結末
「間に合うか……?」
僕は全力疾走をしていた。ロケット発射まで、あと僅かの猶予もない。
「間に合わせる」
エーコはまだロケットの中にいる。自業自得と思わないでもないが、僕が助け出さなければ宇宙までそのままだ。
発射台への途中、見知った顔に会った。
事の発端、ある意味黒幕の男だ。彼が宇宙への夢を見なければ、『ワンダーウォール』はそもそも存在しなかった。
彼が、好きなことを好きと言わず、自分の裡に押し殺していれば。
「君の好きにするといいでしょう。私もそうしましたので」
酒井アルベルトは、すれ違いざまにそれだけ言った。
僕に彼を責める筋合いはない。僕も結局、好きにやってるだけだ。
ロケットを囲む足場を登り、見つけたハッチを手動でこじ開ける。
ビンゴだ。僕はロケットの中に入ることができた。
有人飛行の試作型として、最低限居住できるような空間。垂直のハシゴを登り、僕は弾頭付近へと向かう。
あった。例の、人工衛星の中核とかいう通信装置だ。
「外からだとやけに簡単に開けられるのか。こんなもののために僕は……」
ボタン一つ押してエーコを出すために、ひどい苦労を強いられた。文字通り、骨の折れるような激闘もした。
結果的に目的が果たせるなら、報われるのだろうが。
「あ、明るい! 外に出られました!」
能天気なエーコの声。黒髪のネコミミ美少女は、僕を見つけ笑顔になった。
「出してくれてありがとうございます、エーチさん! あ、スケパン仮面のサイン入りハンカチも見つかりました! やったー! ……ところでここは?」
「説明は後だ。早くしないと発射される」
「発射?」
本当にもう時間が無い。さっさとロケットの外に脱出しないと、このまま衛星軌道で生き仏だ。
というか、
「なんか、下の方がゴゴゴゴってなってません?」
「点火しやがった! 早く脱出しよう!」
「うーん、こんなこと前にもあった気が」
エーコがロケットに乗るのは二度目だ。一度目は東側で作られた同型機だった。
そして、未完成のまま発射されたそれは西側のネオセキガハラに墜落した。
今度は宇宙まで一直線だ。ちくしょう、巻き込まれてたまるか!
韋駄天のごとく、半ば落ちながら元来た道を下り、僕は開けっ放しのハッチに到着した。
「……」
そこから見える景色は、僕を絶望させた。
「飛んじゃいましたね」
「飛んじゃった」
地上は一瞬にしてはるか遠く。現行の戦闘機など比較にならない垂直上昇で、ロケットは飛んでいく。
もう生身で脱出なんてできない。
「パラシュートは!? 前回脱出したエーコさんなら場所を知ってるんじゃないか!?」
「東側のやつなら、前はたまたま見つかりましたけど。でも場所とかよく覚えてないです」
それでもパラシュートに賭ける他どうしようもない。
僕らは一も二もなくパラシュートを探した。一時間くらい探し回って、ようやく脱出用機材一式を見つけた。
全ては手遅れだった。当たり前だ。
「どうするんだよ、これ」
「どうしましょう」
僕らは宇宙に来た。地球の重力から解放され、フワフワと心もとなく浮かぶ。
「いや、まだだ……」
まだ終わってはいない。
「元局長が言っていた。こいつは内部からの制御が可能だと」
「というと?」
「このロケットを、地球に向かって落とす」
そのためにはまず、制御系の把握が必要になる。
しかしどこだ、その制御系は? パラシュートを探しながら行ける場所は全部見回ったが、それらしきものは……ああ、そうか。
