暗中喪索

まっく

真夜中の散歩

 駅から離れると途端に音も光も少なくなる。薄暗い外灯と自動販売機の明かりを便りに、黙々と目的地に向かう。


 凛と胸を張って歩く三崎みさきゆいの後を、相馬そうま奏汰かなたは歩いている。

 奏汰は結の横に並んで、何かを話すべきだとは思いつつも、なかなか足が前に進まず、遅れを取ってしまっていた。

 結も、いつもと少し違う空気をまとった奏汰に、なんて話し掛けようか思案しているのかもしれなかった。


 近付く足音に反応するように、自動販売機の唸りが一段と高くなる。



「真夜中の散歩に付き合ってくれない」


 そんな結からのお誘いが、デートなんかではないと奏汰は理解していた。

 結と会う約束をする度に、その目的を鑑みると不謹慎かもしれないが、奏汰は心臓が数グラム軽くなった感覚になる。

 しかし、今回ばかりは、そんな浮わついてしまった自分に対し、嫌悪感しかなかった。

 結のマフラー越し、今は隠れている右首の辺りに存在するであろうこぶを凝視する。


 未知の細菌が作り出した瘤(植物に出来るクラウンゴール、所謂いわゆる虫こぶ、正確に言えば、の様なもの)が、結の右の首の側面に隆起している。


 結は、その瘤が出現して以来、人の死を予知する能力を獲得してしまった。


 それは限りなく近い未来の。


 その死の未来は変えてしまうとさらに大きな厄災に見舞われるかも知れず、防ぐのを許されていない可能性が高い。

 しかも、見ようと思って見ることも叶わない。

 唐突に頭に流れ込んでくるだけ。


 コントロール出来ない未来視。

 そんな望んでいない能力の獲得と引き換えに、結はいくつの物を失ったのだろうか。


 結と奏汰は可能な限り、その見えた死に立ち合う事にしていた。なるべく死に影響を与えないように、少し離れた場所で。

 そして、心の中で、『人生のゴールおめでとうございます。完走お疲れ様でした』と言って、拍手を送る。


 これまでは、年齢に関係なく、一般に言われる突然死に関する未来視が多く、その他では、病死(入院中や自宅療養)、不慮の事故といったものが全てだった。

 もちろん、亡くした家族や友人などにとっては、心が引き裂かれる様な思いだろうし、受け入れたくない出来事だ。

 しかし、全ての人に運命があるとすれば、それは比較的穏やかな死と言えるかもしれない。

 今回はそのどれとも違っていた。


 奏汰は意を決して、結の横に並ぶ。なるべく、結と同じ場所で同じ方向を見ていたい。


「でもさ、終電でお出掛けする人ってのも、珍しいよね」


 奏汰が並ぶのを待っていたかの様に、結が話し出す。

 横目で結の顔を見ると、努めて明るい表情を作っているみたいだった。


「見た感じ、家に帰る人ばっかりだった気がする」


「でも、意外とたくさん人が乗っててびっくりしたよ」


「三崎さんは、初めて終電に乗ったんだ」


「そうだよ。相馬くんはあるの?」


「大学時代に、飲み会行って盛り上がってカラオケとかで遅くなって、とか」


「えー、相馬くんと夜遊びって、全然結び付かないけどな」


 そう言って、奏汰の目を覗き込む結の表情は真剣味を帯びていた。

 人並みに彼女も作ったし、酒を飲んで羽目を外したりもした。

 それは周りがみんなそうしていたからだし、人と繋がる為には、その流れからはみ出してはいけないような気がしていた。

 今となっては、なぜあんなにも一人でいる時間に恐怖を感じていたのか分からない。

 聖人君子とは言えないけれども、結のイメージする奏汰の方が、奏汰自身ずっと自然体だと思えた。


「この高校で間違いないね。とりあえず、通り過ぎよっか」


 結と奏汰は校門の前を横切る。

 ちらりと学校内を見てみるが、怪しい人影はなかった。


「なんで廃校になったの」


「生徒数が少なくなって、隣の市の高校と統合になったみたい」


 この高校は今日廃校になったばかり。

 廃校と聞いているから余計にそう思うのか、昼までたくさんの人がいたとは信じられないほどの静けさだった。


 今夜、この廃校で一人の男が人生のゴールを迎える。いや、今回の場合、ゴールを迎えると言っていいのか正直分からない。それは初めての事だった。



