ケモミミクンカクンカ

 いろいろと邪魔が入ったせいで遅くなったが、僕らは目的の部屋までたどり着いた。

 坂東共和国はバレエのメッカだ。ケモミミ人の柔軟な肢体から繰り出される豊かな表現は、ヒトミミの及ぶレベルじゃない。

 ヒトミミ社会からはあまり快く思われない事が多いケモミミ人だが、バレエとサーカスの興業ばかりはどこの国でも会場が埋め尽くされる人気ぶりだ。

 惜しむらくは大和民国では絶対に開催されないということだが。

 閑話休題。

 とりあえずダンスの練習を違和感なく行える場所として、学園のバレエ部室を選んだのは正解だろう。鏡もレコードプレイヤーも揃っているし、防音もバッチリだ。

 僕はバレエ部員よりまず先に、スケパン仮面の、破廉恥通り越して可視光による大気汚染レベルに達している異常な姿を探した。

「奴はとりあえずいないようだ」

 分厚い防音壁。カーテンを閉め切った二重窓。扉は施錠済み。これで出現したら妖怪だ。コマンド古武術に代わり、タクティカル護摩祈祷による除霊が必要になる。――まあ、そんなもの僕は使えないし、そもそもこの世に存在しないが。

「レッスン開始だ、エーコさん」

「はい、エーチさん!」

 返事は良し。後は実力が伴うようになれば言うことも無い。

「さっそくレコードをかけて通しでやってみようか」

「頑張ります!」

 いつもはクラシック音楽でも流しているであろう年季の入ったレコードプレイヤーは、今夜から火の玉ストレートの敵性音楽を流す羽目になる。

 キュルキュルノイズが入るのは、プレイヤーが流す悲しみの涙か歓喜の叫びか。

 そんな詩的情緒はさて置いて、僕とエーコはデュエットを始めた。

「うわっとっと……!」

 エーコが危なげによろける。

 最初よりはまともになったとはいえ、元が酷すぎた。つっかえながらも僕をじっと見て踊り続ける様は実に愛らしいが、まだまだエーコは未熟だ。

『成熟した少女』を誰かひとり学園から選べと言われれば、ほぼ全員が推挙する徳川エーコの実体は、しかし誰よりも青臭く夢見がち。

(こんなの、知っているのは僕くらいだろうな)

 でも、

(この娘の夢は、そういう姿を僕以外の大勢に晒すことなんだろう)

 アイドルになりたいという願望が叶うか叶わないか。

 僕の祖国による拉致、尋問、政治取引の結果、彼女がどうなるかまでは詳しく予想できない。公表の末犯罪者として裁かれるか、もしかすると逆に一部のアナーキストなどからアイドルよろしく崇拝される可能性もある。あるいは何のお咎めも無く荒唐無稽な主張ごと闇に葬られる可能性もあるし……最悪の場合僕に彼女の暗殺指令が下る。

 それは最悪の結果だし、僕はそうならないように動いてやるつもりだ。職務に背かない範囲でなら、ケモミミ美少女一人守るのは当然のこと。……基本的に害意を持って近づいてる僕から向けられても、押しつけがましい善意だろうかね。

 無自覚のまま日本列島存亡のキーパーソンになってしまったエーコは、相も変わらず不器用なダンスを踊っていた。彼女の『奇跡』に不細工なキリキリ舞を踊らされているのは僕らだというのに。

「エーチさぁん助けてくださぁい!」

 手足がもつれコケそうになり、それでも高度なバランス感覚で持ち直し。まるでダルマだ。これだけの体幹を持っていて踊りが苦手というのは、ヒトミミ人の感覚では埒外だろう。

「つま先で地面をしっかり感じながら、もう少し腕の振りをコンパクトに」

 僕は極力端的なアドバイスを心掛けたつもりだが、

「一度にいろいろ言われてもー」

 どうしろと?

「エーチさんが私の腕を動かしてください。お願いしますよぅ」

「!?」

 今まで、僕はその一線を超えないでいた。見た目はネコミミ美少女でも、中身は真摯な紳士の僕だ。イエスケモミミ・ノータッチの誓いは全てのケモミミ愛好家にとって共通の倫理なのだ。

 だが今や、ネコミミ美少女からお触り解禁のお許しが出た。

 やらいでか石田栄一! いやさ小早川エーチ!

