「普通」の恋って何だろう?

緋雪

第1話 

「え? しゅうちゃん、明日、実家帰んの?」

さくが窓際のサボテンに霧吹きで水をかけながら言う。

「うん。なんかなあ、親父がヤバそうで」

「ふ〜ん。病気なの?」

「前から良くはなかったらしいんだが」

「そっか。じゃ、たまには、元気な顔見せてあげなよ」

朔は何も疑ってないようだった。


「あ、俺、今日、帰るね。明日1限からあるから」

朔は大学生だ。時々、自分の部屋に戻る。

「一緒に暮らすわけにはいかないもんね」

そう言いながら上着を着る。行かせたくない気持ちが俺の理性を吹き飛ばす。

「泊まっていけ」

帰ろうとする朔の背中から抱きしめる。

「あはは」

「暫く会えないんだぞ?」

「大袈裟だなあ。でも、そんな柊ちゃん可愛い」

朔は振り返って軽くキスをする。バニラ味。

「冷凍室のアイス食ったろ?」

「バレた? じゃ、逃げま〜す」

愉快そうに笑うと、朔は帰っていってしまった。



柊平しゅうへい、そろそろ帰ってきたらどうだ?」

父が言った。まだ70代前半とは言え、病には勝てそうになかった。随分痩せて、一気に老け込んでいた。

「次課長クラスになると、そう簡単にもいかないんだよ。父さんが一番わかってるでしょ?」

「お前の務めている会社は大きい。お前の代わりは幾らでもいる。」

「そうかもしれないけど!」

「うちの会社を継げるのは、お前しかいない。そんなこと、お前もわかってるだろう?」

そんなことは最初からわかっていることだった。

「こっちに戻ってきて、早く結婚して、家庭を持って。私だって、早く孫の顔が見たいわ」

母もそう言った。

「……少し、考えさせて欲しい」

俺はそう言うしかなかった。



 実家から逃げるようにして帰ってくると、朔が台所で何かしていた。

「来てたのか」

「うん。誠子せいこさんから、おかず貰ったから、ご飯炊いてた」

「そうか」

「お父さん、帰ってきて会社継げ、って?」

「え?」

「誠子さんに聞いた」

「そうか……」


 上着をハンガーにかけただけで、疲れ果てて、俺は、そのままソファに寝転んだ。

「お疲れ様。何か飲む?」

「ミネラルウォーターでいい」

「はい、どーぞ」

ミネラルウォーターを持ってきた朔の腕を引っ張って、抱きしめた。

「あはは。強引だなあ。おかえり、柊ちゃん」

朔は軽くキスをする。それを逃すまいと、朔の唇を深く長く奪った。


 ピーピーピーピーと音がした。

「ご飯炊けたね」

俺の唇から離れて、朔が笑う。

「お風呂入れてくる。先にご飯食べちゃおうよ」

何で、こいつはこんなにマイペースなんだろう? 何で俺をもっと強く求めてくれないんだろう? そう感じながら、朔の提案に従った。

「ねえねえ、今のセリフさ、新婚さんみたいじゃない?」

楽しそうに笑う。

「新婚さん」……母の言葉が重くのしかかっていた。



 俺は商社の営業次課長をしている。34歳。もう結婚するには遅いくらいの歳になりつつあり、同期や友人たちからも、「結婚しないのか?」と言われるようになっていた。どう見ても男だし、いや、ホントに男なんだけど。


 朔は大学3年生。21歳だ。中性的な顔で、身長は俺より10センチ近く低いが170はあるだろう。いかにも、な、イケメンというよりは、少し少年っぽさを残す。どちらにせよ、女の子にキャーキャー言われているらしい。男女問わず友達は多いが、どう見ても男。いや、こっちも間違いなく男なんだ。


 男が男を愛することを、漫画や同人誌の中ではBLとか持てはやして、凄く美化しているけれど、本当にそうだった時のことを考えたことがあるのか? と、いつも思う。同性愛や性同一性障害については、現実的な話、まだまだ日本では受け入れられていないと思う。漫画ではなく、現実に、そこに、それがあるのに、見て見ぬ振りをする。または、そんなことがあってはならないと、蓋をする。



「誠子さんが言ってた。『伯父さんは柊平に会社を継がせたいって言ってるし、伯母さんも早く結婚して、孫の顔を見たがってる』って」

「そうか」

誠子にもらったおかずで、夕飯を食べながら、朔の話を聞く。誠子は、俺の2歳違いの従姉いとこだ。

「柊ちゃん、どうするの?」

「そうだなあ……」

「お父さんの会社継げても、柊ちゃん、結婚無理でしょ?」

「だよなあ……」

「結婚できても、相手が女の人じゃねえ……」

「ホントに。困ったもんだな」


 洗い物を済ませた朔が、背中から抱きつく。

「いいよ。今日のところは、難しいこと考えるのやめよ」

「そうだな」

「一緒にお風呂入ろ。で、思いっきりやろう!」

「元気だな」

朔の髪をクシャクシャにしながら、俺は笑った。

 とりあえず、今は、考えたくない。今は、朔と果てるまで愛し合いたかった。



 誠子に飲みに誘われた。

「伯父さんの会社、継ぐの?」

「継ぐだけならできるんだがなあ」

「そうよねえ」

誠子は、俺と朔との関係を知っている。俺の恋愛対象が男でしかないことも。家族も知らないことを、唯一、誠子だけが知っている。

「どうしても後継者を作らないといけない程の会社なのかな」

俺が言うと、誠子に真面目な顔で叱られた。

「伯父さんが一生懸命、先代から受け継いだ会社よ。そんな風に言ったらダメでしょ」

「悪かったよ。言い過ぎた。だけど、俺が継いだところで、そこまでだぞ? そこから先は無理だぞ?」

「そうよねえ」

二人してため息をついた。

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