第2話 自分の心が分からない

 家を出てバスに揺られ、どこまで来ただろうか。ボーッとしたまま何時間も走り、景色は全く見覚えがない。何時に出てきたかも時計を見ていないから分からない。そういえばバス代分のお金は財布に入っていたろうか・・・。

 終点のバス停で降りた頃には、満点の夜空が広がっていた。黒い画布に散らされた星はとても近く感じられ、どうやら自分は空気が澄んだ自然が美しい場所に来てしまったらしい。俺の住む場所も大概田舎だが、ここまで星空は美しいだろうか。

 財布の中はさっきのバス代で使いきってしまった。家に帰る交通費もない素寒貧だ。とりあえず野宿でもいいから眠りたい。しかし街灯は無くて、山道か人里離れた場所にあるバス停からは、あまり離れて歩くことができなかった。星空が照らす場所のみを歩き、民家ではないが雨梅雨を防げる丈夫な建物の感触を確かめると瞼が重くなった。

 「おいお前さん、こんな所で野宿するなんて随分と罰当たりだね。」

 頬をつつき肩を揺さぶられ右目を開けると、白い着物に浅葱色の袴を穿いた男性が俺の顔を覗き込んでいた。はっとする美貌にドキリとし、目が覚めてしまった。まじまじと十センチ先にある顔(かんばせ)を見つめると、陽の光を受けて頭頂部が白く見える絹糸のようなさらさらの黒い直毛を耳の辺りで切り揃え下半分は刈り上げた所謂ツーブロック。形よい眉は整えるだけで特に手は加えられておらず、精悍な印象を与える。瞳は切れ長で色気を感じる二重で、鼻筋は通り唇は厚いが下品ではなく、俳優でも十分に通用しそうな色男だった。

「まだ寝ぼけているのかな?」

 苦笑して目尻のしわができ、左目のしたにほくろがあるなと思っていたら、黙って初対面の人の顔を凝視したまま固まっていることに気付き慌てて居ずまいを正して正座になった。

 「これはとんだ失礼を。夕べふらっと外に出たくなってバスに乗ったは良かったのですが、帰りの運賃もないことを思いだし、とりあえず星空を頼りにたどり着けた建物の床で眠ってしまいました。」

 深々と頭を下げた。そして、土足のまま上がり泥まみれにしてしまった神社の廊下が目に入り、顔が青くなった。

「そういえば土足のまま上がってしまいました。掃除いたしますので、雑巾お貸しいただけますか。」

 「分かりました。土足した部分だけお願いします」

苦笑したまま奥へと引っ込み、雑巾を持って戻って来た。

 「とりあえず靴は玄関に持っていくので預かります」

 木の廊下を濡れた雑巾で拭くが、遠慮無く汚れた靴で歩き回ったせいか、中々泥が落ちない。拭いてはバケツの水で雑巾を洗い、また拭いては洗いを繰り返し、汚れがとれて乾いた雑巾で水気をとると一段落ついた。

(神社の掃除なんてしたことないけど、年季の入った建物の泥落としは結構大変なんだな・・・)

 「終わりましたら一服しましょう。あなたの子細をお聞かせ願いたいですし」

 湯気をたてる湯飲みを二つ載せたお盆を持ってさっきの浅葱色の袴を穿いた彼が歩いてきた。

 「子細などそんな、ただの気まぐれですよ。」

 初対面の相手や他人においそれと込み入った悩みなんて開陳したかないし。適当に世間話でもしてかわそうか。

 「一服したらお風呂をどうぞ。沸かしてきましたので」

 「いや、そこまでして頂くわけには・・・」

 にこにこ微笑んだまま彼の視線は俺の頭から爪先まで移動し、つられて視線を辿ると、神社の壁をつたい歩きした際の泥や葉っぱや苔で斑模様。

 「あ~、ではお言葉に甘えて」ポリポリ頭をかいた。

 「えぇ、そうして下さい。そういうわけなので、一服はここでしましょう。」

 掃除したばかりの廊下に腰掛け、外側に脚を出し壁に背を向ける格好で二人前を向いたまま話始めた。

 浅葱色の彼が右手を胸を手に当てながら、「申し遅れましたが、私青葉剛です。あなたは?」当てた手を胸から離して俺に手のひらを向けながら促す。

 「俺は暁。猿渡暁です。」

 俺の名前を聞くと青葉さんはにこりと微笑んだ。これだけで世の女性はイチコロだろうな。やはり神職より俳優か、上背があるし均整のとれた体型だからモデルでも十分に食っていけそうだ。何で人前に出る職業を選ばなかったんだろう。まぁ神職も人前に出ている職業だけど。

 「暁君だね、何歳?」

 笑顔のまま屈託無く問いかけるが、いきなり名前呼びかよと心の中でツッコミを入れた。

 「25です。青葉さんにも聞いていいですか?」

 特に表情を変えずに「32さ。暁君は年より上に見られることはないかい?」

 大有り。まだ十代の頃から二十代に見られていたし、今では三十路だと間違えられることがあるので、彼の言葉は大分オブラートに包まれているというか。

 話す内に湯飲みは空になった。それに気付いた青葉さんは、

「じゃあ風呂場に案内するから、汗を流しておいで」促してくれた。


 体を洗ってから湯船に浸かりながら、今までの流れを思い出していた。ふらっと乗ったバスが知らない土地まで走っていって、帰り賃もないのに遠出してしまうなんて俺はどれだけ抜け作だろうか。それよりもあの青葉さんとは不思議な人だ。見映えのする容姿なのに、特にそれを誇った様子もなく、人懐っこくて訳ありそうな俺をあっさり風呂場に通すとか。適当にバス賃と住所を控えた紙を渡して俺を叩き出したって良いくらいなのにそれをしないのは、のんきなのか何か目的があるのか。ま、俺としてはあの嵐のような家に戻るなんてごめんだし、少しでも家にいなくていいならそうしたいし。

 家にいたくない癖に外に出たら家に帰りたくなるなんて、俺は一体何をしたいのだろうか。

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