うつくしい獣
望月あん
1、花園の無法者たち
そう耳打ちされてから、
南西門から中庭まで続く通路は前王朝時に作られたもので、当時は山羊の乳色をした煉瓦が敷き詰められていたのだろう。いまもいくつか当時の煉瓦は残っているが、ほとんどがあとから足された色とりどりの煉瓦だった。子どもたちはいつもよくここでおなじ色の煉瓦を踏み続ける遊びをしているが、さいわい今はいなかった。雨昏は数段の段差を何度も上って下りて、そうしながらも速度は落とさずに走った。
なぜ。
なぜ虹惟のそばを離れてしまったのだろう。
雨昏は唇を噛みしめる。
おまえがいれば、ぼくはなにも怖くないんだよ。そう言ってくれた彼を置いて城砦を離れてしまうなんて、どうかしていた。
左右に迫るようだった壁が途切れて、高層の建物に囲まれたひらけた場所に出る。真冬のやわらかな日差しが中庭に降り注ぎ、疎らに生えた短い草花がきらきらと輝いている。そのそばには点々と椅子が置かれ、普段なら皆が昼食を楽しんでいるはずだった。
誰もいない。
城砦に踏み入ってから誰の姿も見ていない。
雨昏は体を丸めるようにしてぴたりと止まり、前方を睨みつけた。二階建ての極彩色の楼閣——花園の前には、洋装の男たちが雨昏が来るのを待っていたように立ち塞がっていた。
(宵青はいない)
雨昏は人を見分けるのがあまり得意ではないが、宵青の姿は一度見れば間違えようがなかった。ここにいるのは雨昏とおなじ黒髪で、おなじように暴力でしか物事を解決できない男ばかりに見えた。
花園の二階の格子窓に人影がちらつく。宵青だろうか。いや、虹惟かもしれない。
(はやく行かないと)
そのためには扉の前にいる男たちが邪魔だ。向こうはすでに雨昏の存在に気づいて、それぞれ手に鉈や斧や大きく反った長刀を持っている。
「虹惟を困らせる人間は殺してもいい人間、武器を持った人間は殺してもいい人間……」
呪文のように唱えて、雨昏は胸いっぱいに息を吸う。ゆっくり吐き出しているうちに、男たちは野太い声を上げながら雨昏へ向かって襲いかかってくる。あと一歩で長刀の切先が届くところで、息を吐ききった雨昏もまた軽やかに地を蹴る。
身を低くして懐に入り、みぞおちを鋭く肘で打つ。動きが止まったところで腕を捻って長刀を奪い、喉を掻き切った。上から振り下ろされる斧は倒れてしまう前の死体を傘にして避け、振り向きざまに腕を落とした。回転しながら飛んでくる鉈は踊るようにかわして、代わりに腕のない男の額に譲った。
まだあとふたり、得物を持つ男がいる。雨昏がじっと見つめると、足が竦んでしまったようだった。
「まともじゃねえ」
ひとりが震える声で呟いた。
「ど、どうすんだよ」
「シウさんへの言い訳を考えるほうがずっとましだ」
「ばか言え、命令違反は逆さ吊りだぞ」
「それでも泣いて謝れば死ぬまでには下ろしてくれるだろ」
手にしていた斧を地面へ投げ捨てる。もうひとりもそれに続いた。そうしてじりじりと雨昏と距離をとる。
「いいか、もう何もしてくんなよ! わかったな!」
威勢よく叫ぶと、彼らは港のほうへと走り去った。
男たちが戻ってこないことを確信すると、雨昏は花園へと向かった。
こまかな幾何学模様の格子戸は閂が外されていた。ひらくと、内側にかけてあった紗の薄布が揺らいだ。手で払おうとして伸ばした指が血で汚れている。雨昏はためらい、布が汚れてしまわないよう、猫のようなやわらかさで室内へ体を滑り込ませた。
正面には雨昏とさほど大きさの変わらない石碑がある。まわりには鉢植えや切り花問わず、たくさんの花が咲き乱れている。雨昏は字が読めないので、石碑に何と彫られているのかはわからない。だが虹惟が話していた。これは人と神さまとを繋ぐ道しるべなのだと。だから城塞の人々はこの場所を愛し、むやみに踏み込まず、花で飾るのだと。
その場所に返り血のまま立ち、雨昏は吹き抜けの先にある二階を見据えた。
うつくしい獣 望月あん @border-sky
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。うつくしい獣の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます