第140話 血塗れのエルフィーランジュ

 ルドルフが倒れた。

 私たちを守るために、大量のオドを精霊たちに捧げて――


 彼の身体が兵士たちによって運ばれていくのを、私は見ていることしかできなかった。膝から力が抜け、その場にへたり込んでしまう。


「エヴァちゃん‼」


 マリアが私を抱きしめた。

 その手は震え、時折何かを堪えるような声が耳に入って来た。


 マリアは知っていたのね、いいえ――ノーチェ殿下も知っていたんだわ。


 ルドルフが、命の危険を冒してまでして、皆を守ろうと考えていたことを。


 彼ががどれだけのオドを捧げたのかは分からない。

 だけど魔法を掛けてすぐに倒れるくらいだから、きっと膨大なオドを捧げたに違いない。


 それこそ、現世に戻ってこれるかどうか分からない量を――


 私が悲しみに沈む中、


「精霊魔法士と魔術師は今すぐ隊列を組め。精霊の塊への攻撃を開始する」

「我々は盾を構え、精霊魔法士団の前に立て! 相手には実体があるなら、投石器と石弓も効果があるかもしれん! 準備ができ次第、出撃を急げ‼」


 淡々と指示を出すノーチェ殿下と、それを聞き部下に命令を出すウィジェル卿。彼らの言葉を聞き、慌ただしく動く兵士たち。


(悲しんでいる暇なんてないんだわ……)


 握った拳を振るわせながら、下唇を強く噛む。


 ノーチェ殿下もウィジェル卿も、決して薄情なわけじゃない。 

 ルドルフが命を懸けて作ってくれたこのチャンスを、生かそうとしている。


 彼の意思を継いで。


 悲しむだけなら誰でもできる。

 嘆くだけなら後でもできる。


 でも今必要とされているのは……そんなことじゃない。


『後悔は今は無意味です』


 イグニス陛下が倒れられた中、そう仰い、最善を尽くそうとされたノーチェ殿下を思い出した。


 精霊魔術師たちの攻撃が始まった。

 大きな爆発音が響き、精霊の塊が飛び散って消えていく。


 だけど相手は巨大。

 比べてこちらには、捧げるオドにも限界があるし、いつルドルフの魔法が解けるかわからない。


 これからは、時間との闘い。


 そう思った時、突然、精霊魔法士たちを守っていた兵士たちが吹き飛んだ。

 何が起こったのか目をこらすと、精霊の塊から少し離れた後方で、兵達に守られるように立つバルバーリの精霊魔法士達の姿が見えた。


 精霊の悲鳴が響き渡り、フォレスティ軍の頭上に炎の矢が降ってくる。


 どうやら、精霊の塊に手一杯なところに、バルバーリ軍が攻撃を仕掛けているみたい。


 同時に、後方で控えていたバルバーリ本軍も動き出した。


「ノーチェ兄さん、俺も出撃する。ルドルフが倒れた今、同等の力を持つ俺が出ない理由がない」


 低く怒りを押し殺したような声で、アランが申し出た。

 それを聞き、心臓が跳ね上がる。


 アランが戦いたいと思うのは当然だ。ましてや、ルドルフが命を張った場面を目の当たりにしたのだから、その気持ちはより大きくなったのだと思う。


 だけど……恐怖で心臓が掴まれる。

 もしアランがオドを奪われてバルバーリ軍にとらえられたり、最悪死んでしまったらと思うと、全身から血の気が引いた。


 身勝手な考えだって分かっている。


 だけどこれ以上……大切な人を失いたくない。


 しかしノーチェ殿下は、アランの言葉を拒否された。


 それを聞き、アランが声を荒げてノーチェ殿下に反論する。アランのことだからこのままだと、制止を振り切って戦場に出る可能性があるわ。


(私は……一体どうすれば……)


 ここに来て、私は何の役にも立っていない。

 生み出された精霊はソルマン王に奪われ、手も足も出ない。


 自身の無力さに打ちひしがれる。


 何も……何も変わっていないじゃない。

 精霊魔法が使えない無能だと罵られ、嘲り笑われてきた過去の私と、全く変わっていないじゃない……


 ――悔しい。


 力があるはずなのに、魂が傷ついているなんていうあやふやな理由で皆を守ることができないなんて、悔しい。


 悔しい――悔しい、悔しい、悔しい、悔しい、悔しいっ‼


(一体、何が足りないの? エルフィーランジュの心残りは解消したはずなのにっ‼)


 どうしたら傷付いた魂を癒やすことができるの⁉

 上位精霊たちが頑張ってくれたというのに、私自身に問題があったんじゃ、意味が無いじゃないっ‼


 そう思った瞬間、フッと目の前が闇に包まれた。


 暗闇の中には、私一人。周囲には誰もいない。それどころか声すらしない。

 ただただ闇と無音が広がる空間が広がっていた。


 ドクドクと心臓が脈を打っているのが聞こえる。

 この空間に広がる何かを感じ、身体中が緊張しているのが分かる。


 この感覚、知っている。

 

 俯き、憎しみを紡ぎ続けるエルフィーランジュを見たとき、感じたものと同じだ。


 ということは――


「……憎イ」


 か細い声が聞こえた。

 声の方を見ると、何もなかったはずの闇の中に、ぼうっと薄く光るものが見えた。


 銀髪の女性が俯いて座っている。

 思わず彼女の名を呼んだ。


「エルフィーランジュ……?」


 私の声が聞こえたのか、銀髪の女性――エルフィーランジュらしき女性が顔を上げてこちらを見た。


 視界に入ってきた彼女の容貌に、思わず息を呑む。


 ポッカリ空いた目の中には何もなかった。どこまで続いているのかわからない闇が広がっている。

 なのに空いた瞳から絶え間なく血が溢れ、頬を伝って地面に垂れ落ち、足下に大きな血溜まりを作っていた。


 驚いたのは目だけじゃない。

 喉には鬱血したように青紫のあざがついていた。首を絞められたような手の形をしていて、向きからして左手みたい。


 ぽっかりと空いた目。

 そして喉の痣。


 説明なんて必要ない。


 ソルマン王によって三百年前に傷つけられた、そして身体の機能として失った部分だわ。


 ルヴァン王への気持ちを伝え、ティオナの幸せな最期を知ったことで、エルフィーランジュの心残りを解消したつもりでいた。


 確かに解消はした。

 だけどそれと同じぐらい、大切な部分を私は見ていなかった。


 エルフィーランジュが私に与えなかったもの。


 当時の彼女ですら持て余し、心の奥底に封じ込めた、


 ――憎しみという感情。


 エルフィーランジュの心は空っぽだった。


 その中に、フォレスティ王国の民やルヴァン王から、様々な感情を与えられた。中には戸惑ってしまう感情もあったけれど、相談することで解決を図れた。


 だけど憎しみだけは――ソルマン王に誘拐された後に芽生えたもの。


 それとどう向き合えばいいのか分からず、教えてくれる人もいなかった。


 だから、心の奥底に封じ込めた。

 それほど彼女は、際限なく膨れ続ける憎しみに恐怖を抱いたのだ。


 ぽっかりと空いた瞳が、こちらを向いた。


 目線を送られているかすら定かではないのに、確かにこちらを捕らえている気がする。


 全身が、恐怖で硬直する。


 血まみれのエルフィーランジュの唇が動いた。肉声ではなく、頭の中にひび割れた低い声が響く。


『去ッテ――』


と。

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