MISSION1 借りてきたネコ

潜入開始

「初めまして。僕の名前は小早川エーチといいます」

 ズラッと並んだケモミミの前、僕はしれっと偽名を名乗った。

 本名である石田栄一など、明らかに西側のヒトミミ人男性。ケモミミ人女性として東側に潜入した手前、こういった偽名の使用は不可欠だ。

 スカートの裾を指先でつまみ、日頃脳内でモデリングしていたケモミミ美少女のごとく、努めてたおやかに挨拶。同級生たちからは、さぞや偽のネコミミが見やすいことだろう。

 西側最新鋭のケモミミ偽造技術は、この僕ですら太鼓判を押すレベルのクオリティだ。皮膚と一体化しているかのような特殊メイクを施してあるので、じっくり見られても支障はない。

「エーチさんは……そうですね、井伊ヴァルヒコさんの隣に座ってください。あちらのニホンオオカミミミの男子生徒です」

 戦前かと見まごうばかりに古い型のスーツを着たモルモットミミ教師は、二つの空いている席を見比べて、一方を僕の牙城に決定した。僕は指示通りの場所に歩いていく。

 エーチ、ヴァルヒコ……西側からすれば奇妙な響きの名前だが、坂東共和国では名前にこういう音を使うのが普通だ。各国からのケモミミ難民を受け入れるうちに、文化がミックスされまくったということもある。

 それにしても、教室全体がもう芳しい。見渡す限り一面ケモミミ少女ばかりだ。ピコピコとケモミミを動かし、転校生ぼくの名を聞き入っていた様など、いとをかしかった。……この中の誰かを、拉致尋問しなければならないとしても。僕はやはり憧れのケモミミ少女に囲まれ、束の間の幸福を噛みしめていた。

「よう転校生」

 着席するやいなや、僕にドスの効いた低い声で話しかけてきたニホンオオカミミミの男。というか、

「君誰だっけ?」

「ああ?」

 茶色のロン毛を一つ結びにした男子生徒は、鋭い眼光で僕を睨んだ。

「井伊ヴァルヒコだ。さっき教師から紹介されただろうがよ」

「ごめんなさい。男は視界に入っても記憶野に残らない性質なんだ」

 僕はケモミミが好きだが、その対象はケモミミ少女に限る。男はノーサンキューだ。念願のケモミミ少女に囲まれたせいもあり、ケモミミ男性であるヴァルヒコ君のことは秒で記憶から吹っ飛んでいた。

 ヴァルヒコはますます目を細め、僕の周囲を無遠慮に嗅ぎまわり始めた。

「お前……」

 これは……少々マズいかもしれない。

 ケモミミ人がヒトミミ人に比較して絶大な身体能力を誇ることは、周知の事実である。さらに彼らは生えている耳によって、ケモミミ人の間であっても知覚能力に強い個性が出るのだ。

 その個性の差がある故に、多くの国では同族間の部族社会が固定化されてしまい、ヒトミミ社会に大きな後れを取っているという悲劇もまたあるのだが。

 ともかく、イヌ科の耳を生やす人種は、聴覚はもちろん嗅覚も優れたものを持つことが知られている。もしかすると、ヴァルヒコは僕の偽ネコミミに勘づいてしまったのかもしれない。

