第72話 交換(第三者視点)

「あなたの婚約者であるアラン殿下を、私にくださらない?」


 自分と出会って初めて表情を強張らせた姉が、薄く唇を開いたまま固まっている姿に、マルティは酷く愉悦を感じていた。


 自分の知っている義姉は、従順で、ほとんど口答えなどしなかった。稀に反論することはあったが、少し思い知らせてやると、すぐに口を閉ざして従った。


 だが、今の義姉はどうだ。


 いつも粗末な服を身につけ、使用人と同じように働いていたエヴァからは想像できないほど、堂々とした出で立ち。部屋に入ってきた時、一瞬、誰かが間違って部屋に入ってきたのかと思ったほどだ。


 変化があったのは、容姿や服装だけではない。


 あらゆる面で優れた自分を臆すること無く見つめ、まるで対等な関係のように話してくるし、生意気にもマルティの要求まで拒否してきた。


 義姉の変化が、腹立たしくて仕方がない。


 今まで通り、自分の言うことに黙って従っていればいいのだ。

 惨めったらしく、地べたを這いつくばるような生き方こそが、この女に相応しい。


 だから、


(この女からアラン殿下を奪ってやるわ。リズリー殿下と同じようにね)


 フォレスティ王国の発展を目の当たりにした今、エヴァがいなければ簡単に衰退してしまうバルバーリ王国の王太子妃の座に、それほど未練はない。

 

 それに、あれほどの宝飾品をエヴァに与えるような相手だ。

 バルバーリ王国の王太子妃と同等な暮らしはできるだろうし、アランが国王に就く可能性だってゼロではない。


 二度も婚約者を奪われたとき、あの無能はどんな表情を見せるだろう。


 心の中で大笑いをしながら、マルティは無邪気な笑みを作る。


「つまり、私たちの婚約者を交換するのですよ」

「こ、交換って……あなたの言っている意味が分からないわ。私に分かるように説明してくれないかしら」


 紫の瞳を半眼にしながら低い声で問う義姉に、マルティは勝ち誇った気持ちを抑えながら頬骨を持ち上げた。


「お姉さまは、バルバーリ王国の精霊魔法を支えていた存在だそうですね?」

「……知っていたの?」

「ええ、リズリー殿下からお聞きいたしました。お姉さまから、精霊が生み出されていることを。あなたが勝手にいなくなったせいで、バルバーリ王国は今、大変なことになっているのですよ?」


 どう責任を取るのかと目線で訴えると、エヴァの顔に緊張が走った。動揺を隠すためか、マルティが用意したお茶――温度を注意し、侍女が処分するためにワゴンに乗せたままだったお茶――を口にする。


 マルティも同じようにカップに口を付けながら、陰でニヤリと笑った。


「お姉さまは、リズリー殿下の気を引きたいがために、追放を選んだのでしょう?」

「それも、リズリー殿下から聞いたの? 殿下にはハッキリ違うとお伝えしたのだけれど」

「無理して嘘をつかなくても、マルティにはお見通しですよ? 嫉妬なんて見苦しいですわね」


 エヴァの眉間に深い皺が寄った。

 だがマルティは、図星を指されたから不機嫌になったのだと解釈し、言葉を続ける。


「このままバルバーリ王国に帰ったところで、私とリズリー殿下が結婚すれば、あなたはまた嫉妬から国を飛び出してしまうでしょう? だからお姉さまとバルバーリ王国のために、私が身を引いて差し上げるのよ」

「……私とリズリー殿下との婚約を再度結ばせ、婚約者が不在になったアラン殿下とあなたが婚約するってこと?」

「そうすればバルバーリ王国は救われ、アラン殿下も婚約破棄されたという悪評を買うこともない。ここまで話せば、頭の緩いお姉さまにも理解ができるのですね?」


 挑発したが、エヴァの表情に変化はない。

 ただこちらを見つめる視線に、鋭さが増した気がした。


 怒りを感じているのにひた隠す義姉の様子が、楽しくて仕方が無い。


「それにこれは、アラン殿下のためでもあるのですよ? 殿下は、お姉さまが不敬罪で追放されたことをご存じなのかしら?」

「ええ。全てを知った上で、殿下は私を受け入れてくださったの」


 そう話すエヴァの声色が、心なしか明るい。表情も先ほどと比べて、柔らかいものへと変わっていた。どこか誇らしげに告げる義姉の姿に、再びマルティの心が嫉妬で埋め尽くされる。


(もし隠していたなら、アラン殿下にばらして、私との婚約の優位性を高めることができたのに……)


