第54話 それぞれの思惑(第三者視点)

「では、リズリー・ティエリ・ド・バルバーリに、バルバーリ国王ヴェルトロ・フラン・ド・バルバーリからの王命を伝えます。エヴァ・フォン・クロージックを、必ずバルバーリ王国へ連れ戻しなさい」


 フォレスティ王国に向かう馬車の振動を感じながら、リズリーは先日メルトアから伝えられた王命を思いだしていた。同時に、怒りと焦りがこみ上げてくる。

 

 これを達成できなければ、王太子という立場が危うくなる。


 一人息子であるため、両親から溺愛されて育ってきたリズリーは、今まで何でも自分の思い通りにしてきた。今回の婚約破棄も結果的には、お前が決めた相手であるなら、ということで、両親からのお咎めもなかった。


 そんな甘い両親が、王命だと言って、リズリーに責任を負わせることなどしない。きっとメルトアの発言が、今回の王命に繋がっているのだと、安易に想像できる。


(……よりにもよって何故、精霊女王があのエヴァなんだっ‼)


 メルトアへの不満は、自分の思い通りにならなかった元婚約者への怒りへと変わる。


 夜会の時、追放を選んだとは思えないほどの笑顔を浮かべ、立ち去った彼女の姿が思い出され、鳩尾辺りに不快感がこみ上げた。


 何故、わざわざ自分がエヴァを迎えに行かなければならないのかと、納得いかない気持ちが胸中に渦巻く。


 そもそもエヴァがマルティの慈悲に応えていれば、こんなことにはならなかったのに。


(もしかして、僕の気を引こうとしているのか?)


 今まで全くエヴァを相手にせず、マルティばかり愛していたため、自分を振り向かせるために追放を選んだのではないか。


 そんな都合の良い想像まで思い浮かぶ。


 エヴァから見れば、名ばかりの婚約者で会っても邪険に扱われ、無理矢理身体を求められた、という最悪な相手。さらに義妹と浮気どころか、結婚するために架空の罪で追放を画策するような男だ。


 普通に考えれば、どこにリズリーの気を引こうとする要素があるのか疑問しかないのだが、常に自分が優位に立っていたい彼には、エヴァが何故追放を選んだのかの真意が見えない。


 自分勝手な妄想を真実だと確信しながら、フンッと鼻を鳴らして笑う。


(馬鹿な女だ。勝手に嫉妬して……精霊魔法が使えない無能の上に、マルティの美しさの足下にも及ばないくせに)


 だが、相手はバルバーリ王国の恵みと精霊魔法を支えてきたとされる存在。

 何とか連れ戻さないと、国の存続にも関わってくる。


 自分の気を引くために追放を選んだのなら口先だけでも、大切にすると、愛していると言ってやれば、戻ってくる気になるだろう。


 バルバーリ王国に戻ってきたら、こっちのものだ。


 二度と逃げられないように監禁する――いやソルマン王はその方法をとらず、血のつながりで精霊女王をバルバーリ王国に縛り付けようとした。


 それならばマルティと結婚後、自分の側室にでもして豪勢な生活をさせてやれば、エヴァも満足してバルバーリ王国に留まるだろう。たまには、リズリー自らが彼女の身体を愛してやってもいい。 


 どちらにしても、次なる精霊女王を生み出すため、エヴァには女児を産ませなければならないのだから。


 そう思うと、エヴァを連れ戻すのも簡単な気がしてきた。

 

(それにしても……何故ソルマン王は、クロージック家に精霊女王が生まれると確信していたのだろう。それも長女の血筋から、などという詳細まで……)


 確信がなければ、精霊女王を使った精霊魔法の永久機関を構築することなどできないはず。


(ソルマン王の手記が全て解読されたら、その理由も分かるのだろうか?)


