カーチェイス

 差し込んだキーを捻ると、スパイクーペのエンジンは調子よく吠え始めた。

 こいつにも色々と世話になったが、越境するとなれば乗り捨てるしかないか。

 仕方がない。古今、スパイの乗り物というのは使い捨てなのだ。

「最後の仕事だ。頼むぞ、相棒」

「運転は私がやろう。元々このスパイクーペを闇ディーラーに発注したのは私だからな。扱い方は心得ている。……ああ、怪我の心配は無用だ。走れはせんだろうが、かすり傷だよ」

 マクシムがハンドルを握り、スケパン仮面姿のまま言った。格好いいセリフでキメてはいるが、できればもっとシートに深く座って欲しい。こいつの同類と思われたくはない。

「西側部隊も迫ってきてるわよ。早く逃げましょう」

 2シーターに無理矢理押し込まれた三人目、M2がライフルの弾を装填しながら言う。

 彼女の視線の先、黒覆面にアサルトライフルの男たちが五台ほどの防弾車で向かってきていた。

「マクシム、景気づけにミサイルでもブチ込んでやれ」

「了解!」

 赤いクーペの一部がカパッと開き、対戦車ミサイルが発射!

 一台の防弾車が早くも横転する。

 爆発と銃声を背に、僕らはスパイクーペを発進させた。

 二週間にも満たない時を過ごした学園が、見る見るうちに遠ざかる。

「敷地から出たらすぐ市街地だ。連中もさすがに市民の目があれば――」

「お構いなしね。普通に撃ってきてるわ」

「我が祖国の兵士ながら嫌になるな、ちくしょう」

 フルオートこそ使ってはいないが、敵は市街地でも平然と発砲をしてきた。

「覆面を付けている以上、適当なテロ組織の名でも使ってシラを切り通すつもりだろう」

 だったら、こっちも顔を隠した方がいい。母国に見放された上国際指名手配なぞされたら、かなり厄介だ。

「私のレースパンツを被るといい」

 僕以外の二人は、すでにスケパン仮面状態だった。

 正直すげえ嫌だ。ライブのときはやむを得ずこいつで顔を隠したが、変態の持っていたスケスケレースパンツなどどうして好き好んで被るものか。だが、

「四の五の言ってられないか」

 忌々し気に呟き、僕はスケパンを被った。

 パンツで身元を隠すのは、この国に入ってから三度目だぞ。そういう性癖があるわけでもないのに。

「こうなりゃヤケだ。往生しやがれこの野郎ども!」

 敵の操るタイヤに向かい、拳銃を発砲。

 スケパン仮面×3と謎の覆面集団の銃撃戦に、巻き込まれた市民たちはパニックになって逃げだした。

 年に一度の祭りの日に爆弾テロからの銃撃戦。東側の市民には同情を禁じ得ない。特に美少女には手厚い保証をしてやりたいものだ。

 しかし申し訳ない、共和国のケモミミ美少女たちよ。今は自分たちのことで手一杯である。

「固いタイヤね。私の7mmでも厳しいわ」

 M2の言う通り、防弾仕様のタイヤは小銃じゃ抜けそうもない。その上敵は数の利を生かしてバカスカ発砲してくる。スパイクーペの装甲とマクシムの運転のおかげで、まだ被弾こそしていないものの。

「どうすれば抜けそうだ?」

 僕はM2に問うた。彼女は簡潔に答える。

「接地面じゃなくて側面を垂直に撃てば、パンクくらいはさせられるはずよ」

 マクシムが、スケパン越しに笑う。

「ふ、ならばこういうのはどうかな」

 押したスイッチは……ワイヤー付きのマキビシだ。スパイクーペの背部からシュルッと道路に撒かれる。

「うわああッ!?」

 深々と刺さりこそはしないが、ワイヤーは車軸に巻き付いた。

 覆面集団の戦闘車両が一台スピン。タイヤの側面――見えた!

「そこよ!」

 M2が発砲。タイヤを一本失った先頭車両に、後続車が詰まる。

 これで、かなり余裕ができたはずだ。

「壁が見えてきたな。本多忠勝門が近いぞ」

 カーチェイスをやっている内に、懐かしの場所まで来てしまった。ここでシラケ切ったライブをやったのも、今日のこととは思えない。

 エーコと踊ったライブ。僕は、ああ、あの時間が好きだった。また、彼女と同じ熱狂を味わいたい。

 観客の前でなくてもいい。ただ、徳川エーコと一緒に。

「本多忠勝門前に謎の武装集団が出現! 発砲の要ありと認める!」

 とうとう東側の兵士たちが僕らと黒覆面に銃を向け始めた。

 彼らに何の非もあるわけではないが、応戦せざるを得ないか。

 拳銃を東側兵の足に向けた僕に、M2が笑った。

「A1クンもまだまだ青いわね。射撃っていうのは、こうやるのよ!」

 あろうことか彼女は、走行中のスパイクーペの上から、共和国兵のライフルだけを正確に射抜いていた。

 スピンコックまでも多用して、左右に弾丸を送り続けるM2。

 本当に、馬鹿げた技量としか思えない。MI3のトップエージェントは本物の化物揃いだ。

「あっははは! ヤバいわね、もうオムツが限界よ!」

 同時に僕を例外として変態揃いでもあった。もう嫌だこいつら。

「あ、ちょっとオーバーフローしちゃった」

 すまないスパイクーペ。僕はいい主人じゃなかったね。

 と、オムツ女に汚された愛車はさて置いて、

「壁が近づいてきたな。どうするエーチ」

 マクシムが僕に訊ねる。

 目の前には倒壊した第四ステージ、本多忠勝門、ネオセキガハラの大壁の順に繋がっていた。

 こいつをどうするか。追手を引き連れたまま迂回するか。

 いや、いいことを思いついた。

「やれるか、マクシム?」

 僕の念押しにマクシムは、ハッと一瞬振り返り、

「面白い」

 スケパンの中の口を、ニッと吊り上げた。

「ニトロスイッチ、ON!」

 スパイクーペが加速する。時速300kmを超え、第四ステージに直進する。

 途中、見知った顔を見た。

一瞬目が合った驚き顔は、井伊ヴァルヒコと榊原ランファだ。まだこんなところにいたらしい。危険だから早く家に帰ればいいものを。

 まあいい。聞こえないだろうが、これで最後だから言っておこう。

「ヴァルヒコ、お前と遊ぶの結構楽しかったぜ」

 男同士として。ささやかな友情を東側に残し。

「跳び――」

 スパイクーペのタイヤが第四ステージの鉄フレームに乗った。

 パイプを車重で曲げながら、本多忠勝門に飛び移る。

 まだだ。

 凱旋門の上に積もった雪を弾き飛ばし、もう一段。

「越えろよオオッ!」

 東西を分断する大壁を、赤いスパイクーペが――跳び越えた。

 僕は西側に帰ってきた。

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