タイミング
住宅街
「おい、起きろ」
薙の柔らかな声が耳に入ってくる。どうやら、俺は気絶していたらしい。あんなに大口を叩いていたのが情け無い。目を開けると、山井が新鮮な血を切り傷から流しながら俺の腕を肩で背負っていた。
「….ふぅ、ようやく起きましたね。後は自分で歩けます? 私はそうしてくれないと困るんですが」
山井は宝石を砕いて散りばめたような緑髪を荒く振り俺の腕を雑に下ろすと、俺を道路沿いのマンションの壁にもたれかけさせた。
「鹿谷、後は一キロもないぞ。その位、お前なら歩けるだろ?」
「ああ、筋肉は伊達じゃない。敵についても任せてくれ」
「……そうだな、信頼してるよ」
新しく整備されたのか、コンクリートで舗装された道に少しの目新しさを感じる。長年歩かれて年季の入った道と違い、荒い段差がないのがありがたい。山井は履いている厚底のブーツを脱ぎ、中からBluetoothのイヤホンを取り出して耳に付けた。
「やってられませんよ、音楽でも聴かなきゃ。鹿谷さんも聴きます? 片方貸しても良いですよ」
「良いシチュエーションだ。青春だな」
「気持ち悪いですよね、鹿谷さんって言動が」
「傷ついた」
「表情が変わらないから分かりませんでした。ほら、聴くんだったらとっとと受け取ってください」
耳の中に軽く入れると、ラップが所々に差し込まれた不思議な歌が頭の中に響いた。軽妙なリズムに合わせて歌われる語呂合わせの数々は、煩わしくならない絶妙な程度に調節されていて心地よい。
「お前ら、家が近いからってあんまり気を抜くなよ?」
「薙も聴きたいのか、俺のスマホで流してやろうか?」
「はぁ….? お、お前って冷静なのかただのバカなのかどっちなんだ….」
「まあまあ、傷ついて心の奥深くまで抉り取られた時に効くのは音楽ですから。薙も一緒に聴きましょうよ!」
「お前もか..」
スマホはポケットに入っている筈だ、多分。漁ってみるが、中から出てきたのはステンドグラスを力任せに何回も繰り返し叩いたような物体だった。
「ふふっ」
薙が笑った。薙の笑顔が見られただけで、俺のスマホは砕けてもよかったことになる。
「薙、俺はお前のことが好きだ」
「えっ」
「お前の記憶に残り続けたい」
「つ、つ、ついに狂ったのか!」
「もう一度気絶させます?」
気持ちを伝えるなら今しかないだろう。
「今なわけないだろ! せめて家に着くまで待てよ! なんて答えるべきか分からないよ!」
「今しかない、かな、と思って」
「ばーか!! だから童貞なんだよ!」
「付き合ってくれ!」
「家に着いてからにしろって!」
「皆さん! 後ろから誰か来ます!」
「敵か! かかってこい!」
「通勤途中のサラリーマンでした!」
「「ばか!」」
薙が突然立ち止まってアパートを指差した。どうやら目的地に着いたらしい。
「着いちゃったよ!」
「入りましょう!」
「ああ!」
古びて甲高い不協和音を鳴らす階段を登り、部屋へ向かう。終着点は近い。
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