15、頼りになりそうなメイド
エーリク様は国王陛下のお子様で、王太子殿下のお兄様!?
いや、お兄様とは限らないのか。じゃあ弟? 違う、今はそこはどうでもいい。とにかく偽とはいえ雲の上のような方と婚約してしまった。
——それはクルトさんも心配するし、護衛も必要だわ……。
変なところで納得する。
——あれ? でも。
予想もしていなかったことを聞かされた私は、次から次へと疑問が湧いた。
——おじいちゃんは今の国王陛下はお妃様一筋って言ってたよね? 庶子がいたなんて聞いたことない。でもエーリク様の言い方じゃ誰でも知っていることみたいだし。
私の考えていることを読んだように、エーリク様が言う。
「私の母は王都の外れで細々と薬師をしていてね。お忍びで外に出た父とは、偶然知り合ったんだ」
エーリク様のお母様も薬師だった。
私はなぜか自分の胸がどきんと跳ね上がるのを感じた。
エーリク様は続ける。
「二人はすぐに恋に落ちたらしい。父はまだ結婚も婚約もしていなかったが、母は父の本当の身分を知ってすぐ姿を消した」
エーリク様はさらりと付け足す。
「そのとき私は、すでに母のお腹の中にいた」
「お母様は……エーリク様をお一人で育てられたんですか?」
「ああ。サラドナという町で、母は私を一人で産んで育てるつもりだった」
過去形に私がはっとするとエーリク様は微笑んだ。
「父が母の居場所を突き止めたときは遅かった。母は私を産んですぐに亡くなってしまった」
「そんな……」
「私はその後すぐ、今のバルツァルの家に引き取られた。そこから何不自由なく生活している。ベルナルドともその頃からの付き合いだ。ベルナルドの御母堂がバルツァルの縁のものでね。私もついでに世話をしてもらった」
エーリク様は淡々と続ける。
「私の知らないところでいろいろ揉めただろうけど、誰もが皆、私に優しかったよ。産みの母のことを知らないはずの私が薬草の研究にのめり込んだときはさすがに驚かれたけど、それでも反対はされなかった」
エーリク様の話をなんとか理解した私は、エーリク様の知らなかった一面を知ったことを喜ぶ自分に戸惑っていた。
そう、私はその話を聞いて嬉しかったのだ。エーリク様のお母様も薬師だったなんて。エーリク様もお母様を亡くされていたなんて。
——私と一緒だ、と。
すぐにそんな恐れ多いことを、と打ち消した。でも、感情は感触になって残っている。同じだ、嬉しい、と喜びたがっている私を、私は必死で叱り飛ばす。
——なに考えているの。一緒なわけない。エーリク様は高貴なお方だし、薬師と言ってもきちんと勉強しておられているし。私なんかと全然違う。どうして、どうして、似ている部分を見つけて喜んだりするの?
勘違いしちゃいけない。これは偽の婚約なのだ。
「ルジェナ?」
黙り込んだ私に心配そうに、エーリク様が声をかける。慌てて謝った。
「あ、すみません。驚きすぎて。えと、それでこんな研究所まで作られたんですね。すごいです」
「いや、それはまた別の理由があるんだけど、そろそろ昼にしようか。話の切れ目を待って外に立っているミレナが気の毒だから」
「え?!」
——待ってたの? いつから? 全然わからなかった。
すぐに扉が開いて、ミレナさんが入ってきた。
「お待たせいたしました」
「こちらこそ」
ミレナさんは何事もなかったかのように、研究室の中央のテーブルに昼食を配膳した。
スープにパンと、サラダ、前菜に肉料理。美しく盛り付けられているそれらの料理は、どれも出来立てのようで、とても待っていたなんて思えない。暖め直したのだろうか?
「召し上がれ」
お昼はベルナルドさんとミレナさんも一緒に四人でいただいた。マナーを知らない私はとても緊張したが、手を止める度にミレナさんが教えてくれた。
「すぐに慣れます」
そう言いながら。早く慣れよう、と私は真剣に食事した。
食後のお茶の頃、エーリク様が言った。
「ルジェナには当分、午前中は私とここで研究、午後はミレナとマナーのレッスンを受けてもらう。いいかな」
「あ、はい」
「夜は自由にしてもらって構わない」
それでは、と答える前にミレナさんに言われた。
「念の為申し上げますが、お掃除などは結構ですよ」
「あ……はい」
お見通しだった。
‡
午後はそのミレナさんと初めてのマナーのレッスンだった。意外と褒められたから、自分でもびっくりした。
「以前から思っていましたが、ルジェナさんは姿勢がいいですね」
「そうですか?」
「背筋も伸びていますし、余分な動きがないので、令嬢らしい仕草も叩き込めばすぐ覚えそうです」
「叩き込めば……」
「よかったですね」
「は、はい」
「これならダンスも出来そうですね。エーリク様にダンスも追加するように申し上げておきます」
「ダンス?! そんな踊ったことありませんよ?」
「大丈夫です」
「でも、さすがにダンスは」
「大丈夫ですよ」
「そう……かな」
「ええ」
ミレナさんににっこり笑われると、言い返せないことに気付いた。笑っているのに、有無を言わさない迫力がある。
‡
そして、夜。
生まれて初めての「私付きのメイド」さんと対面するときが来た。
すでに数えきれないくらいの「生まれて初めて」を味わっている私だが、やはり緊張する。エーリク様にお仕えするくらいだから、きちんとした家の人だろう。私がメイドになる方がしっくりくるに違いない。
——どんな人だろう。
考えても参考にする例がなくてわからない。ただただ緊張だけ高まっていったそのとき。
「失礼します」
「はいっ!!」
扉がノックされ、私付きのメイドさんが部屋に入ってきた。
「ヨハナと申します。よろしくお願いします。ルジェナ様」
黒のお仕着せに白のエプロンというメイド服を身に付けたヨハナは、私と同じくらいの年齢に見えた。
「私に様なんてつけなくてもいいですよ」
咄嗟にそう言うと、首を振った。
「そういうことをおっしゃられては困ります」
「え?」
ヨハナは丁寧に、でもきっぱりと告げた。
「ミレナさんからとにかくルジェナ様は遠慮したり、気を遣ったりするだろうから、遠慮せず遠慮しないように振る舞うように慣れていただくのが私の役目だと聞いております」
よくわからない。
「遠慮せず遠慮しないように……?」
思わず繰り返すと、ヨハナは頷いた。
「私からは一切の遠慮せず、ルジェナ様を良家のお嬢様と同じように扱って、心よりお仕えします。ルジェナ様は、遠慮しないでそれに応えてください」
つまり、私がどんなに気が引けてもお嬢様扱いをやめないということだ。
「できるかな……」
弱気になって言うと、
「ミレナさんはさらに私に言いました」
わかっていたかのようにヨハナが続ける
「私がこの役目に選ばれたのは、私がこのお屋敷で一番はっきり物を言うからです」
——そういう理由?!
「ですので、遠慮せずお嬢様扱いさせていただきます。よろしくお願いいたします」
頭を下げるヨハナに慌てて私も言う。
「そんなこと、こちらこそお願いします」
するとヨハナは早速言った。
「お願いなどしなくていいです。それが私の役目ですから」
メイドに詳しくない私だけど、多分ヨハナはとても頼りになりそうだと思った。
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