少しばかり乱暴に身体を寝かす。

 器用に自前の飛膜と前足を折り畳み、尾はくるりと巻いて、尾先をティシェの顔付近まで持っていくと、ぽうとあたたかな灯を灯した。

 既に眠るカロンが身動ぎ、今度は彼が己の飛膜に顔を隠した。

 だが、それでもグローシャの灯が透けて眩しかったのか、やがて、とぷんと葉の表面を滑る夜露のような動きで、ティシェの影に沈んでしまった。

 それをティシェとグローシャは互いの顔を見合わせて小さく笑う。

 くすくすと互いに笑い合ったあと、どちらからともなく目を閉じて、更ける夜の気配に身を委ね始める。

 あたたかな灯竜の灯を囲いながら、彼女らの眠りは夜明けの気配がするまで、灯の珠が見守っていた。




 共に旅をする少女と灯竜と小さな影竜の、とある夜のひとこま――旅の一頁だ。

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