第8話/一章-⑦
「ちょ、ちょっと! 響――!」
叫びを上げる紗里緒を響は片手で制した。
「……部員?」
雨に濡れた子犬の鳴き声の如くか細い声で、問い直す。響はコホンと一つ、咳払いをした。
「そうです。顧問、兼、部員。笑ってしまって、ごめんなさい。センセイの覚悟は伝わりました。部員としてなら、私たちの活動に参加できます。どうしますか?」
「おい! 響! 勝手に決めるんじゃ……」
立ち上がって抗議しようとする紗里緒の声を割いて、
「部長権限!」
響は高らかに宣言する。
「部の運営に関しては、私に一任されているはず。そうでしょう……編集長?」
「うぐっ……」
苦虫を嚙み潰したような表情の紗里緒に、響は勝ち誇った微笑みで応じる。
「俺は……」
今はただ、直感を信じるのみ。
「俺は……ウンコ製造機じゃない! それを自らの手で証明したい!」
俺は頬に熱を感じていた。感情を凝縮した雫が目からこぼれ落ち、頬を濡らしている。
「うわ……泣いてんじゃん……」
紗里緒はドン引きだった。
幼児の如く泣きじゃくる俺を両手で引き寄せた響は、そっと胸に抱き留めた。
「いいんですよ、センセイ……悔しかったね……」
優しくホールドした頭を、慈しむように撫でてくれる。
「よく頑張ったね……バブちゃん……」
心地いい感触が何度も髪を撫でつける。女子特有の甘い香りに包まれる。こんなの反則だ。堕ちてしまう……って、ちょっと待て!
「誰がバブちゃんだっ!」
俺は響の手を振り払うと、スーツの袖で粗雑に涙を拭った。
「へへへ……ちょっと、母性本能をくすぐられちゃいました……」
響は少し頬を掻いて、はにかんだ。
まったく油断した。こんなことが公になってみろ。出勤一日目にして、学園追放だぞ。
ここへきて俺はある違和感に気づく。先ほどまで鳴り続けていた打鍵音が聞こえない。音の源である長椅子に目を向けると、女生徒の姿が消えている。不気味な予感に、辺りを見渡す。
「……ばぶばぶ……」
茶化すような声を追うと、スマホを構えた小柄な少女が紗里緒の隣にうずくまっている。
「こらぁ! 何撮ってんだ!」
情けない声とともに思わず駆け出した俺は、少女からスマホを取り上げようと手を伸ばす。しかし、俺の両手は虚空を斬った。少女は軽い身のこなしで跳びのく。何度手を伸ばしても、避けられる。完全に見切られている。どんだけ動体視力がいいんだ!
「あががっ!」
そんな俺の視界が不意に暗転する。顔に激痛が走る。
「ユピさんに何をする!」
紗里緒のアイアンクローだった。指が
「痛ぇ! わかった! わかったから! 離してくれ!」
ゴミ箱へゴミを放るように解き放たれた俺は、顔を押さえて床に這いつくばる。
こいつ、めっちゃ握力強いな……。
「なんなんだ、そいつは⁉」
なんとか立ち上がり、一定の距離を取って撮影を続ける少女を指さした。
「よしよし。ユピさん、よくやった。こんなヤツ、信用できないもんねぇ」
甘やかすように紗里緒が少女を撫でまわす。そして、俺に向き直った途端に声音を変え、
「余計なことをしたら、この映像をばら撒く。肝に銘じておきなさい!」
ピシャリと言い放った。
「……これ、だれ……?」
ユピさんと呼ばれた少女は眠たげな瞳で今更な質問をした。
「顧問、兼、雑用の和久井」
俺の自己紹介を遮って、紗里緒が忌々し気に答える。
「呼び捨てかよ!」
「お望みなら、他の呼び方に変えてあげましょうか? ウンコ製造機クン」
「すみません……呼び捨てでいいです……」
隙あらば心をへし折りにくる。あ、でも……
「雑用ってことは、部員として認めてくれたのか?」
俺は紗里緒を見据えた。
「……雑用は雑用でしょ。それ以上でも、それ以下でもない」
踵を返す紗里緒と入れ替わりに、眠たげな瞳の少女が駆け寄ってくる。
「……ユピテル……」
少女はそう、小さく呟いた。
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