ガサ入れ

「そろそろバイクも使えねえなぁ」

 ネオセキガハラの冬は雪の季節だ。

 白のまだらになったアスファルトの上、ヴァルヒコは二人乗りのバイクを危なげなく操り、路上に止めた。

「しかしエーチ、違法なディスコで制服着用ってのはどうなんだ」

「着替える時間がなかったんだよ。コートを羽織っていれば気づかないって」

 局長(へんたい)から支給された共生学園の女子制服以外にも、私服がないわけではない。だがスパイ七つ道具をあちこちに隠した手前、着替えるのが面倒というのが実際だった。ヴァルヒコに言ったことも、あながち嘘じゃない。

「コートで踊る気かよ。……まあいいか。それはそれで可愛いよな!」

 ヴァルヒコは持ち前のポジティブ思考(女性限定)で無理矢理納得し、雑居ビルの地下に降りていく。

 彼は閉まったシャッターを、ケモミミ人の怪力でさっくりこじ開け、ガードに入場料を払う。それからいかにもアンダーグラウンドな雰囲気の鉄扉へ入った。

「おお、しっかりディスコだ」

 東側の閉鎖的雰囲気に合わない光景に、僕は少し驚いた。

 大勢の若いケモミミが、お立ち台を囲んでフィーバーしている。

 流れているのは西側で流行しているアイドルユニット、ロリポップスの曲。西側のテレビでは彼女たちが映らない日は無いし、公開オーディションでも行えば民国中の少女が大挙して押し寄せる大人気アーティストである。

 ディスクジョッキーはご禁制のアイドルソングを爆音で流し……てはいない。ディスコといえばもっと喧しいイメージだったが、ドギツイ照明のフロアでは予想に反して控えめな音楽が流れていた。

 考えてもみれば、ケモミミ人の聴覚でヒトミミ同様の爆音ダンスミュージックなど流せばすぐに耳が潰れてしまうだろう。西側ディスコでは当たり前のタバコ臭さも無かった。代わりに――なんだこの匂いは?

「あー、ヴァルヴァル久しぶりー」

 踊りもせず、壁際の椅子でダラリと四肢を弛緩させているサバトラネコミミ女がヴァルヒコに声を掛けた。匂いの元は彼女のドリンクか。――まさかあれは、

「久しぶりって、きっかり一週間しか経ってねえじゃねえか、ラリータ。てゆうかお前、またマタタビでラリってんのかよ」

 マタタビ!

 嗜好品に乏しい東側で、ネコ科ミミ人限定の娯楽として流通している天然ドラッグ。一応あれも違法なはずだが、ここでは当たり前に売買されているようだ。

 ラリータと呼ばれたサバトラネコミミはベロベロに酔っている。ペロペロは無理だが、クンカクンカくらいはできそうだ。

 僕は道徳と欲望と任務の狭間を反復飛びで懊悩し、結局手は出さないことにした。名残惜し気にサバトラネコミミを見つめる以外、今の無力な僕にできることはない。

「ヴァルヴァルまた女の子連れてきたんだー! やっるう!」

「いや、ヴァルヒコとはそんなんじゃないから」

 冷やかすラリータを、僕は爆速で否定した。

 学校では異端のヴァルヒコも、ここでは結構な人気者のようだ。羨ましいので少し冷淡に扱ってもバチは当たらないだろう。

「くっ、やっぱロックだなエーチ。だがそんなんじゃ俺の情熱は止められねえぜ。――とりまマタタビでもキメる?」

 ヴァルヒコを無視して、僕はとりあえず踊り出す。

 伊達に西側市民をやってはいない。ロリポップスの持ち歌なら振り付け含めて完コピしている。

 突如現れた謎のネコミミダンサー(僕)は、あれよあれよという間にケモミミヤングの注目の的となり、あれよあれよという間にお立ち台の上で踊っていた。

「フィーバー!」

 僕が一曲終えるたびに、熱狂的な拍手がフロアを満たした。

 ……冷静に思い返してみれば、僕はこんな場所でフロアのヒーローもといヒロインになるため国境を越えてきたのだろうか?