僕はエーコの閉じ込められていた箱を見る。このロケットの中で、最も重要なパーツを。
明るくなった今なら、ゴチャゴチャしたコンソールもその表示もよく分かる。脱出に関係しそうなシステムは……
「これか」
とても分かりやすかった。ボタンの下に『EMERGENCY RETURN』とか書いてあるのだ。緊急帰還ボタン! こいつを押せば、地球へと引き返せるだろう。
僕はボタンを押した。ノイズ交じりの声が、スピーカーから聞こえる。
「はいこちらウシミミ人妻派遣センター『ママミルク』ですが」
「間違い電話でしたすいません!」
僕は変なところに繋がった自称『EMERGENCY RETURN』をガチャ切りした。
万能通信装置とやらは、坂東共和国のアハンなお店にも問答無用で繋がるようだ。
「あの、エーチさん。もしかしたら私が閉じ込められていた時に色々ガチャガチャいじっちゃったせいかもしれません。ごめんなさい。コンピューターはやっぱ苦手です」
『何もしていないのに壊れた』とか言われるよりはマシだが、それにしたところで絶望的な状況は変わらない。
「逆向きにボタンを押し直せば治るかもしれません。やや忘れかけですが、私の触感を頼りにやってみましょう」
「ああっ! さらにややこしくなりそうだから変なことやめて!」
僕の制止も間に合わず、馬鹿は変なボタンを押した。
ザリザリ、ピーガーと不穏なノイズがスピーカーに流れる。そして……
「通信衛星シス……ム『ワンダーウォール』制御モー……を起動……ました。只今音声……識にて作動……」
なんかたまたま当たりを引いた。徳川エーコの天運は、やはり何か変な法則で動いているようだ。
「地球への帰還軌道を取れ! ち、きゅ、う、へ、の、き、か、ん、き、ど、う!」
音声認識とのことだったので、僕はどんな馬鹿な機械にも分るよう大声で、『ワンダーウォール』とやらに叫んだ。
『ワンダーウォール』は返事をする。
「りょ……かいしましタ。自動落……モードの起動……は特殊ナコード……ヒツヨウでス……」
「その『特殊なコード』はなんだ!? 早く教えろ!?」
エーコが適当にガチャガチャやったせいか、不穏な動作を始めた『ワンダーウォール』。制御方法をガイダンスする機械音声が、なんだかだんだんと甲高くなっていく。
これは、嫌な予感しかしない。
手遅れになる前にコードの入力を――と思ったものの、僕の期待はまたも絶望に染まった。
「ピーガガガ……キィィィィ」
「うわっ、なんですかこの音。うるさいです」
『ワンダーウォール』がスピーカーから発するノイズに、エーコはネコミミを塞ぐ。
そうだろうとも。彼女にしてみればノイズにしか聞こえない。
「キィィィィィィ」
『ワンダーウォール』は同じような音を吐き出し続ける。この音は、
「高調波……いわゆる超音波だ。エーコさんが適当にいじったせいでバグって、可聴領域を超えた高音になってしまったんだろう」
よりにもよってこんな場面で。よりにもよって、僕がいるこの場で。
一つ、エーコの『奇跡』について分かったことがある。
彼女の『奇跡』は、本人が望む望まずとにかかわらず、彼女が心の底で望んだ、彼女にとって都合のいい奇跡を引き当てる。
アイドルになりたければ、西側のアイドルダンスに詳しい僕との邂逅からC4との戦いを経たアンコールライブまで。迂遠な過程を経て、なぜか目的を達成してしまう。
この状況は――そうだな。『僕のことをもっと知りたい』とでも望んだのかもしれない。
自惚れだろうか?
