兄弟

あべせい

兄弟



 町内の親睦旅行。旅館の宴会場の舞台に、町内で評判の″兄弟〟があがり、漫才を始める。兄はデブ、弟はやせっぽちの凸凹兄弟だ。


弟「お兄さん、こんにちは。ご無沙汰しています」

兄「なんだ。きのう会ったばかりじゃないか」

弟「いいえ、きょうはいまが初めてですから」

兄「そんな挨拶はいらない。余計なことだ」

弟「きょうはご機嫌がよろしくないのですか?」

兄「そうだ。忙しいのに、こんなところに引っ張り出されて。おれは不愉快だ」

弟「でも、お顔は笑っておられます」

兄「オイ、そんな複雑なことをやらせるな」

弟「お兄さん、きょうはいいお天気ですね」

兄「そうだ。おれのおかげだな」

弟「お兄さんのおかげですか?」

兄「おれが毎日よく働くから、お天道さんが、誉めておられるンだ」

弟「そうです。気がつきませんでした。ごめんなさい。きょうお集まりのみなさまもお元気そうです」

兄「おれのおかげだな」

弟「そうです。お兄さんが、毎日みなさまのご健康を願って、お祈りなさっておられるからです」

兄「わかってきたじゃないか」

弟「ぼくがこうして毎日、安穏と暮らしていけるのも、すべてお兄さんのおかげです」

兄「そうだ。どうしようもないおまえに、おれがいろいろ注意しているから、おまえはきょうまで生きて来られた」

弟「ぼくがすばらしい家族にめぐまれたのも、お兄さんのおかげです」

兄「おれが、おまえのような男でも、我慢してあげるという女性を見つけてきたからだ。すべておれのおかげだな」

弟「お兄さんの家族がすばらしいのも、お兄さんのおかげです」

兄「そうだ」

弟「バカな弟を持っているのもお兄さんのおかげです……」

兄「おれに、バカな弟がいるのも、おれのおかげ!? いや、それはちょっと違う。おまえのバカは、生まれつきだな」

弟「亡くなったお父さんとお母さんがいけなかったンですか?」

兄「いや、おれの親爺とお袋は、出来たひとだ。おまえの両親とは違う」

弟「エッ、ぼくたちは違う両親のもとから生まれた? それで兄弟ですか!?」

兄「いけないか?」

弟「いけないとか、いいという話じゃないでしょ。両親が違ったら、ぼくたちは兄弟じゃないです。世間の人はおかしいと思います」

兄「勝手に思わせておけばいい。兄弟盃(さかずき)や義兄弟という言葉を知らないのか」

弟「お兄さん、それは、常識が通用しない特殊団体の人たちの話でしょ。ぼくたちは……」

兄「同じ町内の住人だ。血はつながっていないが、それでいて兄弟づきあいをしている。そうだろッ」

弟「おっしゃる通りです。お兄さんはすばらしい。でも、お兄さんのご家族は……」

兄「両親と、おれの下に弟と妹が4人いる」

弟「それじゃ、お兄さんは、本当は、7人家族の5人兄妹(きょうだい)じゃないですか」

兄「前振りはそれくらいにしておけ。本題に入ろう」

弟「お兄さん、きょうは3月3日、ひなまつりです。桃の節句ともいいます」

兄「さっきから、それらしい音楽が流れているな。しかし、桃の節句というが、この季節、桃は咲いていない。桃の節句と言うのはおかしいと思わないか」

弟「お兄さん、ご存知の癖に、おひとが悪い」

兄「ひなまつりは昔は旧暦でやっていたンだな。旧暦の3月3日は、いまの1ヵ月遅れの4月3日頃になる。その頃は桃の花が咲くから、桃の節句と呼ぶようになった」

弟「さすがお兄さん、博学、ヨッ、物識りお兄さん!」

兄「因みに桃、梅、桜は同じバラ科の植物だから、見分け方が難しい。一般的に関東では、梅、桃、桜の順に花開くが、北の北海道では、梅、桃、桜が一斉に咲く。梅、桃、桜の簡単な見分け方は、花びらの形が……」