 黒い手帳とその中に書かれた見たことのない文字の羅列を思い出した時、


「殿下? 何を考えていらっしゃるのですかぁ?」


 妙に間延びした甘ったるい声が、すぐ隣から聞こえてきた。

 声の主は、


「マルティ。いや、大したことじゃない。こうして君と一緒にいられるのが嬉しいと考えていただけだよ」

「うふふっ、私もとっても嬉しいです。人目を気にせず、貴方様のそばにいられるのですから」


 口角を上げて笑うマルティの腕が、リズリーの腕に絡みついた。ふくよかな胸が押しつけられ、男の欲望を刺激する。


 メルトアが戻ってきたあの日、全ての話を終えたリズリーはマルティと改めて話す場を設けた。

 エヴァが精霊を生み出す存在だと知っていたのかと尋ねると、知らなかったとは答えたものの、


「確かに、お姉さまのそばでギアスを使うと、精霊魔法の効果が高い霊具が作れることには、薄々気付いておりました。しかし……それを他言したことで、悪意のある者にお姉さまの力を悪用されてはならないと思い黙っていたのです!」


 そう涙ながらに訴えたのだ。

 

 もちろんエヴァの力を独り占めするため秘密にしていたのが真実なのだが、リズリーは簡単にマルティの嘘を信じた。


 現に彼女の力は、困っている貴族たちへの救済に使われていたし、多額の礼金を要求していたのは父親であるヤードで、彼女には何一つ非はないと判断し、許したのだ。


 マルティは、リズリーの頬に触れると、指先で肌をなぞった。


「でも……嘘はいけませんわ。あの愚姉のことを考えていらっしゃるのですね?」

「あ、ああ……やっぱり君には嘘はつけないな」

「愛する人の考えなど、私には全てお見通しです」


 細い指先が、つつっと下りると、リズリーの唇に押し当てられた。

 覗きこんだヘーゼルの瞳が、彼の視線に絡みつく。


「でもご安心ください。万が一、あの姉が戻らなくとも、私の力で必ずバルバーリ王国を蘇らせてみせます。そのために、この身全てを貴方様とこの国に捧げますわ」

「君という人は……やはり、聖女という言葉は、君にこそ相応しい」

「聖女など……私は、貴方様の一番でありたいだけなのです」

「マルティ……」


 リズリーの手が、マルティのスカートの中へと潜り込み、合わさった唇の隙間から、チラチラと赤い舌が絡み合うのが見える。


 王太子の情欲をその身で受け止めながら、マルティの意識は、秘密裏に積み込んだ山ほどの霊具に向いていた。


 リズリーがエヴァを引き取りに向かうと聞いたとき、マルティも同行を申し出た。


 表向きは、姉を連れ戻したいという理由だが、真の目的は、エヴァの近くでギアスを使うことで得られる、大量の精霊入りの霊具を作ることだった。


(まさか、役立たずどもがフォレスティ王国に生きて辿り着いていたとはね……まあいいわ。どうせ、碌な生活も送れていないでしょうに)


 自分の手を振り払ったあの義姉が、どんな惨めな姿で現れるかを想像すると、愉悦がこみ上げてくる。


 精霊を生み出している存在か何だか知らないが、所詮精霊魔法を使えない無能。

 大人しく自分のそばに仕え、その力をよこせばいいのだ。


 精霊魔法が使えなくなったあの日から、マルティの立場と評判は落ちていく一方だが、エヴァのそばでギアスを使えれば、再び聖女として皆から崇め、求められる存在となれる。 


 婚約者の手から与えられる刺激に身をよじらせながら、自分の力に落胆した者、大したことがないと馬鹿にした者、そして張りぼてだと嘲笑ったメルトアの表情を思い出しながら、奥歯をきつく噛みしめた。

 

(王太子妃……いえ、いずれは王妃となって、私を見下した者たちを跪かせてやるわ)


 見下し続けた義姉の正体を聞かされていないマルティは、皆が自分の前に跪く光景を想像しながら、婚約者の頭をかき抱いた。

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