まあ、いい。
だったら、僕の秘密を一つ、エーコに教えてあげよう。どっちつかずで、秘密主義の嘘つきで、偽の身分や偽の名前にまみれ、確たる正体なんて僕自身も忘れた、僕のことを一つ。
僕は自分の頭に手を回し、偽ネコミミを引っ張った。MI3が制作した本物そっくりのネコミミはベリベリと剥がれ……
「エーチさん、あなたは……」
エーコは、僕の本当の姿を見る。
『ワンダーウォール』の金属面に、イエコウモリミミを生やした僕が映っていた。
どうということのない話だ。
西側に出稼ぎに来ていた僕の両親は、ダム建設の最中事故で死んだ。幼かった僕を遺して。
僕は本来なら東側の施設に預けられるところ、秀でた知能に目を付けた石田三三に養子として引き取られた。民国の軍に入ることを条件に。――正直、三三の性癖(ショタコン)を考えるとなかなかにスリリングな幼少期だった。
ともあれ、僕がケモミミ人であるということは、組織内でもトップシークレット。だから、潜入に当たって偽のネコミミなぞ支給されることになったということだ。
「僕の本名は石田栄一。でもそれだって、本当の意味で僕の名前じゃないのかもしれない」
石田栄一、エージェントA1、小早川エーチ……僕の使ってきた名前は他にも多数あるが、僕は僕自身を何者とも信じられない。
ケモミミの味方かヒトミミの味方か。僕はどっちつかずのコウモリ野郎だ。このイエコウモリミミが示すように。
「僕は西側のスパイとして、君を拉致するために潜入していた。合衆国からの帰国子女なんて全部嘘。性別だって男だし、高校どころか大学だって卒業してる」
この際だから全部ブチ撒けてやった。
妙にスッキリしたと同時、エーコの反応がうすら怖い。
彼女は幻滅するかな。
でも、嘘まみれの僕だって本音を言いたいときもある。
「僕は君が好きだ、徳川エーコ」
好きなことを好きと言いたいときもある。
「あ、あのエーチさん……じゃなくて栄一さん?」
「ロケットの制御を続けよう。僕のコウモリミミなら、超音波だって聞き取れる」
狼狽するエーコに言い被せ、僕はスピーカーに向き合った。
なんというか、『特殊なコード』というから複雑なものを想定していたが……随分とこれはリリカルだ。
「壁の向こうに誰かがいる
ねえ応えてよ
僕は跳ね返ったボールを拾うだけ」
まるで詩だ。それも、可聴領域をオクターブ超えで音階まで付いている。
僕は、ガイダンスから流れるままにコードを歌った。
「見上げたって跳び越えられない
壁の天辺は星の世界
見上げているだけじゃ星に届かない」
どことなく、作詞作曲のクセというものがロリポップスのそれに似ていた。
誰がこんなコードを仕組んだのか。
まあ、ちょっと考えれば分かる。
ロリポップスに楽曲を提供している謎のプロデューサー。
彼女たちの曲を『友達が書いた』と言い放った徳川ミッコ。
『ワンダーウォール』の構成員。
どうでもいい話だ。
大事なのは――
「跳び越えたい」
「跳び越えたい」
「できるかな」
「できるかな?」
「できるよ」
「できるんだ」
「気づいてないだけ
僕らの足は星に届く」
僕に追随するよう、エーコも歌い出した。
アイドル衣装のままの僕らは、無重力にフワフワ浮きながら、即興の踊りも付けて歌い上げる。
アイドルユニットAAの、最初のオリジナル曲を。デビュー曲を。
僕らAAにとって、大事なのはそこだけだ。
『WORLDWIDE BROADCAST』
とかいうスイッチにランプが灯っていた。
今(電波ジャックで無理矢理)世界中の人々が同じ歌を聞いている。国境の壁を越えて、僕らの歌を……!
「だって僕は」
「だって私は」
気分が良かった。
耐熱ガラスか見える青い星が、僕とエーコの歌に耳を澄ましている。
あの青い星が。地球が。世界初の宇宙飛行士として見る風景が、今だけは全部僕らのモノだった。
AAは歌い上げる。曲の終わりまで。
「君のことが」
「あなたのことが」
「「好きだから」」
「コード認証シマシタ。逆噴射開始。地球ヘノ落下プロセスヲ実行シマス」
ロケットは一瞬制止。今までと逆方向にGがかかったと思うと、地球に接近を始めた。
こいつはもう落ちる。
だがその前に、
「エーエイイチさん、私……私……!」
感極まったエーコが涙を流し始めた。よほど神経がボロボロなのか、僕の偽名と本名が混ざってる。誰だよ『エーエイイチ』って。
「アイドルになれたんですよね!?」
「ああ、もう疑いようもなく君はアイドルだよ、徳川エーコさん」
僕もまた、そうなったのだろう。
どうしてこうなった? もう、この宇宙に来るまでどんな紆余曲折があったのかも忘れた。
エーコは僕の手を握り、金色の瞳から涙を落とす。
「どんなお礼をしていいのやら、私には分かりません。エーチさん、私があなたにできることはありますか?」
エーコは殊勝にも、そんなことをのたまった。……あ、これ今ならイケるんじゃないか?