 まあいいか。

 僕はケモミミっ娘の耳目(特に耳が重要!)を集めることに熱中していた。

 夜はまだまだ始まったばかり。この中の一人くらいペロペロできるかも――という僕の下心は、やはり不意に砕かれた。

「……マズいな」

 僕はお立ち台から下りて、ヴァルヒコに近づく。

「すげえなエーチ! 惚れたぜ。アフター空いてる?」

「そんなことはどうでもいい」

 下心剥き出しのヴァルヒコを制し、彼に耳打ちする。

「警察のガサ入れだ。間も無くここに武装した警官が突入してくる」

「!?」

 ヴァルヒコはビクリと震えた。

「何でお前、そんなこと……」

「説明は後だ。ここから抜け出すよ」

 ガサ入れに気づいたのは、スパイ七つ道具の一つ、超小型マルチ受信機で警察無線を傍受したから。そんなこと敵国一般人のヴァルヒコに教えるわけにはいかない。

 しかし地下という場所のせいで気づくのが遅れた。西側技術の粋を凝らしても、限度はあるということだ。

「賄賂は入れてるのに、どうしてだよ」

「公権力っていうのは理不尽なものさ」

 僕自身もその公権力に含めて。……ヴァルヒコにガサ入れを教えたのは、彼が逮捕されれば僕の名前も当局に渡る危険があるから。全部打算だ。

「他の連中にも知らせないと」

「もう遅い。――下手に騒動にするくらいなら、大人しく捕まってもらった方が罪も軽くなるだろう。逃げられるのは僕らだけだ」

 ヴァルヒコは青ざめた顔でラリータを一瞥した。思うところはあるだろうが、他は見捨てるしかない。

 凶悪犯罪というわけではないのだ。留置場数泊か、上手くいけば調書だけで終わるだろう。それすら僕には大事なので、こうして脱出の算段を立てているわけだが。

「出入り口は封鎖されている。換気用のダクトを通って脱出しよう」

「マジかよ……」

 僕はトイレの天井に登り、天井裏から垂直に伸びるダクトへ入ろうとして、はたと止まった。

「ヴァルヒコ、先に行ってくれよ」

「ええ、俺が?」

「スカートの中、見られたくない」

「あっ……クソ、惜しいな」

 ヴァルヒコは今気づいたとばかりに悔しがった。こんな状況にもかかわらず。

 仮に僕がマジモノのケモミミ美少女だったら、オパンツくらい気前よく見せてやってもいいだろう。しかし、僕のDANGERなショットガンを目撃してヴァルヒコに卒倒でもされたら元も子もない。

 男なら大概誰でも同じ意見のはずだ。女性ものショーツは流線型のデルタ地帯を形成してこそ本来意図したデザインを果たすのであり、お稲荷さんないしフランクフルトがHELLOしてたら、それはもう見るもおぞましいHENTAIの小道具でしかない。

 僕は本当にやむを得ず選択の余地もなく断腸の思いで遺憾の意を表明しながら着用しているが、こいつで興奮するのは局長レベルのHENTAIだけだろう。

「ということでお先にどうぞ、ヴァルヒコ」

「お、おう。なんか今お前、すごい高速で妙な事考えてなかったか?」

「気にするなよ」

 くねくねと大柄な体躯を狭いダクトで悶えさせながら、ヴァルヒコは上へ上へと登っていった。

 僕は男の股間を眺めながら、

(これが仮にイタチミミっ娘とかだったら、もっとスルスル登っていけるのかな? イタチミミ美少女をペロペロしたいなぁ)

 などと普段通りの妄想していた。こういう場面でこそ、僕らのようなプロフェッショナルには平常心が要求される。

 喫ミミおよびケモミミペロペロ妄想は、僕にとって最高のマインドリセット手段だ。これさえ心がけていれば、僕がしくじることなどありえな――

「うぎゃあ!」

 ならず者に蹴られた野良犬のような声を上げ、一階の天井裏に達したヴァルヒコが落ちていった。

 ヴァルヒコの体重を支え切れず、天井の構造材が崩れたのだ。なんという安普請だろう! これだから東側の業者というやつは。……決して僕の落ち度ではない。全部共和国人の手抜き工事とヴァルヒコが悪い。

 だが僕の敵国に対する満腔の憎悪も、この場では無意味か。

「天井から人が落ちてきたぞー!」

「反体制のガキどもか!?」

「あら可愛いオオカミミミのボウヤ。特にお尻がセクシーだわ」

「怪しければとりあえず逮捕だ! 逮捕!」

 ザワザワとした男たちの声。……男たちの声!