弟「お兄さん、その辺でやめましょう。きょうはひなまつりですから……」

兄「では、ひなまつりの薀蓄を。ひなまつりは元々……」

弟「(兄の話を遮るように)ところで、お兄さん」

兄「なんだ、いいところで邪魔をするな」

弟「世間ではぼくたち兄弟のことを何と呼んでいるか、ご存知ですか?」

兄「『愚弟賢兄』とでも呼んでいるのか」

弟「『愚兄賢弟』という人もいます。ぼくたちの兄弟の場合は、さてどちらか」

兄「愚兄なンてことがあるものか」

弟「まァ、いいです。お兄さん。世間はぼくたちのことを、ライザップ兄弟、って呼んでいるそうですよ」

兄「ライザップ!? なンだ、それ?」

弟「テレビで盛んにCMを流しているじゃないですか。2ヵ月で筋肉質のすばらしいボディを作るって」

兄「知らんな。おれはテレビを見ないンだ」

弟「簡単に言えば、お兄さんが始める前で、ぼくが完成した2ヵ月後です」

兄「始めるって、何をするンだ?」

弟「2ヶ月間、筋肉を鍛えて、スリムで引き締まったボディを獲得する。但し、この間、しっかり食事制限をしなければいけません」

兄「食事制限? おれは、そういうムダなことはやらン」

弟「ムダ? 食事をコントロールすることがムダですか? お兄さん」

兄「おまえ、食べたいものを食べないで、何が楽しい。そんな人生はムダだ。ムダの何物でもない。ムダの極致だ。生きている価値がない」

弟「やめましょう。90キロボディのお兄さんに、食事制限の話をしたぼくが愚かでした」

兄「そうだ。おまえは愚かだ。やっと気がついたか。この愚弟がッ」

弟「お兄さん」

兄「なンだ?」

弟「さきほどお兄さんは、テレビは見ないとおっしゃいましたね」

兄「そんな古い話をもちだすな」

弟「古くはないです。ついさきほどのことです」

兄「いまが全てだ。過ぎ去ったことは、みんな古いことだ」

弟「誤魔化さないでください。テレビを見ないって、どういうことですか?」

兄「テレビを見ないということだ。ほかに何がある」

弟「テレビを、お持ちじゃないのですか?」

兄「テレビくらい、持っている。3台ある」

弟「3台も。テレビが3台もあって、見ないンですか?」

兄「じゃ言ってやろう。最近のテレビはいいことしか言わない」

弟「いいこと、って?」

兄「バラエティや情報番組で紹介されるものは、いいことばかりだ」

弟「いいことを紹介しては、いけないンですか」

兄「愚弟、よォく聞け。いいこととは、取材されている側にとって、都合のイイことばかりだという意味だ。例えば、温泉旅館を紹介する場合なら、その旅館のうまい料理、すてきな風呂、うれしい娯楽施設といった具合に、その旅館のプラス面だけをとりあげる。しかし、この世の中に、完璧なものはない。マイナス面は必ずある。しかし、それを伝えない。マイナスでなくても、課題や問題点も併せて伝えてこそ、情報番組だろう。CMじゃないンだからな」

弟「お兄さん、いまどきそんなこと言っていたら、テレビの取材なンか出来ませんよ。ぼくは前に、テレビ番組をつくる下請けの制作会社でアルバイトをしていたことがありますが、現場はタイヘンなンです」

兄「テレビ番組を制作するバイト、ってかッ」

弟「ハイ」

兄「聞いたことがない」

弟「話したことがありませんから」

兄「そういう大事なことを、どうしてもっと早く言わないンだ」

弟「わずか、半年しか、いなかったンです。だから……」

兄「なんだ。半年か」

弟「でも、一通りのことはわかりました。テレビ局って、他の業種のメーカーと全く同じ。報道機関のはずなのに、金もうけばっかり……」

兄「おまえはそこで何をやっていたンだ?」

弟「グルメ番組の制作スタッフです」

兄「グルメ番組と言うと、伊勢エビや毛ガニを食べるやつか」

弟「まァそうです」

兄「いいじゃないか。うまいものが食べられて……」

弟「テレビを見ているひとはそう思うでしょうね。でも、実際はそうはいかない。いつもいつも、いいことばかりじゃないですから」

 兄は首をひねる。

弟「実際にグルメの取材をするのは、下請けの制作会社です。ぼくがいた『テレアミ』は、ちっぽけな賃貸マンションの一室を事務所にしていて、社員は2人だけ。あとは非正規のバイトばっか。事務所にあるのは、パソコンと電話だけ……」