僕の悲願達成が!
僕の夢を叶えることが!
「だったらネコミミを舐めさせてほしい」
僕はそれだけをエーコに言った。
エーコはきょとんとした表情の後、僕にネコミミを差し出した。
待ちに待った、夢にまで見た、美少女ケモミミペロペロタイムが始まるのだ……!
僕は舌を出し、ネコミミに顔を近づけ、
「ペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロペロ」
僕はしばらくエーコのネコミミをペロペロし続けた。
エーコのネコミミは、甘く、溶けるようで、宇宙の真理をそのままねぶっているような錯覚すら僕に与えた。
艶やかなクロネコミミが、僕の舌を受け入れるたびピクピク痙攣する。何よりも、全てに代えがたい快楽はしばらく続いた。
「ふう……」
ひとしきり堪能し、賢者タイムになった僕は口を離した。唾液まみれのネコミミを、紳士的にスケパン仮面のサイン入りハンカチで拭く。
今なら死んでもいい……が、
「あの、エーチさん、これに何の意味が?」
「僕が幸せになった」
「! それは良かったです。舐められた甲斐がありました」
このまま幸福の絶頂で地球に落下して、死ぬわけにもいかないだろう。
パラシュートを背負い、ロケットから脱出をする。
ロケットは落ち続けていた。
落下傘を開いた僕らを追い越して、地上に迫る。
「……っていうか、ヤバくないか?」
てっきり海にでも落ちるかと思ったが、ロケットは思いっきり地上に向かっている。
というか本州のド真ん中に向かってる。
「またネオセキガハラに落ちるぞ、これ……!」
次は犠牲者が出ないという保証もない。
誰か巻き込んでしまったら、僕らだけ生き残ったって後味が悪すぎる。
しかし、
「いえ、見てくださいエーチさん」
エーコが指さした先には誰もいなかった。
ネオセキガハラ市の外れ。雪の積もった稲田が広がる平野に、ロケットは向かう。
壁の直上に。
「大壁が……!」
桑名からネオセキガハラを貫き、敦賀まで日本を分断する壁。その一部が、ロケットの直撃を受けて崩壊した。着弾点には直径二十メートルほどのクレーターが空き、雪と土砂と壁の破片を巻き上げる。
崩壊は壁を伝って次々と連鎖していき、日本の端から端まで続いていきそうだった。
数百年間、ヒトミミとケモミミの国を分かち続けた壁が、今消えた。
綺麗さっぱりと、笑えるほどに。
どういう偶然だ!?
どういう奇跡だ!?
だが、これが徳川エーコの関わったものの末路だ。
もうしばらく、レコードの密輸に気を使う必要は無くなるだろう。
ロケット建造計画の罪を着せられ支持を失墜させるであろう西側のタカ派と、暗殺未遂事件で強権を握った徳川ミッコの出方次第では、おそらく永遠に。
ネオセキガハラの冬にしては珍しく、快晴の空だった。青い空に、白い雪の平野のコントラスト。崩れた壁の土煙が彼方まで続いていた。
スリリングかつ感動的なスカイダイビングもやがて終わる。
僕とエーコは再びネオセキガハラに降り立った。壁の残骸がそこら中に落ちている。
下りた場所は、僕が西側でエーコが東側だ。
壁が無い以上、国境(そんなもの)など何の意味も無かったが。
少女(エーコ)は、
「私、あなたに言いたいことがあります」
壁の残りカスを跳び越えた。
そして言う。
ときに秘め、ときに非難され、しかし誰もが言わずにいられない言葉を、僕に言う。
最高の笑顔で、僕に向かって。
「あなたが好きです」
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