往くな今日よ、あるいは早く往ってくれ

@Aithra

『男子三日会わざれば刮目して見よ』

私が学生の頃の話である。

真夜中、それは私が一日のうち最も痛嘆に浸る時間帯であり、また、最も歓喜に歌う時間帯であった。


すなわち、前者と後者との月鼈雲泥である。

付随するメンタルの起伏は甚だしく、このことから、私は真夜中を「躁うつさながらゾーン」と呼称していた。

ああ、別に倣って言う必要はないさ。


このような傾向がいつ頃現れたのかはよく覚えていない。

記憶を辿る限りでは、私が物心のついたとき、それはもう当たり前に備わっていた。

いわば赤子が眠るのと同じく、私にとっては当然の兆候というわけだ。


どうしてかくも感情の落差が顕著になるのか。

そう問われたなら、それはひとえに、一日の境界線があるから、と回答する他にない。


二十三時五十九分五十九秒に至るまで、私は絶望の淵にあった。

ああ、まもなく我が人生の今日が終焉を迎えてしまう、いと悲しいかな、悔いと怯えとは枚挙に遑がなく、濁さず言って、不幸の極北といえる。


ところが、零時きっかりに達してみればどうだろう。

一変して、この上ないほど晴れやかな開放感に見舞われる。

ああ、今日があと二十三時間五十九分五十九秒も残っているなんて、素晴らしい、なんたる天佑だろう、まさに幸福の絶頂といえる。


私は常々、睡眠とは、このやりようのない恐怖心をやり過ごすために獲得した機能だと考えていた。

意識さえ手放してしまえば、なんら感じずに済む。

そのまま朝を迎えた暁には、まったく清々しい心境、もって満ち充ちた日々を送ることが叶うだろう……。

このような悟りの境地に立ったのが、ちょうど十五の夜である。


「オヲルナイト」なる狂気の催しを耳にしたのは、その翌日であった。

曰く、進化の過程に開拓された本能の知恵を踏みつけにし、無理くり理性で夜を徹する──そんな人類史に対する冒涜的な祭典は、平然と営まれているらしい。


私は絶望に暮れ、もはや生きていくに足る活力を失った。

これまでに少なからず、大枠では「仲間」と心得てきた人類が、皆敵に回った気がした。

例えるなら、実は自分だけが地球人で、周りよく似た宇宙人だった、そんな感覚に近い。


もう駄目だ、こんな社会に生きていけるはずもない。

ひたすらに前途への慄きを味わっていたある日のことである。

なんの気なしに視聴していたテレビから、耳を疑う発言が飛び出したのだ。


特殊相対性理論──すなわち、物体が光の速度に近付くほど、時の流れは遅くなる。


私はおそらく、肚のなかからこの世に生誕してきたのと同じだけの衝撃を受けた。

時は不変とばかり思っていたからである。

これまで時間の流れにろくな対策を講じることもなく、ただ傍観していた己を三日三晩呪いたい心持ちであった。


これまで、歴史上の偉人など教科書に落書きする格好の的としか承知していなかったが、このときばかりはアインシュタインに心底感謝したのを覚えている。


私は自宅にあった漫画や大衆小説、その他娯楽に繋がりそうなものを一切処分し、ひたすら物理学に勤しもうと決心した。


すぐさまお年玉の預金を全額おろし、その足で最寄りの本屋を訪ね、「相対性理論」の名のつく本は片っ端から買い漁った。

やたらイラストの用いられたものは子供だましな気がしたので、手にとったのは合本聖書に匹敵する厚みの学術論文をばかりである。


結果、何がなんだか皆目わからぬ文字の羅列であったし、持ち合わせの学力ではとうてい通用しない内容ばかりだったけれど、これもすべては先行投資。

必ずや時間を堰き止めて絶対の安寧を得るのだと志せば、それすら苦ではない。


参考書を貪るように読み漁って、読みふけって──ようやく序文に曖昧な理解が追いついてきた頃。


瞼をこすり、一服入れようかと蹴伸びしたあたりで、窓の外に光が見えた。

気がつくと朝であった。


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