生きるという本能と現相

夏の陽炎

第1話 日々にかしこ

 愛それはなんなのか、

見つけられない。


人に優しく、人を騙さない、傷つけない、“そうした性格の良い人であるべきだ。”


それは、母から幼少の時に求められた人間としての在り方。


だけど、人は完璧ではなく弱いもの。

人には欠点がつきものだということと、生きるとは一筋縄ではいかない難しいものだということ。

それについては語られず…。


いかにして聖人のような人でいられるか、は、“至極難しいことであった。”

というのが成人を過ぎて30手前にした私の感想だ。



 「僕は初めてハリウッドの映画を見た時、架空でありながら壮大な世界観を、映像技術や模型を駆使した演出などでリアルに創り出しているところに感動した。実際には実在しないものを想像力と技術力を結集して映画として実現する、そこに、長い歴史を積み重ね進化してきた人間の偉大さを改めて感じた。夢を見ることは進化を導く。僕はそう思う。様々な人が、今与えられた世界から更により良く快適で幸せな人生を得ることを手助けできる存在になりたい。だから映画を作成する監督に僕はなりたい。」


中学生の時の、進路について考える授業で、三輪行尋みわゆきひろが発表した言葉だった。

興味のないことはとことん忘れる和子かずこだが、この発表は、はっきりと覚えていた。三輪といえば、そう、普通の男子だった。とりわけクラスで目立つわけでもなく、かといって存在感がないわけでもなかった。強いて言えば、集団があってこそのクラスなのだから、彼はその中で必要な構成員という感じだった。だから和子は、三輪を特別視するわけでもなかったが、しっかりと名前も顔も覚えていた。

ところが、この進路の発表は、和子にとっては意外なものだった。三輪はきっとサラリーマンであろう父親と同じくして彼もまじめに勤務する会社員とか、もう少し夢を持って言うなら、企業価値を売り込む営業マンとか、技術を発揮するエンジニアとかになりたいと無難で人気な職業についてを話すと思っていた。

(一体どれほどの才能や知識があってその職業―映画監督になんてなれるのだろう。)

一般的な会社員を父に持ち、母もパート勤務で共働きして家計を支える家庭環境に育つ和子は、飛び抜けた才能と運さえも必要そうな映画監督、その職業に…びっくりした。自分と同じ様に堅実なイメージさえ持っていた三輪からそんな言葉が出てくるなんて予想外だった。


 そういう和子はもう齢、25歳である。短大2年の時は、就職を見つけるのにあくせくした。普遍的な生き方をし、学校でもプライベートでも普通というポジションで生きてきた彼女は、就職も友達や同年代の子より優れなくても“同じくらいにならなくては”とプレッシャーを感じていた。思えば自分は、器用な方ではなかったかもしれない。それでも、不良に走ってしまった人より自分はましだとかなんとか…というプライドを保っていた。

(普通であればいい、多くは望んでいない。必要以上に頑張らなくてもいい。)

そうやって生きてきたのに、社会人になるとは大変なことだと、就活している時、和子は肝を冷やしながら感じていた。だけど、10社くらい回って就職にこぎつけ5年経った今でも勤務は続いている。仕事も慣れて必要な存在になり立場としても潤っている。仕事が忙しい時は忙しく、暇なときは余裕をもてる、そんな平凡な幸せの中生きていた。

そうした日々の中突然それはやってきた。

和子の実家のポストに届いた。

それは、差出人が三輪行尋みわゆきひろの手紙だった。


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