 まあ、聞こえた声が全員男だったとか、ヴァルヒコの尻がいよいよヤバいとかはどうでもいいだろう。

 僕は脳内でフェネックミミ美少女をペロペロしてから、いくつかの対策を電撃的に比較検討した。

 僕だけ逃げるのは容易いが、それで僕の名が当局に売られれば潜入任務は実質失敗になる。共生学園に秘密警察が介入するのも避けたい。――そういう意味では、この場に僕がいて良かったのかもしれない。普段通りにヴァルヒコ一人が非合法ディスコに通えば、学園の捜査は避けがたかっただろう。

 この場でヴァルヒコを救助する。それは絶対条件だ。

 僕は懐の拳銃に意識を移し、すぐに考慮から除外。こんな場所で殺人なんて冗談じゃない。

 ならば、肉弾で殴り倒すしかあるまい。

 しかし、スパイ七つ道具に顔を隠すものは無いのだ。ほどよく僕の顔面にフィットして包み隠せる何か……

「ハッ!?」

 重要なことに気づいた。そうだ。この手があった。

 僕は自らのパンティを狭い天井でズリ下ろし、顔に装着した。解き放たれた剥き出しのビーストがスースーする。

 気にせず天井の穴からダイブし、複数の屈強な警官たちと相対した。

「貴様は――」

「コマンド古武術奥義・コマンド手刀」

「グワッ!?」

 まず一人、延髄にキツい一撃を食らわせ無力化。

 不意打ちから一転、ケモミミ警官たちは持ち前の反射速度で立ち直り、闖入者たる僕へと殺到する。

「公務執行妨害だ! いや、国家反逆罪だーッ!」

「逮捕しろオオオオッ!」

「コマンド正拳突き」

「グエエッ!?」

 鳩尾にコマンド古武術の一撃を食らった警官が、くの字に折れ曲がって倒れた。

 単純に身体能力を比べれば、僕と彼らとでは勝負にならないだろう。

 しかし、僕の方にはコマンド古武術という技がある。ヒトミミ人がケモミミ人と互角以上に戦うために編み出された、最強格闘技が。

「コマンド地獄突き」

「ゲエッ!?」

 振り下ろされたスタン警棒を掻い潜り、僕は三人目の喉仏に抜き手を放った。

 これで残りは一人だ。

「クッククゥ! やるわねネコミミのお嬢ちゃん。でもこのアタシは他の連中と違うわよ」

 大柄なヒグマミミの男が、油断なくスタン警棒を構える。この構え、僕は知っていた。

「柳生新陰流非殺傷逮捕術・『殺人剣の構え』よ。さあ、逃げられるものなら逃げてごらんなさい!」

 かつて徳川将軍家の指南役として名をはせた柳生。関ケ原の大戦でも猛威を振るったその剣技は、今なお東側に連綿と受け継がれていた。

 それにあの体格では、並大抵の攻撃は効果をなさないだろう。頭部に集中する急所も狙いにくい。ならば――

「コマンド金的」

「男の尊厳ッ!?」

 ヒグマミミ警官は柳生新陰流を空振り。股間を押さえながら、コマンド古武術の前にあえなく崩れ落ちた。

 膝を付く瞬間、苦悶とともに口走る。

「そのパンティ、その強さ……まさかスケパン仮面……」

「!?」

 予想外のワードとともに、最後の警官が気を失った。

「あてて……なんかヤベエ場所に落ちちまったような気がするけど」

 僕が四人の警官をコマンド古武術の餌食にするやいなや、ヴァルヒコはうつ伏せ姿勢から起き上がった。

 そうだ。今はスケパン仮面よりも、このビルからの脱出だ。

「……なんでエーチがパンティ被ってんだ?」

「気にするな。それより走れるか、ヴァルヒコ?」

「問題ねえよ。受け身はちっと失敗したけどな」

 うつ伏せ状態で落下したおかげで、顔は見られていない可能性が高い。これも不幸中の幸いというやつか。

