abyss:03 まだ平和な日常

ただの痴漢が殺人未遂の犯罪者に豹変した事件から一夜明け、俺は何事もなかったようにいつも通り大学に向かう電車に乗っていた。


今日は通勤ラッシュより1時間ほど遅く乗っているのでそこまでひどい混雑はしていない。

昨日よりもっと目立たないよう黒帽子を深くかぶって上下黒のモード系な服を着ている。だからといって昨日と着ている服に変化はそんなにない。

電車に乗っている時は暇をスマホを見て潰すが、今日は特にすることがない。

昨日のことを含めてちょっと回想と#たられば__・__#の話を考えてしまう。


世の中誰にも予期せぬことで故意・過失に殺人をしてしまうことが起きないとは言い切れない。自分は絶対に人を殺さないと言っている人だって何かしら「殺すに至るだけの動機」ができてしまえば簡単にそちら側にちるだろう。

昨日の痴漢はナイフを所持していた。普段から持っていたのであれば昨日じゃなく未来のどこかで誰かを傷つけていたかもしれない。

殺人未遂をしたのがたまたま昨日だった、ということだ。

俺は犯人本人じゃないからナイフを持っていた本当の真実はわからない。ただただ誰も犠牲にならなくてよかったと思うことしかできない。


昨日は帰宅してからティナと連絡先を交換したから、電話とメッセージアプリで夜中までやり取りをしていた。ティナの声を聞いていたら心地よくていつの間にか寝落ちして朝になっていた。

ティナと話す時間を優先させたので母さんに連絡していなかった。

青春アオハルを楽しんで来いと言ったのは母さんだからちょっとくらいいいだろう。

母さんに(痴漢を捕まえた)だけなら「いいことしたじゃない」の返信で終わるけど、(ナイフ持った人を捕まえました)の報告をしたらテンション高めで帰って来るだろうな。2ヶ月ほど帰ってきていないが、それだけ今仕事が忙しいのだろう。

いま日本か海外のどこにいるのかもさっぱりわからないから連絡するか悩んでしまう。


ティナと大学に着いたら待ち合わせをする約束している。

昨日は対面で会話してマジマジと顔を見た。

俺の母さんは容姿も性格も教養も戦闘力含めて才色兼備、かなり破天荒で自由奔放な女性だ。

母さんが女性の基準になってしまい、俺の中の恋愛対象のハードルが高いのはそのせいもある。

これまではただ可愛い・綺麗な女子は異性として全く興味が湧かなかった。


ところが、だ。

ティナはナイフを持った痴漢に対して対峙する肝が据わっていた。対峙しているときの真剣な顔、綺麗だった。

心臓が初めてトゥクン、ってした。この初めての感情はなんなんだ!?

あとめちゃくちゃ俺の女にしたいという独占欲が沸き上がった。

で、考えた結果。好きになるというのはこれか、と。


一目惚れ? 俺はこういう女の子が好みだと自覚した。

もう一つ自覚したことがある。おれマザコンかもしれない!

マザコンの何が悪い。それはそれだ。俺は母さんが家族として大切なだけだ。


ティナに早く会いたくて大学に着くのが楽しみだな~という気持ちでちょっと舞い上がっていた。

ティナが言うにはモテるそうだ。

4月後半の時期ならすでに彼氏はいないが顔見知り程度の男友達はたくさんいる。

俺はその男どもの中で後発組になる。


痴漢を捕まえて仲良くなれたけど、世の中そんなに甘くないと思っておく。

「まずは、顔見知り以上の友達から仲を深めよう!」と自分にいましめた。



駅に着き大学専用バスに乗り変えて10分くらいのところに大学はある。

バスに乗ると周りからジロジロと見られていた。どこに行っても女性からこういう視線は感じるので帽子をかぶって顔を隠している。今日はいつもと様子が違うぞ。

男の視線も多いのだ。

バスに乗っている学生全員からチラチラ、ヒソヒソ見られているじゃないか。


心当たりは痴漢撃退の立ち回りを目撃した学生から噂が広まったことだ。

昨日は大学に行かなかったから大学の状況がわからないけど、通勤時間の大勢の前で目撃されたんだから学内で話題になっていてもおかしい事じゃない。

平凡な生活の中に刺激的な事が起きれば大概は興味をもってもおかしくはないか。


やめろ、ジロジロ見るな。これ以上目立ちたくない!

ややこしい事が起る予感がする。

大学に着いたらどういう状況になるんだろう。

嫌な汗がブワッと出てきたところで


ぴろり~ん


とスマホにティナからメッセージきた。


「ハルキ、面白いくらい話題になっているんだが!」

と可愛いスタンプ付きで入ってきた。


「今バス。すでにジロジロ見られている。面白いことって?」


「着いてからのお楽しみである!」


「帰りたくなってきた(ブルブル)」


それっきりメッセージの返信を待っても既読スルーされてしまう。

…………よし、諦めた!