 結にその男の死の場面が流れ込んで来たのは、病院だった。

 会計待ちをしているその男の元に、友人らしき人物が歩み寄り、偶然の出会いを喜ぶ。

 その友人の場違いな声の大きさに、結だけでなく、多くの人が二人を注視する。

 会話の内容は、自分たちが通っていた高校が明日で廃校になる話。

 一方的に話した後に病院を去る友人を目線だけで見送り、男はスマートフォンを取り出した。おそらく、廃校の情報を調べたのだろう。

 死の場面が流れ込んで来たのは、そのスマートフォンを伏せた瞬間だった。



「何で、それが廃校の当日だって分かったの」


「最後、校舎の屋上から見上げた月が下弦の月だったの」


 結は空を見上げる。


「それで今日か」


「それにね、椅子から立ち上がる時の顔が、なにかを決心した風に見えた。だから、すぐに事を起こすだろうって」


 その男は今夜、廃校になる母校で、自らの命を絶つ決心をしたのだ。


「なんで、この場所を選んだんだろうね。一番いい思い出があるからかな」


「かもね。後は、なるべく人の迷惑にならない場所を、ずっと探してたのかもしれない」


「自宅や街中に比べたら、影響は少ないのか」


「あくまで想像だけど」


「なんか合ってる気がする。彼にはどんな理由があるのかな」


 結には理由があっても許されていない行為。そして、結は二つの意味で止める権利を持ち合わせていない。


 奏汰も好きにすればいいとまでは思っていない。

 でも、止める事が本当にその人の為になるのか。そこに自分のエゴが僅かでも入っていないと言えるのか。

 誰も自分の親しい人に自死を選んで欲しいと思う人はいないだろう。しかし、それだけの為に、自分のその思いの為に、いつ終わるとも分からない苦しい時間を過ごさせるのか。


 人は間違いを犯す。


 周囲の説得に思い止まり、それから素晴らしい人生を送る人もいるだろう。

 同時に、人は間違いを犯すなら、説得する側が間違う場合も少なからずあるという事だ。


 たけど奏汰は、それが大切な人ならば、自分の思いを、エゴを伝えたい。そして、生きるのも死ぬのも否定しない。全くもって無責任だと思う。

 でも、奏汰が逆の立場なら、自分以外の人に、自分の人生に責任を持ってもらいたいとは思わない。


「そろそろ引き返して、もう一度学校の方に行こっか」


「そうだね」


「でさ。相馬くん、難しい顔して、なに考えてたの?」


 結が首を傾げて、下から奏汰の顔を見上げる。たまにするこの行動、ドキドキしてしまうので、出来ればやめて欲しい。


「色々と」


 奏汰は顔を背ける。


「エッチなこととか?」


「何で、そうなるんだよ!」


「わー、相馬くんが怒ったー」


 そう言って、結は小走りで逃げる。

 結がはしゃぐ素振りを見せるのは不安の表れだ。



 校門から校舎の方を見てみると、さっきは無かった黒い塊の様なものがある。

 確かにそうとは言い切れないが、おそらくは。


 一応、周りに人がいないのを確認し、手を合わす。

 今回はやはりゴールとは言えないので『よくここまで頑張って来ました。お疲れ様でした!』と心の中で唱え、拍手を送った。


「今回は何もしてあげられなかったね」


 結は少し肩を落とす。


「そうそう和子さんの時みたいなのは無いよ」


「分かってるんだけどね」


「早く見つけてもらえる様にするだけでも、十分だと思うよ」


「だね……。こんなのばっかりかもだけど、これからも付き合ってくれる?」


「三崎さんが望んでくれるなら、どこまでも、いつまでも」


 結は「よし!」と勢いをつけて、駅の方向へと歩き出す。


「駅前に、二十四時間のファストフード店があったから、そこで始発まで過ごそう」


「来る時、見つけてたんだ」


「そういう嗅覚は、生まれた時から備わってるみたい」



 空を見上げると下弦の月が、その不完全な月が、それでも堂々と真夜中に鎮座している。

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