惑う黒羊

路傍塵

第1話 黒い羊は思い悩む

 黒い羊と調べると厄介者と出る。俺は黒い羊と呼ばれていないものの、姉から疎まれていると常々感じていた。5歳上の姉・牡丹は気が強く、よく苛められた。

「ちょっと暁、一体これはどういうことなのよ」といった詰問口調で責め立てられたが、いつも張り詰めた様子の姉を和ませたくてよく話しかけた。しかし、俺が話しかけると驚き、逃げようとするからいつも何でだろうと疑問を抱いていた。何故か母は姉に対して高圧的で、特に弟である俺と一緒だと勢いよく扉を開き、眼球が飛び出そうなほど見開いて姉を仇敵であるかのように睨み付けていた。母に「いじめたな?」と決めつけられ、ヒステリックに冤罪を詰られて泣き通した後は特に俺への当たりは苛烈であった。俺に八つ当たりした後ろめたさで一人になっている姉の元に元気付けようと近づいた俺を見て、また姉が俺を苛めていると姉を責め立てる母の悪循環が何年も続いた。母が留守の時には姉と普通に話せるが、母が職場で受けた仕打ちや呪詛の言葉を姉にぶつけるも全くスッキリせず、姉は俺を苛めている自覚があるからこそ自己嫌悪と後悔に苦しみ、母から「弟を苛める性悪な人の心を持たない悪魔」と人格を否定された姉は、いつしか情緒不安定になった。決め手は、母が「あんたのせいで弟の心が壊れる」と姉の行動が彼女一人の責任であると決め付け心を抉り、姉はこっそり自殺を図るようになった。

 姉は昔から料理をしようと包丁を握ればうっかり自分の手を切ったり、大根の桂剥きをしたら大根を持っていた左手親指の第二間接を米粒大に肉を桂剥きしてしまい、辛うじて肉が皮で繋がり、絆創膏で押さえつけて治したことがある。唇の上と鼻の下の間に生えた産毛を剃ろうとカミソリを使えば、カミソリを持っていることを忘れてひげを拭き取るティッシュに刃を立てたまま撫で付け、つまり左手中指の第二間接にカミソリの刃を押して引いてしまったのだ。感触的に五ミリは肉に食い込んだそうで、ちょうど骨の間に上手く刃が入ってしまい、出血はじわ、じわとゆっくり最初は透明な液体が、次第に赤みがかってきた液体がにじみ出てきて戦慄したそうだ。圧迫止血を試みるも、全然止まらず、友達の家に遊びに行っても事態は変わらず、夜になって心臓より高くして圧迫止血をしてやっと止まったらしい。カミソリで傷つけてしまった傷が癒えてからも、左手を動かすと中指の第二間接は一拍遅れて曲がる気がするので、もしかしたら神経を傷つけていたのかもしれないと話していた。だから姉にとって、自殺の選択肢から刃物は自動的に除外されたらしく、紐を見つけては自分の首を絞めていたらしい。首絞め自体は音があまりしなくとも、酸素を求めて漏れる声はあまりに異常で、別な部屋にいる俺にも自殺未遂をしていることが分かった。

 俺を見る姉の目は常に罪悪感で一杯で、自己嫌悪と後悔が複雑に入り交じった見ていてもとても痛々しい。元々面倒見はいい人で、俺が小さい頃は絵本を読み聞かせてくれたり、どこかへ行くときは保護者になってくれたりと、俺自体にはそこまで悪い感情は持っていないようだったので、俺も姉に近寄ることが多かったのだ。だが、姉はいつも母に怯えていて、母は姉に対して常軌を逸するほどの憎しみをぶつけていて、姉というよりも姉を通して見た何かを攻撃するようだった。姉は母に「俺を、弟をいじめてなどいない」と信じて欲しかったが、そもそも姉の話など聞く気のない、姉を信じてなどいない、姉を憎み抜いている母には姉の言葉が届くことは決してないだろうとも思ってしまうほど、あまりに大人げない態度だった。母は姉の心を無自覚に追い詰め、意図的に心を挫き己の意のままに洗脳し弄ぶことが使命だとでもいうように、姉がも最も嫌がり傷付く言葉を選ぶ。心が壊れかけているのは姉の方だ。いきなり怒ったかと思えばボロボロと何時間も泣き、いきなり笑い出したりし、そんな姉を母は「あんたって躁鬱ね」嘲笑った。祖父には「精神病院に連れていけ」と家族が集合した状態で言われ、姉の肩がびくりと動いた。

 俺の家では姉の居場所は無く、俺や母、兄が談笑している部屋に姉がやって来ると、自然と会話が止む。姉が「どうして会話をやめるの?続けてよ」母に言うといつも母は「え、会話の切れ目だよ」と取り繕う。嘘を吐かれたと姉はますます心を閉ざし、しゃべると吃音になるようになり、学校でも母に「あんたの性格じゃ友達は出来ないしいなくなる」元々かけられていた呪いの言葉が邪魔をして教室で一人俯いたり読書をしていることが多かった。

 自己嫌悪で己を憎み呪い、早く死のうと自殺未遂を繰り返す情緒不安定な姉と、姉に嫉妬し憎み、誰かと重ねて責め苛むヒステリックな母を見る内に、女性に対して一切の希望を持てなくなった。姉は感情の起伏が激しいが、別に馬鹿じゃない。むしろ賢しいせいで母に「どうせ娘は私を学がないとバカにしているんでしょ、舐めるな!」とバカにしてなどいないのに被害妄想をもたれ母の「娘にいつも苛められ、バカにされる私って可哀想」劇場の犠牲者になっていた。感情の機微にも敏感であるために、母から向けられる複雑な感情を分析して陸に上がった魚のようにいつも酸欠みたいに苦しんでいた。

 いつか姉が母に「私を嫌いなら無視して、死んだと思ってよ」と心から母に叫ぶも、「はぁ?」と一蹴されていた。母も姉が憎いなら無視すればいいのに、どうしてわざわざ呪詛の言葉を投げ掛け身だしなみに無頓着なら「汚ならしいことね」けなし、その言葉で身なりに気を使えば「色気付いちゃって」と蔑む。前回やれと注意したことも次回はやるなと制止し、己の中の勧善懲悪ではなく気分と世間体に縛られたよく分からないふにゃふにゃした主張で姉を振り回す。そんな姉を操り人形にしようとする母と、母に苦しむも肉親故に憎みきれないがんじがらめの姉を見るのはあまりに心苦しかった。

 成長と共に姉との会話は減っていき、同居しながらもお互いをなきものとして振る舞い、口を聞かなくなって6年になる。

 姉は貯金のために実家から職場に通っているが、いつか実家から出て行くつもりらしい。だが、俺だっていつまでも家にいたい訳じゃない。何となくぶらりと外を歩きたくなって、財布とスマホを持ってバスに乗った。行き先はどうだっていい。とにかく今はここではないどこか遠くへ行きたかった。俺の情緒も大概不安定なようだ。姉のことをとやかく言えないな。

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