何が起きているのか想像するのをやめた。

バスがいよいよ停留所に到着しようとした時、校内に大勢の人だかりができバス停から構内まで人が左右に分かれて通路のように伸びているのが見えた。

まだ午前中だけどみんなもう帰るためにバス待ちしているのか………

そんな訳ねーよ。


ティナのメッセージ「着いてからのお楽しみである!」の意味を理解した。


どうしようバス降りたくない。

このままバスに乗って帰ってしまいたい。でも大学はいかなきゃならないし。


人の流れに合わせて恐る恐るバスを降りる。

バスを降りると集まっていた全員が出待ちしていたオーディエンスのように


『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!』


とちょっとした有名人を見るかのように拍手・喝采を送ってきた。

プチパレードが起きているような感じになっているじゃないか。


え? めんどくさ。


何これ。一気に興醒め。恥ずかしいだけでしかない。

大学生ってこんなノリの集合体なのか? 俺の日常にこういう|類≪たぐい≫は求めていない、静かに大学生活送らせてよ。まだ入学して一ヶ月しか経っていないのにこんなにされたらこれからの俺の学生生活4年間どうなるの。


なぜ人が大勢集まったのかを後で知ったのだが、俺と同じ講義を受けている女子大生が今日の俺のスケジュールを確認。電車の中で俺と一緒に乗り合わせたその子の友達と連絡を取り合った結果こうなった。

俺が大学に何時に到着する、とメッセージアプリで学内に広がり、ノリの良い誰かが「出迎えパレードやろうぜ」

という意味わからない提案からこうなったそうだ。

何をやるのか事情を知らないままノリで集まった学生や俺を体育会系サークルに勧誘しようとしている先輩方が集まりあっという間に群集になった。


マジで恥ずかしい。明日はパレードをやらないよなぁ?

明日もう一回同じことやられたら流石にしばらく登校拒否するぞ。


パレードの最前列でティナがスマホで動画撮影しながら超大爆笑しているのが目に入った。

人の気も知らないで…………。

「ヤッホー。ハルキ、期待していた以上に面白すぎ!バス降りるところからずっと動画とっていたんだけどあまりの面白さに爆笑してちゃんと動画撮れなかった~。

とりまデータ送るね」

「やめろやめろやめろ、見せなくていいから!」


屈託のない笑顔をしているティナと会えたことで今日の俺はすでに満足したんだけど、パレードは終わらずティナと一緒に囲まれてしまった。

なんかワイワイ揉みくちゃにされる。

どさくさに紛れてティナに勝手に触ってくる輩がいたのでティナを抱きしめて守る。言っておくが不可抗力だ、下心があるわけじゃないぞ、ゴホン。


「コラ触るな、痴漢は犯罪だぞ!」


と昨日のジョークを飛ばすと笑いがドッと起きた。

俺の渾身のボケがウケた。

鬱陶しいので繋がりたくはないが気持ちが繋がるとはこういうことか。


さて、どうすればこの集団は満足して解散してくれるのか考えていたら、ピンポンパンポーンと構内放送が流れた。


「一年生の拝ハルキくん、階堂ティナさん。だいしっきゅう理事長まできなさーいさーい。待ってるから早くきなさささーーーい!」

と緊張感のない男の声で呼び出しがかかる。

「あと授業がある学生諸君は速やかに講義に戻りなさーい。先生たちが怒っているぞー」

と言われ授業のある学生たちはそそくさと解散していった。これで減ったのは半分くらいで授業がない、サボった学生や体育系サークルの勧誘が残っていた。


本当に面倒臭かったので抱きしめていたティナをお姫様抱っこに持ち替えてその場から全速力で走り去る。

陸上部・バスケ・サッカー・空手部等の体育会系が俺の名前を呼びながら追いかけてくる。ビュンビュンと構内の人の隙間や建物から建物へ走り抜けていく。

変わる景色をキョロキョロみながら

「わぁ~はや~~~い!すごいすご~い!」

とティナは呑気に楽しんでいた。

人一人を抱えた俺に体育会系は徐々に離脱していき振り切ることに成功。

俺の脚力舐めるなよ。


完全に引き離して逃げ切ったところでティナを下ろす。

両足をとん、と地面に下ろしたティナはくるくる~と回って

「うむ!余は満足じゃ」

とドヤ顔で見上げてきた。

あんまり人目を気にしない子なんだな、本人が楽しかったならいいんだ。

前をズンズン歩いていくティナに

「ところでさ…………理事長室ってどこにあるか知ってる?」

「ん~、知らな~い」


「知らないんかい!!!」とツッコミを入れてしまった。

「てへっ」


2人は呼出を食らったので理事長室を探すところから始めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る