 僕は背後からガバッとエーコの両腕を掴み、正しい動きをガイドする――ついでにネコミミに鼻を近づけて吸った。

「Aメロは秋の終わりの寂寥感のごとく(スー!)サビにかけて北風の力強さをイメージすると(ハー)いいかもね(スー!)」

「は、はい! なんとなく分かります!」

 なんということだろう。直の喫ミミというものは、こんなにも甘美だったのか。

 僕は鼻から摂取(スニッフ)した成分を肺で押しとどめ、ネコミミン(ネコミミに含まれる向精神物質。論文発表未定)を血管に吸収させようとしていた。

「ここは思い切って(スゥゥゥ!)ターンをしてやろう(ハァァ)。感覚は(スゥゥゥ!)ちょうど一拍分(ハァァ)。ターン開始の瞬間にマイクを(スゥゥゥ!)揺らさないよう気を付けて(ハァァ)。休符のタイミングを(スゥゥゥ!)意識するのがコツだね(ハァァ)」

「あの、エーチさんさっきから息が荒いですけど、疲れてませんか? 大丈夫ですか?」

「絶好調だよッ!!」

 全力でネコミミをクンカクンカしながらも、僕は決してペロペロまで至ろうとはしなかった。

 人生の最大目標に設定しているほどケモミミペロペロには憧れているが、だからこそこんなラッキースケベみたいな場面で無理強いはしたくない。

 ペロペロをするなら最高のシチュエーションで、最高のペロペロを。それが僕の理想だ。イエスクンカクンカ・ノーペロペロ。

 うん、ごく冷静に自己分析をしてみるが、今の僕は大分狂ってるな。極上の喫ミミ体験の結果なのだからやむなしか。

 こんなアイドル育成ならいつまでもやっていたい。スパイなぞやめてアイドルプロデューサーにでもなろうかと本気で心が揺れたほどだ。……分かってる。それこそ、徳川エーコがアイドルとして大成する以上の夢物語だ。

 彼女の運命をいじくっているのが『奇跡体質』ならば、僕には『ジンクス』がある。平穏や人並みの人生を幻視したときに出現する、最悪の魔物が。

「……そういえばエーコさんは、あのディスコのとき僕のスカートの中身見たの?」

 なんとなく、気になったことを訊ねていた。『見てない』と言われれば、『恥ずかしいパンツを穿いてたんだ』とか返しておくだけだし、『見た』と言われたら……僕の秘密が一つバレたということになる。

「え? 見ましたけど。エーチさんパンツ穿いてませんでしたよね。私も真似した方がエーチさんみたいになれるんでしょうか」

「何をどうやったって一生なれないよ! だからパンツは常に穿いておくんだ!」

 いや、指摘する場所はそこなのか? エーコはどこかズレている。

「エーチさんにくっついていたあれは……」

 ゴクリ、と僕は息を呑んだ。いよいよ彼女が僕の嬉し恥ずかしワイルドビーストに言及するのだ。今までは多分、彼女の気分で女同士の距離でいられただけで、僕が男だということが共通認識になればこれまでのようにはいられない。今すぐ離れてくれと言われるかもしれない。

 エーコは、

「あれ、何なんでしょう? 合衆国で暮らしていると、政府とかが付けてくれたりするんでしょうか?」

「!?」

 深遠な質問だ。男の勲章を政府が叙勲してくれるかだって? こいつは生まれながらの愛棒もとい相棒さ。アナーキストでも統制主義者でもこいつだけは平等に持って生まれる。それでも人が集団に属する生物である以上、男としての誇りや黄金の価値観×2もまず政府から与えられるというのは、あながち間違いでもなく……

 僕は混乱しながらも、一つの結論を導き出していた。つまり――

「あれはね、エーコさん、オ○○○○っていうんだよ」

「オ○○○○? なんですか、それ?」

 徳川エーコはオ○○○○を知らない。

 ここまで無知だと、それがもう一つの奇跡のようなものだと思うのだがどうか?

