第148話 まだ続けるおつもりですか?

 リズリー殿下の後ろにいたのは、馬に乗ったマルティだった。


 彼女はどこか茫然とした様子で馬上から彼を見つめていたが、ハッと息を呑むと急に周囲を見回し慌てだした。


「え? こ、ここはっ……なぜ……何故ここに戻ってきているの⁉」


 そう喚く彼女を、フォレスティの兵士たちが馬上から引きずり下し、私たちの前に跪かせる。


 まだ状況が理解できず、されるがまま連れてこられたマルティに、先ほどまで怒り心頭だったリズリー殿下が、縋るように詰め寄った。


「ま、マルティ、僕を助けにきてくれたんだな? やはり君だけだ。最後まで僕のそばにいてくれるのは」

「リズリー……殿下? あ、あの私は、なぜここに……」

「えっ? なぜここにって……僕を助けにきたんじゃ……」


 マルティの言葉に、殿下が困惑している。

 だから二人に、真実を伝えてあげることにした。


「マルティは、真っ先に逃げ出したのですよ、殿下。あなたが魂を引き剥がされて苦しんでいる間に」

「……えっ?」

「だから精霊たちに頼んで彼女に幻を見せ、ここに戻ってくるように誘導したのです」

「まさか……」


 真実を知ったリズリー殿下が、隣にいるマルティを凝視した。緑色の瞳を零れんばかりに見開き、薄く唇を開いている。


 だけどそこから言葉が零れるより速く、マルティが私に向かって叫んだ。


「誘導したって……ここに戻ってきたのは全て、お姉様のせいだったのね⁉︎ 一体どんな手を使ったのよっ‼ ついさっきまで、ここからもっと離れた場所にいたはずなのにっ‼」

「だから言ったでしょう? 精霊に頼んで、あなたがここに戻るようお願いしたんだって。あなたが見ていた風景は、途中から精霊たちが見せた幻影だったのよ。逃げているように見せかけて、実はここに戻ってきていたの」

「な、なんですって? 余計なことを!」

「……よけ、い?」


 唸るようなリズリー殿下の低い声を聞き、マルティは慌てて口をつぐんだ。

 だけど、時既に遅し。


 勢いに任せて吐き捨てた彼女の言葉の真意を、リズリー殿下は声を震わせながら訊ねる。


「……君は僕を見捨てて、逃げた……のか? 真っ先に……?」


 彼が、穴が空くと思える程マルティを凝視しているのに、マルティは殿下と決して目を合わせず、気まずそうに地面を見つめている。


 問いの答えはなかったけれど、その態度が全てを物語っていた。


 殿下が震える手でマルティの肩に触れようとした時、彼女は突然わっと泣き出すと、地面に突っ伏した。

 額を地面に擦りつけながら、涙ながらに訴える。


「わ、私は殿下に脅されていたのです! 言うことを聞かなければ、クロージック家を廃し、私も殺すと‼︎」


 そこまで一息で言い切ると、今度は顔を上げてアランに訴える。ヘーゼルの瞳には、嘘か本当か分からない涙が滲んでいた。


「だ、だから全て仕方のないことだったのです! 降伏の勧告だって、無理やり言わされたのであって、決して私の本心では……」

「その割には、楽しそうに見えたがな」

「そんなことは決して……ねぇ、お姉様? お姉様なら、分かってくださるわよね? 私は、クロージック家を守ろうとしただけなのっ! お姉様の大切な家を守ろうとしただけなのよっ⁉」


 アランに涙も言い訳も通じないと分かるや否や、今度は縋るような目で私を見てきた。


 もちろん、彼女の言葉が作り話なのは分かっている。

 自分が助かるため、婚約者であるリズリー殿下に、全ての罪を擦り付けようとしていることを。


 そのとき、


「戦い前の威勢がある姿とは大違いだな」


 この場にそぐわない笑い声が聞こえ、皆が声の主に注目した。


 現れたのは、ノーチェ殿下だった。

 傍にはレフリアさんとフリージアさん、そしてルドルフが控えている。


 大精霊に見せて貰った映像では、ルドルフはふらついていたけれど、今はしっかりと自身の足で地面を踏みしめている。


 私の視線を感じ取ったのか、ルドルフが大丈夫だというように、僅かに頷くのが見えた。

 それに私は、微笑んで応える。


 大切な人の無事を確認し安堵する中、マルティを見下ろすノーチェ殿下の青い瞳が、スッと細められた。


「釈明なら、フォレスティ国王の御前で行うといい。まあそれが考慮される可能性は低いだろうが」

「そ、そんなっ……」

「信じて欲しければまずは、お前の婚約者を納得させるべきじゃないか? もの凄い顔で、お前を睨んでいるぞ?」


 そう言われ、マルティはビクッと肩を振るわせた。


 彼女が恐る恐るリズリー殿下を見た瞬間、殿下がマルティを引き倒さんばかりの勢いで、肩に掴みかかった。かなりの強さだったのかマルティの口から、痛いと悲鳴が上がる。


 だがリズリー殿下は構うことなく、一方的にまくしたてた。


「マルティ、僕を裏切ったのかっ‼︎ ソルマン王から救ってやった恩を忘れたのか⁉︎ それに、フォレスティに復讐したいと言ったのは誰だ⁉︎」

「で、殿下だって、フォレスティに霊具を持ち込んだ私を、助けてくださらなかったではありませんか‼︎ 元はと言えば、殿下が助けてくださらなかったから、私は民衆の前で引きまわされたのですよ⁉︎」

「それは君が無断で霊具を持ち込んだからだろっ! あの一件さえなければ、エヴァをバルバーリ王国に連れて帰ることが出来ていたはずなのに……それに、君が愛している証拠を見せろなんて言わなければ、僕がソルマン王に取り憑かれることもなかったんだっ‼」

「全て私のせいだと仰るのですか⁉」


 ノーチェ殿下の前だというのに、二人の罵り合いは止まらない。話はとうとう、どちらが私を追放しようと言い出したのかまで遡っていた。


 アランは呆れたようにため息をつき、ノーチェ殿下は肩を竦めながら、耳に指を突っ込んでいらっしゃる。


 こんな状況でよく言い争いができると、二人の神経の図太さに関心すらしてしまう。


 だけどもうこんな茶番、終わらせなきゃ。


 私は一歩踏み出した。

 両肩に浮かんでいる大精霊が威嚇するように僅かに光を帯びると、言い争いをしていた二人がビクッと震え、ほぼ同時に私を見た。


「まだ、続けるおつもりですか?」


 私が訊ねると、マルティは恐怖で目を見開きながら俯き、リズリー殿下は悔しそうに奥歯を噛みしめた。


 自分を取り囲む兵たちと、アランとノーチェ殿下、そして両肩に浮かぶ大精霊たちに視線を向け、最後に私を精一杯睨みつけると、


「……魔女が」


と一言呟き、全てを放棄したように瞳を閉じた。



 その後フォレスティ軍は、ソルマンが消滅した時点で戦意を喪失し、兵の多くが投降して弱体化したバルバーリ本軍を打ち破ることに成功。


 三百年前の亡霊によって引き起こされたこの戦いは、私たちの勝利で終結した。

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