 だとすれば、潜入当初から最悪のピンチということになる。あまりそうは見えないが、彼が当局への密告を躊躇わないような性格だったら……

 しかしヴァルヒコの二の句は、予想外のものだった。

「いいシャンプー使ってるね。そういうとこ気を使ってるんだ。可愛いねぇ」

 ヤンキー然とした威圧的態度から一転、ヴァルヒコは馴れ馴れしく僕にすり寄り始めた。

 というか、すっかり慣れて無自覚になってしまっていたが、僕は今道を歩けば誰もが「ヒュー!」と口笛を吹くようなネコミミ美少女なのだ。

「もしかして男が苦手なタイプ? 大丈夫大丈夫。俺が男の良さを教えてあげるからさ」

 同性に言い寄られて気色悪い――というよりは憐れに思えてきた。彼はただ僕に騙されているだけだ。

 美少年と知った上で女装をさせてくる中年のオッサン(局長)と、無知にして女装男子にモーションをかけてしまっているケモミミ少年では、まるで同情の度合いも違う。

 僕はただ、同じ男として彼に親近感を持ち始めていた。

「ごめんね。僕合衆国では女子高にいたからさ。君の言う通り、男の人ってちょっと苦手なんだ」

 合衆国は日本の分断とは無関係の、中立の国だ。僕は東側入国にあたり、大和民国から合衆国を経由して、偽の身分を取得しこちらへ入った。共和国資本企業の駐在員の娘――いわゆる帰国子女ということになっている。

 距離的には壁を越えればすぐ。しかし、平穏無事に入国するには、ほとんど地球の裏側まで飛んで行かなければならない。これが東西に分かれた日本の実情だ。

「僕っ娘かぁ。そういうのもいいなぁ」

 ヴァルヒコは軟派な本性を隠そうともせず、差し出した僕の手を執拗に撫でまわす。

 いいともいいとも。存分に撫でたまえ。同じ男だ。それで君が満足するなら、僕は掌くらい喜んで差し出そう。――ところで君、姉妹とかいない?

 打算百パーセント中の百パーセントの茶番は続く。

「正直に言うけどよ、俺は女の子が好きだ。もう何ミミだろうと関係なく女の子が好きだ。XX染色体を持ったピチピチの個体なら全く選り好みしないぜ、本当だ。……なんなら、ちとマニアックだがヒトミミ属性だって十分イケる」

 周囲を窺うよう、ヴァルヒコは『ヒトミミ』のところだけ小声で囁いた。

「ちょっとヴァルヒコ。ヒトミミに好意的な発言なんかしたら、そのうち秘密警察に敵性思想とかの容疑で捕まるわよ」

 そんな囁きを聞きつけ、ヴァルヒコの後頭部にチョップを入れるウンピョウミミ女生徒が一人。

「イテッ! なんだランファか。おしおきありがとうございます。俺にとってはご褒美です」

 チョップを食らったヴァルヒコはランファとかいうウンピョウミミ女生徒に丁寧な口調で謝辞を述べた。……この男は本当にブレないな。

「そんな馬鹿みたいなことことばっか言ってるから、クラスの女生徒全員アンタを敬遠してるんでしょうが。本末転倒にもほどがあるわ。ホントどうしようもないわね」

 と、言いつつランファだけは、どうしようもないヴァルヒコにも気さくに接している。どうやら彼女は相当に面倒見のいい性格のようだ。

「私は榊原ランファ。よろしくねエーチさん」

「こちらこそよろしく。素敵なウンピョウミミのランファさん」

 僕はケモミミ少女とお近づきになるべく、最上級の新愛を込めて榊原ランファと握手を交わした。

「驚いた。ウンピョウミミなんて珍しいから、初対面で指摘してくる人は共和国人でもあんまいないんだけど」

「僕は帰国子女だからね」

 獣としてのウンピョウは、小型の豹の一種。確かに、僕ほどのケモミミソムリエでなければヒョウミミや他のネコ系ケモミミと区別を付けるのは難しいだろう。

 特に遠目からなら僕の視覚だって信用できるかどうか。――そういえば、ランファさんは長いヒョウ柄金髪をしている。“跳び越えた少女”候補としての資格は十分といっていい。

