32、完成
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「はい、これ、約束の荷だよ」
宿屋の遣いのアデーラは、ルジェナのお屋敷に頼まれていた薬草を卸した。
厨房でそれを受け取ったブレンは代価を払う。
「ご苦労様」
だが、用は済んだはずなのにアデーラは動かなかった。ブレンは気を利かせて言う。
「ルジェナ様に用か? あいにく、今はレッスンの最中なんだが、何か伝えておこうか?」
アデーラは逡巡した。
宿屋で見かけたダリミルらしき男がルジェナを探していたようだと知らせたかったのだが、ここで他の男の名前を出すことがいいことなのかどうか。旦那様とやらに誤解されたら大変だ。
悩んだ挙げ句、アデーラは何も言わないことを選んだ。
「いや、言伝てはいいよ。今日もちょっと顔が見たかっただけだ」
そういうことか、とブレンは納得した。アデーラは続ける。
「本当に健気ないい子なんだ。やっと幸せになれそうでよかっ……」
言葉に詰まるアデーラに、ブレンは穏やかに言った。
「大丈夫だ。うちの旦那様はいい人だよ。ルジェナ様は絶対幸せになる」
「それを聞いて安心した……くれぐれも頼んだよ」
これだけいい人に囲まれているなら心配いらないだろう、とアデーラはほっとした気持ちで屋敷を出た。背中の荷も軽く、この分じゃ早く宿に戻れそうだと足を速めた。だからアデーラは、ずっと気付かなかった。
自分が誰かに後をつけられていたことを。
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再びレグオスが手に入ったことで、私とエーリク様は実験を再開した。
「いよいよですね!」
「そうだな!」
調剤室で久しぶりの調剤服に身を包む。
まずは前回出来なかった、冷やす作業を取り入れる。
エーリク様と並んで準備するだけで、私はわくわくした。
——だけど作業は丁寧に。
じっくりと時間をかけてコプシバの抽出液を作り、それを煮立て、細かく刻んだレグオスをそこに混ぜて——
「一気に冷やす!」
季節柄、氷には困らない。容器の中のコプシバはレグオスに反応したかのように一瞬揺れた。そして。
「あ……! 出ました」
注意深く見ていないと見逃すほどのわずかな反応が現れ、すかさずそう言う。エーリク様が素早く試薬石を使った。息を止めて見守る。
「ルジェナ!」
そのときの、エーリク様の喜びと驚きの混じった顔は一生忘れない。
エーリク様は子供みたいに目を輝かせて、私に試薬石を掲げた。そこにはくっきりと、眠りの成分の反応が出ていた。
「エーリク様!!」
私たちはお互い名前だけ呼び合って見つめ合い、そして次にすることを一気に捲し立てた。
「もう一度同じ実験をして同じ結果が出るか調べよう!」
「はい! 少しずつ条件を変えて同じ反応が出るかも調べたいです」
「もちろんだ、さあ、忙しくなるぞ、ルジェナ!」
「お任せください!」
‡
そして、それから一週間。
ミレナさんとベルナルドさんに怒られたり呆れられたり、心配されたりしながら私とエーリク様は研究室に詰め、
「できた……」
ついに、コプシバとレグオスを反応させて生じる眠りの成分を安定して抽出することに成功した。
ほんのわずかな液体だけど、どれほど貴重なものか。
疲れと睡眠不足から、私はぼんやりした声を出す。
「本当に出来たんですね……」
でも、気持ちはとても満たされていた。やるだけのことをしたのだ。
エーリク様も疲れと満足、その両方を合わせた声を出す。
「ああ、これがおそらく万能薬の眠りの成分……人を健やかにする扉の鍵のようなものだろう」
「鍵、ですか?」
聞き返すと、エーリク様は丁寧に教えてくれた。
「カーティスが見つけたサムエル氏の過去の論文や、我々が独自に集めた万能薬の資料から類推される仮説なんだが」
「はい」
「コプシバには人の体の中に入っていける鍵のようなものがあると思う」
「鍵……」
「もちろん、これは例えだ。だけど、コプシバがその鍵を開けてくれるから、他の薬草の健やかにする成分を届けられるんだと思う」
でも、と私は疑問を口にする。
「それだと、悪いものも届けてしまうんじゃないですか?」
エーリク様は頷いた。
「それが、鍵と表現される所以なんだけど、害のあるものにはこの鍵はおそらく使えない。あるいは、鍵を開けても体のほうが拒否をする」
「不思議ですね。どうしてなんでしょうか」
「それはまだわからないんだ。でも、そこまで仮説を立てたサムエル氏はすごいよ。本当に」
おじいちゃんが褒められた私は、照れてちょっと下を向く。その間もエーリク様は説明を続けた。
「この抽出液と、患者に必要な薬を合わせて処方する」
エーリク様は多分、疲れるとおしゃべりになる人なんだと思う。おばあちゃんもそうだった。
「コプシバによって扉を開けられた患者は、眠りながら体の深いところまで、一緒に飲んだ薬の効き目を行き渡らせる。魔女のすごいところは、その人に必要なものが何か過不足なくわかるところだね。それらを一つの薬にまとめられるところもそうか。魔女の話も聞きたかったな」
本当に、と相槌を打ちながら、私はちょっと切なくなった。みんながここにいたらいいのに。そんなどうしようもないことを思ってしまったから。
エーリク様の声は柔らかく響く。
「しかし、魔女の万能薬をもってしても、怪我や致命的な病気を治すまでは至らない。この万能薬も、魔女みたいにその人に合わせた薬を合わせて作ることができなければ、完全に健やかにするのは難しい」
不調の原因を突き止める努力はまだまだ必要なのだ。だけど、薬の効果を高めることはできる。
エーリク様は満足したように言った。
「差し詰め私たちが作ったこれは、万能薬じゃなくて回復薬ってところかな」
「回復薬」
エーリク様は頷いた。
「いろんな人を健やかにする手伝いをするんだ」
エーリク様のやる気に満ちた横顔を一番近くで見られることを私は嬉しく思った。
「さあ、まだまだやることはあるぞ」
エーリク様は張り切ったようにそう言ったが、
「いけません。ここで一度お二人とも休んでください」
絶妙のタイミングで研究室に入ってきたミレナさんによってまずは休息を余儀なくされた。
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