第99話 異変(第三者視点)

「え、どういうことだ、兄さん!」


 イグニスに呼び出されたアランの驚きの声が、部屋に響き渡った。

 執務机に座ったまま、イグニスは目の前に立つ弟を見上げる。


「言葉のとおりだ。バルバーリ王国国王ヴェルトロ・フラン・ド・バルバーリが倒れた」

「倒れたって……死んだのか?」

「いや、生きてはいるが意識不明で、ずっと床に臥せっているとのことだ」

「原因は? 病か何かか?」

「そこまでは分かっていない」

「そう、か……」


 兄の報告を聞きながら、アランは口元に握った手を当てて低く唸った。


 一番考えられる原因は心労。


 ヴェルトロが強い精神力を持っているようには見えず、受け継がれてきたものを順番が来たから受け取った、そういう印象がある。


 だからこそ、自分の代でバルバーリ王国の滅亡の危機に直面し、今までに無いほどの精神的負荷を受けて倒れた。

 あの王ならあり得る話だ。


 しかし気になるのは、ヴェルトロが倒れたタイミング。


「……リズリーたちが、王都ガイアスタに着いた時期に倒れたってことか? もしかして、エヴァの提案を聞き、ショックを受けたとか……」

「そこまで繊細な御方ではないと思うが」


 嫌みを混じらせる兄の言葉に、アランは確かにと心の中で深く頷いた。


 確かに、精神的にはあまり強くなさそうだが、彼女の提案で体調を崩すほど繊細ではないだろう。でなければ二十五年前に、他国に多大なる迷惑をかけてまでして精霊狩りなど行わなかったはずだ。


 精神的に弱かろうが強かろうが、バルバーリ王国で生まれギアスを使ってきた男なのだから。


 ヴェルトロが原因不明の病で倒れたなら、別の疑問が湧き上がる。


「じゃあ今国を治めているのは誰なんだ? もしかして、前王妃であるメルトアか?」


 メルトアは、未だにバルバーリ王家に強い影響力を持っている。摂政として、倒れてしまった息子の代わりを務めても不思議ではない。


 しかしイグニスは首を横に振ると、僅かに表情を強張らせた。


「……現在バルバーリ王国を統治しているのは、リズリー・ティエリ・ド・バルバーリだ」

「えっ? ま、まさか……あの男が?」


 アランの唇から信じられない気持ちが言葉となって洩れる。


 あり得なかった。

 先日の一件でリズリーの無能さは周辺諸国にも伝わり、評価も地に落ちたはず。


 そんな人物を――例え王太子であっても、臨時統治者として表舞台に立たせるなど正気ではない。

 リズリーを操り人形にして旨い汁を吸おうとしている者がいるなら話は別だが。


(いや、むしろそちらの考えの方が可能性として高い)


 そう結論づけたが、次に交わしたイグニスとの会話に、再び分からなくなってしまう。


「困惑しているようだな、アラン」

「まあ……ね。だってあの王太子の無能ぶりはもう皆が知っているはずなのに、王国の連中もよく認めたなと思って」

「だが、国民からの評判は悪くないようだ。父親とは違い、王国内の異変に強固な姿勢で取り組み、国民からの支持を得ているらしい。今後大々的に精霊狩りを行い、自国の利益を守ると宣言している。ヴェルトロ王が倒れたのも、この宣言の中で公開された情報だ」

「ばっ、バカなのか⁉ そんなことをすれば、他国からの非難は免れないだろ? 二十五年前のことを忘れたのか⁉」


 瞳を見開き、アランは執務机を強く叩いた。


 自分が生まれる前ではあったが二十五年前、大切に守ってきた精霊がバルバーリの連中に容赦なく狩られたことを思い、激しい怒りが胸中を渦巻いた。

 同時に遙か昔の記憶が、チリチリと熱を帯びる。


 怒りに燃える弟を瞳に映しながら、イグニスは机の上に置いてあった書類を指でなぞった。


「諜報員たちの報告によると、バルバーリ王国が貴族達を招集し兵力を集めているそうだ。精霊狩りに対する他国の非難の返答が、これなのだろう」

「まさか精霊狩りに反発した国に対し、戦争を仕掛けるつもりなのか?」

「バルバーリ王国側は、あくまで自国の安全を守るためと言っているようだがな。だが、私にはそれだけはないように思えるのだ。今回のバルバーリ王国戦力増強は……フォレスティ王国に戦争を仕掛けるための準備ではないかと」