兄「カメラとか音をとる機材はないのか?」

弟「みんなレンタル。取材のないときは必要ないですから」

兄「そんなものか」

弟「グルメのネタは、別にあるリサーチ会社に依頼して、その情報をもとにロケに行くンです」

兄「ということは、そのリサーチ会社は下請けの下請け、孫請けか?」

弟「そうなります」

兄「テレビ局の人間は何をしているンだ?」

弟「放送局のひとは、プロデューサーがテレアミのプロデューサーを局に呼びつけ、指示するだけです」

兄「それで、おまえは何をしていたンだ?」

弟「ぼくは、下っ端の下っ端ですから、いつも現場を走り回っていました」

兄「それでおまえは、そんなにやせっぽちなのか」

弟「お兄さんも、半年やれば、きっちり痩せられます。ライザップの比じゃないですから」

兄「しかし、うまいものは食べたンだろう?」

弟「たまには。レポート役のタレントは、あちこちで食べなければいけないから、1ヵ所でたくさん食べるわけにはいかない。それで食べ残す。ぼくたちADは、その食べ残しを始末していました」

兄「ゲェッ、食い残しかよッ」

弟「食べ残しといっても、勿論手を付けていない料理ですよ。それに、取材先からは、必ずといっていいほど、お土産が出ます」

兄「土産?」

弟「寿司屋ならニギリの折り詰め、洋菓子店ならケーキの詰め合わせ、焼肉屋なら……」

兄「松阪牛の詰め合わせだろ」

弟「そんなにうまくはいきません。レポーター役のタレントに、さんざん店内で食べさせたあとですから、せいぜい焼肉のタレの瓶詰めです」

兄「だから、グルメのレポーターは、たいしてうまくもないのに、『うまいッ!』『おいしいッ!』を連発するンだな」

弟「当然です。タダほど高いものはないといいますから、タダメシを食ったやつは、魂を売ったのと同じです。もうプライドも何もなくなり、取材先のいいなりです」

兄「テレビも終わりか。末世だな」

弟「話題を変えましょう。季節は春です。まもなく桜が咲きます」

兄「そうだ。桜が咲けば、野球シーズン到来だな。野球と言えば……」

弟「プロ野球が開幕します」

兄「バカ野郎!」

弟「エッ!?」

兄「東京六大学野球だろうがッ」

弟「どうしてですか」

兄「日本のプロ野球は大学野球から始まったンだ。ソウケイ戦を知らないのか!」

弟「そうけい? 早とちりですか?」

兄「それは、早計だろう。早稲田と慶応の試合だ」

弟「早稲田大学と慶応大学の一戦ですね。それなら、知っていますよ。ソウケイなンていうから、わからなくなる。それも言うなら、慶早戦と言ってください。ぼくらはみんな慶早戦と呼んでいます」

兄「ぼくら!?」

弟「何を隠そう。ぼくは、慶応の出身です」

兄「おまえ、慶大出かッ、初耳だ!」

弟「慶大出身なンて言っていません。慶応の出身。慶応予備校の卒業生です」

兄「あン? 予備校だ!? 予備校の出身なンか、どうでもいい。慶大はどうした?」

弟「見事に落ちました。3年連続で」

兄「そうだろうな。その体じゃ、合格は無理だ」

弟「体って、大学受験は体じゃないです。頭でしょ?」

兄「バカはそう言う。大学受験は体力が勝負なンだ。おれさまのように、百キロ近い体があって初めて、受験戦争に勝ち残れる」

弟「お兄さんの出身大学はどちらですか?」

兄「おれの母校か。聞いて驚くな」

弟「驚きません」

兄「おれの出身大学は……」

弟「体力が必要な日本体育大学、日体大ですか?」

兄「日体大ではない」

弟「早大の出身?」

兄「早稲田大学でもない」

弟「慶大?」

兄「慶応大学でもない」

弟「明大の出身?」

兄「明治大学でもない」

弟「まさか、東大って言うンじゃないでしょうね」

兄「惜しい、東大ではない。西のほうだ」

弟「ということは、京都大学、京大の出身?」

兄「そうだ。やっとたどり着いたか。おれは、何を隠そう、7人家族の5人キョウダイだ」

                (了)


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兄弟 あべせい @abesei

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