きつねの郵便局

 小学校のすぐ隣には郵便局があった。そこから数ブロック離れたところに、「きつねの郵便局」があった。


 一見普通の郵便局に見えるけれど、郵便のマークの代わりにアルファベットの「H」の横線を二重にしたようなマークを掲げていて、自動ドアの入り口は常に閉まっている。透明なガラスの向こうは清潔に保たれているが、一度も電気がついているのを目撃されたことがない(正確には、営業しているのを目撃しただの中に入っただのという武勇伝はときどき流れるのだけれど、そのほとんどがいわゆる「知り合いの知り合い」経由の信憑性の怪しいものばかりだった)。


 特に怪しかったのは、自動ドアのすぐ向こうに立てられた看板の「定休日」の文字。その「休」の字が「体」という誤字になっていた。それらの怪しさを総合して、誰が呼んだか「きつねの郵便局」と呼ばれていたというわけだった。


 そんな不思議な場所が噂の中だけでなく実際に行ける場所にあるのだから、子供達の注目を集めないはずがない。特に新入生の多い春頃を中心に、多くの児童が探偵ごっこをして、これまた「知り合いの知り合い」から聞いた噂がいくつも飛び交った。


 けれど、毎年どこかで噂の勢いが一気になくなる。まさか鍵のかかった建物の中まで探検するわけにはいかず、どうにもとっかかりがないことをみんなが悟るのだ。今思えば、大人たちだって「きつねの郵便局」を不思議に思っていなかったはずはないのだけれど、彼らにしても、ある程度以上のアクションを選択できず、結局あれはそういうものだと自分の納得させていたのだと思う。


 あえて言えば、敷地内のポストだけが数少ない「手出しできる」対象だった。これがまた奇妙な存在で、まず赤ではなく、透明だった。分厚いプラスチックのような素材でできていて、取り出し口らしきものはない。投函口はあるけれど、少し大きめである代わりに、中に仕切りのようなものがあって、官製はがきはまず入らない。


 この透明なポストの中には、偶然入ったのか子供が興味本位で入れたのか、枯葉や虫の死骸、ガムのゴミなどが入っていた。そして、そんなものに紛れて文字の書かれた紙のようなものがいくつかあった。先に触れたように官製はがきは入らないので、薄い紙を四つ折りやら古式ゆかしい教室手紙の形に折ったものやらが入っているのが常だった。

 「常だった」というか、取り出し口がないので減るはずはない。そうでなければならなかった。


 ある日僕は、思い立ってポストに折り紙の花を入れてみた。「折り紙 百合」で検索してもらえば、どういうものかわかると思う。何を思ったのか、裏面には恐竜の絵を描いてあった。

 これがなんと、次の次の日にポストの中から消えていた。結構興奮したのだけれど、僕はそれを家族にも学校の誰かにも話さなかった。そういう子供だった。


 結局しばらくすると僕も「きつねの郵便局」に飽きてしまった。卒業後、「きつねの郵便局」の周囲は植え込みなんかの植物が伸びっぱなしになり、街の片隅にあるような廃屋と区別がつかなくなった。さらに数年すると、あっさり工事が入って、一帯丸ごと建売の一軒家が並ぶ区画に姿を変えてしまった。


 ただ、それだけの話。

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