わたしの罪について

サトウ

第1話

 わたしはいつも、正気という名の凶気にむしばまれてきました。骨の髄までとっぷりと浸かってしまっていて、もう抜け出すことはないでしょう。

 その上、わたしはその凶気に臆面もなく狂喜してしまい、正気という凶器を持ってしか、まちを駆けていくことができないのです。正しさで着飾ることが、どうしても許せないのです。

 わたしは今日日きょうび、自らの狭気きょうきさいなまれています。どうして、わたしはふつうの人のように生きていけないのだろうと。

 思うに、わたしはあまりにも浮世から根絶されるべき人間なのです。他人の心など、わたしにはまるでわからないのですから。

 わたしはいつも、正しさというものを自らの愚かさで上塗りしてきました。その愚かさがしたたるほどに、ベタベタと。残念なことに、本当にあわれなことなのですが、わたしにとって、愚かさは正しさだったのです。世間の言う正しさは、わたしにとって恥ずべきものだったのですが、それは間違いでした。わたしこそ、恥ずべき存在なのです。それを、この歳になってようやく理解しました。

 ふつうの人であれば感じ取ることができた、常識というものが、わたしという愚かな人間には感じ取ることができなかったのです。

 わたしは先程、他人の心がわからないと申し上げましたが、思うにそこが原因なのではないかと疑っております。比較してこなかったのです。興味がなかったのです。他人は他人でしかなく、わたしは、わたしという人間しか理解できませんでした。理解しようとすらしなかったのかも知れません。

 わたしがわたしである、その理由付けに他人を利用していく気がなかったのであります。他人が自分に入り込む恐ろしさと言ったら、それは口にできるほどやわなものではないのです。全ての物事を、言葉にできなどしないのです。人は口々にわたしを責め立てて来ますが、言葉にできぬものはできぬのです。たやすく言葉になど、できぬのです。

 このように、他人などどうでも言いように言いましたが、その癖、わたしはやけに臆病者なのです。他人との違いが怖いのです。矛盾むじゅんしていると思えるかもしれませんが、わたしはふつうで有りたかったのです。皆と同じでいたかったのです。

 一人が怖かったのです。わたしは、特別で、それでいて、ふつうが良かったのです。これがどれだけ欲張りな考えだったか、わたしは今、身に沁みて感じています。

 わたしはとんだ勘違いをしていたのです。ふつうに生きていれば、ふつうになれるものだと思っていたのです。ふつうというものが、途方も無い努力の上で成り立っているものだと、多くを犠牲にして獲得しうるものだとわかっていなかったのです。そうして、もっとも大きなあやまちは、わたしの思い描くふつうが、ふつうではなかったことです。

 結局のところ、わたしが得たのは、わたしという愚か者だけでした。特別にも、ふつうにもなれず、どうしようもないわたしだけが残ったのです。

 白状させていただきます。でも、許せなかったのです。わたしには、許すことができなかったのです。他人のように、耐えることができなかったのです。自分が汚されていくのが、常識という、わたしにとって恥ずべきことに呑まれることが。

 だれもが、脅すのです。なぜできぬと、なぜそうしないのかと。わたしは、あなたではないのです。あなたにできることが、わたしにできると、なぜわかるのですか。わたしは、あなたにそのようなことを、そのように声を荒げるような真似を、したことがあるでしょうか。そうやって、わたしを脅すくせに、わたしが手助けすると、あなたは二へラっと笑い、悪いね、などと言うのです。

 かれらは、すっかり忘れているのです。わたしだけがずっと、心の中で、悪者になっているのです。いつまでも、忘れることのできぬ、悪意に苛まれるのです。そのような呪いは、わたしをころしていくのだとわかるのに、どうしても忘れることができないのです。

 人一倍、許されたいくせに、他人をまったく許すことのできない、腐った人間なのです。

 そうやって、自己嫌悪に至るのが、わたしの常でしたので、わたしはいつもひとりでいるのです。でも、まわりの目が、わたしを責め立てているように感じるのです。

 一人でいることが、罪である。そのように、感じるのです。別に、誰に言われる訳でもないのです。それでも、まわりを眺めると、かれらは、ひとりではないのです。いつも、ふたつ以上の眼球が、わたしをじっと、見ているのです。