 残念に思うと同時に、何故そんな女を婚約者にしたのかと疑問が浮かぶ。


 エヴァはクロージック家から勘当され、何一つ後ろ盾はもっていない。

 さらにバルバーリ王家からは、不敬罪で追放までされた。そんな相手と婚約する理由など、一つしか無い。


「それはお姉さま自身を受け入れたのではなく、あなたがもつ精霊を生み出す力を求めて仕方なく、ではなくて? 殿下もお可哀想だわ。精霊なんて下級の存在のために、罪人であるお姉さまと婚約を結ばれたなんて」


 アランを想い、わざとらしく瞳を潤ませるマルティ。

 それをジッと見つめるエヴァの視線が、益々鋭くなる。


 無言の姉をあざ笑いながら、マルティは朗々と語り続ける。


「でも私は違うわ。罪人でもないし、クロージック家という後ろ盾もある。それに、聖女と讃えられる優れた力もね。どう考えても私と婚約したほうが、アラン殿下のため、フォレスティ王国のためになるわ。それに、精霊を生み出す力しか持たないお姉さまと違って――」


 背もたれに身体を預け、両腕を組んだマルティの赤い唇が、ニィっと上がる。


「私を欲しがらない男性なんて、この世にいないもの」

 

 エヴァは完全に沈黙した。

 そんな彼女に、追い打ちとばかりに言葉を突き刺す。


「お姉さまのお気持ち、分かります。怖いのですね? またあなたの婚約者が、私を選ぶことを恐れているのでしょう?」

「……アラン殿下は、そんな方じゃないわ。それにあの方と結婚しても、あなたは王妃にはなれないのよ? すでに兄君であるイグニス様が、国王の座につかれているもの。あなたはリズリー殿下と結婚し、王妃になりたかったのでしょう?」


 精一杯の抵抗だろう。

 だが勝利を確信しているマルティの心には、僅かな傷すらつかない。


 僅かに肩を振るわせると、口元に手を当てながら、楽しくて仕方ない様子で目を眇める。


「お姉さまの仰るとおりですけど……でも未来は分からないでしょう? 陛下やその御子、そして王位継承権第一位であるノーチェ殿下が今後どうなるかなんて……ふふっ」


 瞳を見開き、息を飲んだエヴァだったが、すぐさま俯くと、膝の上に置いた手を強く握った。拳が微かに震えている。薄く開いた唇からは、絶えず浅い呼吸が繰り返されている。


(そろそろ頃合いね)


 心の中で呟くと、マルティは立ち上がった。


「そうそう、お姉さまに渡したい物があったの。持ってくるから少し待っていてくださる?」


 エヴァの横を通り過ぎた際、こっそりと後ろを振り返ると、銀色の頭が僅かに揺れていた。

 それを見届け、マルティは部屋の外に出た。


 廊下を歩き、自分用にあてがわれた貴賓室へ戻ると、持ってきた大量の荷物の中から、複数の小箱を取り出した。それをドレスの中にあるいくつもの隠しポケットに入れると、再びエヴァの待つ応接室へと向かう。


 ノックもせずにそっと部屋に入ると、ソファーに身を預け、瞳を閉じたエヴァを見下ろした。

 頬を指で突いても、軽く肩を揺すっても、エヴァが起きる様子はない。


 実は、エヴァのお茶には、マルティが用意した眠り薬が入っていたのだ。

 眠ってしまった愚かな姉を見下しながら、隠しポケットに入れておいた小箱の一つを取り出す。


 箱の中に入っていたのは銀色の筒――霊具。


「それにしても、フォレスティ王国の検査もいい加減ね? ヌークルバ関所でもフォレスティ城でも、荷物検査一つしないなんて……」


 隠れて霊具を持ち込み、エヴァが生み出す大量の精霊をギアスで閉じ込めたかったマルティにとっては、好都合だったが。


 恐らく身分の保障された相手だったため、厳しい検査が成されなかったのだろう。


 元々、聖女としての力を取り戻す目的のため、霊具を持ち込むことを画策した。


 目的は、アランをエヴァから奪い、自分が新たな婚約者の座につくことへと変わったが、エヴァが生み出す精霊を閉じ込めた特別な霊具が必要なのは変わりない。


 義姉の胸元で輝くネックレスを指先で弾く。


「お姉さまに幸せなんて似合わないわ。無能のあなたはね、今まで通り大人しくその力を私に差し出せばいいのよ」


 憎々しげに呟き、霊具を握りしめた次の瞬間、


「……大人しく力を差し出せば良い? それ、どういうことかしら、マルティ?」


 その言葉とともに、マルティの手首が強く握られ、手のひらから霊具が転がり落ちた。

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