「下が騒がしくなってきたな。……クソ、ダチが逮捕されるってのは慣れてるつもりだけど」

 ヴァルヒコは下の方に耳を向け、地下の騒動を聞いている。

 理不尽な社会に対するやり場のない感情が、耳の先までありありと満ちているようだった。

 僕はそれを見ても冷静なままだ。国は違えど抑圧する側の僕から彼に言えることなど、何一つ存在しない。

「入口は当然封鎖済みだろうね。あの窓からビルの外に出よう。人の気配は……」

「無いな。少なくとも、足音はしねえ」

 曇りガラスの向こうを、ヴァルヒコの聴力で確認。

 今できるのは逃げることだけだ。

「僕が先に出よう」

 まずは手近な窓のロックを解除しようと、レバーを下げ……下げ……下げられない。どうやらロックが壊れているようだ。東側の工作精度は本当に致命的だな。ディスコよりも工場内での飲酒を取り締まってほしいものだ。

 などと、文句を言っても仕方がない。僕はいっそ思いきり力を込めて――

「よッ――あ、」

 パキッといい音がして、レバーが壊れた。東側の品質管理は本当にどうなってるんだ。

「エ、エーチ……どうすんだよ」

 ヴァルヒコが戦々恐々と言った。――どうするもこうするも、

「そりゃもう、こうするしかないだろ」

 僕は体当たりで窓ガラスを破り、粉雪の降る路地裏へと跳躍した。ガラス破りでケガしないためにはコツがある。スパイならほとんど必須の技能だ。

 そして、僕は着地点を――

(ああ、)

 着地点を見た。時間が静止したかのようだった。

 ガラスが降りしきる路地裏で、そいつは僕と目が合った。

 そこに彼女がいた。

(徳川――エーコ……ッ!)

 ネオセキガハラ共生学園政治委員長・徳川エーコ。ヴァルヒコの耳が気配を取り損ねたのは、そこに棒立ち状態だったからか。

 黒いネコミミの美少女は、ガラスの雨の中で傷一つ負わず立っている。

 だが、このままでは落ちる僕と激突するだろう。

 僕はやむなく空中で一回転し――迂闊にも下半身を彼女にさらけ出し――エーコの背後に着地した。

 回転のはずみで顔から外れたパンティが、はらりと散る。

「あなたは……」

 無傷で立つエーコは、相変わらず読めない表情で呟く。

「転校生……小早川エーチ……さん」

 見られた!

 違法ディスコから脱出する瞬間を!

 股間のワイルドビーストを!

 彼女は党と直接連絡を取る権限を持つ。彼女の通報一つで、秘密警察がスッ飛んでくる。

 なぜこんな場所にエーコがいたのか? そんなことは決まっている。

(僕を尾行して、決定的瞬間を押さえるため! クソ、このエージェントA1ともあろうものが、素人の尾行を許すなんて!)

 あの食堂で僕の反体制発言を受けても、何の反応も示さなかった理由。事を荒立てまいと無視を決め込んだわけじゃなかった。僕を予想外の執拗さで陥れようとしていたとしか考えられない。

 とんでもない失態だ。あるいは徳川エーコが素人ではないとしても、こういう結果を招いたのは僕の無能に他ならない。

 拳銃に手を伸ばしかけた僕に、エーコが言った。

「……明日、生徒会室に来てください」

「……」

 僕はただ黙ってうなずいた。

「ケガは無いかよエーチ……って、エーコさんじゃん!?」

 遅れて窓から出てきたヴァルヒコ。

 彼の処分はどうなるのか。明日の土曜日、生徒会室で何をするつもりなのか。エーコは何も言わずにこの場を立ち去った。

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