 わたしだけが、ひとりなのです。別に、ひとりはよいのです。むしろ、ひとりがよいのです。こころの平穏を保つには、わたしが、わたしであるには、わたしはひとりきりにならなければいけなかったのです。

 わたしは、よわいのです。集団に呑まれてしまえば、おしまいなのです。必死に、必死に自分を奮い立たせても、すぐにくじけそうになるのです。そもそも、わたしがつよければ、奮い立たせる必要もないのです。わたしは、意志のよわい人間だからこそ、ひとりにならなければならないのです。でなければ、わたしはきっと、甘い言葉につられて、囚われることでしょう。

 自由でありたいのです。でも、わたしのこの欲望は、自由などではないのです。単なる、わがままなのです。駄々をこねる子供なのです。

 わたしは、このように可愛げのない人間でしたので、誰もわたしを救ってなど、手を差し伸べてくれる人などおりませんでした。ですが、仮にいたとして、わたしは本当に従うでしょうか。のっぺりとした、得体のしれない他人の手をとれるでしょうか。わたしはきっと、その手をとることはありません。その手をとることが、やはり恐ろしいのです。悔しいのです。怖いのです。どうしても、できないのです。とってしまえば、わたしはどこまでも、どこまでも他人に頼ってしまう気がするのです。わたしが守りとおしてきた、誇りのようなものが、他人を拒むのです。堕落していく自分が怖いのです。

 ああ、これを書くうちに、わたしは涙が止まりません。自分がいかに他人を傷付けてきたか、その恐ろしさに恐怖しているのです。わたしという、得体のしれない人間が、どれだけの人々を汚してしまったのか。

 今更、この頬を伝う涙になんの価値があるのでしょうか。後悔は、あまりにも深く、取り返しがつかないのです。わたしにのしかかる、わたしの犯した罪が、ついにわたしを押しつぶそうとしているのです。

 過ちを修正しようと生き続けるうちに、わたしは、わたしの人生をメチャクチャにしてしまっていたのです。その波及はきゅうを考えると、やはり、震えが止まらないのです。嗚咽おえつが止まらないのです。視界がチカチカして、もうどうにかなってしまいそうなのです。

 死ぬにも、力が必要なのです。生きるのにもまた、力が必要なのです。わたしは、振り子のように死と生を、行ったり来たりするのです。昨日は、まだ生きたかったのです。自らの醜態しゅうたいに、どうにか耐えていたのです。目をつぶることができたのです。今は、振り切ってしまったのです。もう、だめなのです。

 今朝方、眠れぬ夜から釈放され、朝日を眺めた時、無性にだめになってしまったのです。これではいけないと、毛布にくるまり、その心を抑えるようにじっとしていました。それでも、もうどうにもできなかったのです。

 鳥の声が聞こえます。子供たちの、明るい声が聞こえてきます。その時、わたしという存在が、溶け出したのです。どろどろと、溶け出てしまったのです。こんなにも、あんなにも守りとおしてきたわたしが、一瞬で失われたのです。

 案外、それは悪いものではありませんでした。むしろ、これで良いのだとさえ思えました。解放と同時に、わたしはその罪をつぐなう決心がついたのです。聞こえはよいですが、それは残酷なことなのです。わたしの芯たる部分がなんの価値もなかったと自明しなければならないのですから。

 わたしは、わたしのあやつり人形だったのです。わたしは、ただの木偶でく人形だったのです。他の人間ができる、自分の制御が、わたしにはできなかったのです。わたしは、部屋から出るべきではなかったのです。おもちゃ箱の中で、忘れられた存在にでもなればよかったのです。なのに、なまじ動けることをいいことに、自分がどれだけ足りないものなのか、知りもせずに、のうのうと歩き回ったのです。ピエロの人形が、まちを徘徊するのです。それはそれは、愉快でしょう。それはそれは、気持ちが悪いでしょう。


 つまらぬ、小話を書き連ねてしまいました。先立つ不孝を、お許しください。

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