「とっても価値のあるものだよ。だから軽々しく口にしちゃいけないし見せびらかすものでもない。ディスコのときは僕にも事情があったんだ」

「そうなんですか……。エーチさんにもいろいろあるんですね。オ○○○○とか」

「だから軽々しく口に出すなと」

 僕がやんわり性教育を行っていると――ああ、現れやがった。僕の平穏を食らう最悪の魔物が。


「ブラボー、ブラボー。青春、努力、反体制……美しい光景だ。その曲は確か、民国のヒットナンバーだったかな?」

 顔を覆うスケスケレースパンツ。悪趣味なテンガロンハット。ガチガチのマッスルボディに、股間のDRAGON。奴は――

「スケパン仮面!」

「Yes I am!」

「どこから現れた!」

 部屋は施錠されていたはず。防音もリッチな共生学園バレエ部使用だ。奴を捕獲しようと画策していたのは事実だが、この練習場まで入ってくるとは予想外だった。

「無論、入口から紳士的(ジェントリィ)に」

 あまりに堂々と、色々な意味で堂々と、スケパン仮面は練習場の鍵を見せびらかす。――僕らの鍵は別にある。どこからか合鍵を盗んだんだろう。

 しかし、そこまでして奴は何がしたいんだ? 警備員に殴られるリスクを犯してまで、己の裸体を見せびらかしたいだけなのか?

「変質者め。理由なんてどうでもいい。見られたからにはお前の正体を暴く。そして、そいつを取引材料にしてやる」

 当局に露見すればマズいのはお互い様。あの変態と交渉するのは不快極まるが、四の五の言ってはいられない。

「くく、お互いに秘密をさらけ出し合おうなどと、ゾクゾクするじゃないか。そんなにも飾らない裸の私が見たいのか?」

「テメエはもう裸だろうが!」

「エーチさん、あのブラブラしてるのオ○○○○ですか!? オ○○○○ですよね!? スケパン仮面も持ってたんだ、オ○○○○!」

「エーコさんはちょっと黙って!」

 前門の変態、後門の馬鹿という地獄に挟まれた真人間の僕。どうすればいいのか混乱しかけるが――そうだ。スケパン仮面を暴力でとっ捕まえればいいだけだった。シンプルイズベスト。

「というか私、スケパン仮面を初めて見ました! あの人が噂に聞く変質者なんですね! サインとかもらってもいいですか、スケパン仮面!?」

「ははは、いいとも。一人で全身をくすぐって遊ぶための毛筆しか持っていないが、これで衆道もとい書道をしてあげよう」

「はい、是非!」

 ハンカチを持ってうろうろとスケパン仮面に駆け寄るエーコ。変質者相手に何考えてるんだ。

 僕は危険を感じながらも止めようとはしなかった。

『好事魔多し スケパン仮面』

 スケパン仮面はテンガロンハットの隙間から出した毛筆を使い、見事な筆跡でハンカチにサインを書く。高そうなハンカチなのにもったいない。

「ありがとうございます、スケパン仮面!」

「どういたしまして。今後とも応援よろし――」

「コマンド崩拳」

 にこやかにサインを渡すスケパン仮面に、僕は全霊の不意打ちを放った。拳の圧力により弾けた空気が、パァンといい音を放つ。

「チッ、すばしっこい奴だ」

 やはりとんでもない脚力により、スケパン仮面は僕の攻撃を避けていた。肋骨を砕くつもりだったが、折れたのは奴がおぞましい趣味に使う筆だけだ。

「東側(こっち)では貴重な本物の馬毛筆なのに、もったいない」

 スケパン仮面は無防備な裸体で、平然と軽口を叩いた。

「買い直せよ変態。僕と戦った後で文房具屋に行けるくらい元気だったらな」

「ものすごい練度のコマンド古武術だな。私の格闘技能ではまず勝てまい」

 こいつ、コマンド古武術を知っている。変態には違いないが、そこらで適当に湧いた頭がアレなだけの男ではない。素人じゃない。

「だったらどうするスケパン仮面。自分から膝を付いて、その汚ねえスケパン取るなら今の内だぞ」

 僕の親切な降伏勧告を、スケパン仮面は鼻で笑った。

「残念だ。今日も退散するとしようか」

 そう言い残すが早く、全裸の変態は引き締まった尻を見せながら逃げ出した。

「逃がすか変態!」

「さようならー、スケパン仮面!」

「エーコさんも追いかけるんだよォ!」

 ネオセキガハラ共生学園、夜。色々なものを賭けた追撃戦が開始された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る