 兄の言葉を聞き、まっさきに思い浮かんだ戦争理由がアランの口を衝く。


「……エヴァを力尽くで奪おうとしているのか」


 これが、救いの手を差し伸べた彼女の提案に対する答え――


 かたや精霊魔法も自国の豊かさも失って滅亡に向かいつつある国と、かたや世界の根幹たる精霊たちに愛され、自国を守る十分な戦力を保有する国。


 どちらが勝利するかは戦う前から明らかなはずなのに。


(それはバルバーリ王国側も分かっているはずなのに……一体何を考えている、あの男は……)


 アランの脳内に、最後に自分の前で床に額を擦りつけていたリズリーの姿が思い浮かんだ。


「それでバルバーリ王国が精霊狩りを始めるってことだけど、フォレスティ王国への被害は?」

「今のところ報告はない。元々、フォレスティ内に霊具の持ち込みは、ヌークルバ関所で厳重に確認しているからな。しかしこの宣言がなされた以上、バルバーリ人のヌークルバ関所からの入国を制限、もしくは禁止することも考えている」


 今のところ、自国への影響がないと聞きアランは胸をなで下ろした。


 だが、精霊がいなくなったことで国が滅びそうになっているというのに、自らの過ちを振り返ることをせず、精霊を道具のように使い続けるバルバーリ王国の姿勢には反吐が出そうだ。


 イグニスが机の上に置いた両手を強く握りながら、表情を改めた。


「これからフォレスティ王国も、早急に兵を集め、国防に注力しようと考えている。慌ただしくなるが、お前は今まで通り、エヴァの傍にいて彼女を守って欲しい」

「もちろんだ。だけどバルバーリ王国が戦いの準備を始めていることは、エヴァには知られたくない。心配をかけたくないんだ」


 大精霊がいない今、エヴァの心配が精霊たちにどのような影響を与えるか分からない。

 セイリン村で、彼女の心配が結果的に野犬の弱体化に繋がったことを思い出し、アランは奥歯をきつく噛みしめた。


 自分がエヴァの立場なら、あんな国が滅んでも良心の呵責に苛まれることはないが、バルバーリ王国のより良き未来を願い、霊具とギアスを捨てるよう提案した彼女は違う。


 自身の心配が結果的に祖国を滅ぼしたとなると、一生の罪として背負うだろう。


 アランの気持ちを察したのか、イグニスは優しく微笑みながら頷いた。


「ことが大きくなれば、いずれは気付かれるかもしれないが、善処はしよう」

「ありがとう、兄さん。もし俺に何か出来ることがあれば言って欲しい」

「もちろんだ。それに、元々お前に会いに帰ってきていたノーチェも、そろそろフォレスティに着くころだろうしな」


 真ん中の兄の帰還を聞き、アランの表情がパッと明るくなった。

 イグニスは表情を緩めながらも、記憶の中の真ん中の弟を思い出し、溜息をつく。


「また研究成果だと言って、長々と精霊魔法の話をされるのはごめんだがな」

「ノーチェ兄さんって昔から、精霊魔法の話を始めたら止まらなかったもんな」


 苦笑いしながら、アランはイグニスの言葉に頷いた。


 しばらく兄弟の昔話に花を咲かせた後、アランは部屋を退室した。廊下を歩きながら、兄の言葉を思い出す。


(まるで人が変わったように……か)


 父が倒れたことで、王太子としての自覚が今更ながら芽生えたのかもしれない。

 よくあることだ。


 しかし、


(何故だ? 何故、そうだと納得できないんだ?)


 最後に見たリズリーの憔悴しきった顔と兄の話を重ねながら、説明出来ない違和感を抱いていた。 

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