 それはヴァルヒコにも当てはまる。もし彼が僕のような女装少年だったら、不鮮明なカメラではネコミミ女学生と見間違えても仕方ない……のかもしれない。

 ランファさんは笑顔の下に隠した僕の疑念など全く気付きもせず、フレンドリーに歓迎のあいさつを続ける。

「多分ヴァルヒコと会話をするのは今日で最後だろうから、他のクラスメイトと仲良くした方がいいわよ。合衆国の話なら、皆聞きたがるだろうし」

「ずいぶん失礼じゃねえか、ランファさんはよォ。俺はただ、好きなものを好きと主張しているだけだぜ?」

「政治委員や当局が、それをいつまで戯言と受け取ってくれるかって話をしてるの!」

 部族社会に陥りがちなケモミミ人を半ば無理矢理纏め上げ、国家を維持するに足るシステム。この坂東共和国におけるそれは、鎌倉の幕政以来続く軍国主義と全体主義だ。強力過ぎる個性を『平等』の名の下平均化することが、共和国の国是なのだ。――ランファの言う通り、ヴァルヒコの極端な女好きアピールは賢明な言動ではないのかもしれない。

「俺の情熱は政治委員長だっていつか落とす」

 全く賢明ではないが、僕はやはりこの馬鹿な少年が嫌いになれないでいた。他者や自己に嘘を重ね、好きなものを好きと言えない世の中は、西側も同じだ。僕らの『好き』は、いつだって政治的な正しさというやつで抑圧されている。――そんな中で『好き』を貫ける馬鹿は、僕としては……うん、『嫌いではない』。

「あの徳川のお姫様が、アンタごときに靡くわけないでしょうが」

「未来のことは神のみぞ知る、だぜ。特に恋愛事はな」

 二人は空いている机を見ながら、僕が面識のない誰かについて話した。

 政治委員長の、徳川何某。

 東側の徳川姓は、西側の石田ばりにありふれている。その中でも『お姫様』と呼ばれる人物となると……

「噂をすればお姫様のご登城だ! 今日は一限開始前に来てくれたな!」

 ヴァルヒコはニホンオオカミミミをビクッと動かし、エンジン音のした窓の外をハイテンションで見た。僕もつられてそちらに視線を送る。

 恐るべきケモミミ美少女がそこにいた。

 黒いネコミミは、ありえないほど艶やかなキューティクルにより、一瞬黄金に見えるほど。

 彼女は同じ色の長い髪を靡かせ、合衆国製の高級車から颯爽と姿を現した。

 底知れぬ知性と厳しさを想起させる切れ長の金瞳。柔らかく結ばれた口元は雪のように冷たく超然としている。

 何より、彼女は身も蓋もなく美しい。どんな言葉を尽くしても、『ケモミミ美少女』という一言に括ってしまえば、僕にとってはそれだけで心を奪われるに値する。

「徳川エーコさん。相変わらず素敵だわ。彼女と私が同じクラスなんて、本当に信じられないくらい」

 ランファがうっとりと呟いた。同性のウンピョウミミ少女すらも魅了するだけのカリスマが、徳川エーコにはあった。

 徳川エーコ……名前だけは僕も知っている。この共和国の最高指導者と同じ、旧将軍家の傍流。名門中の名門に生まれた、まさにお姫様だ。父親は党の幹部をやっている。

 ネオセキガハラ共生学園の中でも最高クラスの重要人物として、情報だけは事前に耳に入れておいた。彼女が党の意向を伝える東側学校独自の制度、政治委員会の長であることも。

 実物を見るまでは、こんなにもドストライクのケモミミ美少女だとは思わなかったが。

「ごめんなさい、アルベルト先生。少し寝坊してしまいました」

 教室に着くやいなや、徳川エーコは薔薇の花を背負いながら(イメージ映像)華麗に遅刻の理由を説明した。

「大人ー……!」

 ランファはそんなエーコに対し、熱を込めた吐息を漏らす。

「うん、ご苦労様エーコ君。一限目は数学ですよ」

「かしこまりました」

 さっきまで生徒の雑談を放置し置物と化していたモルモットミミ教師は、特にエーコの遅刻を咎めるでもなく淡々と扱っていた。

 この学園は、実のところ政界財界の有力者たちが子女を通わせる、かなりハイソな場所なのである。教師とて、立場が強いわけではないのだ。

 そんなハイソという無秩序の中でも、ヴァルヒコのような生徒は例外中の例外だろう。転校初日の僕から見ても彼は浮いている。

 麗しきネコミミ美少女エーコ様は、自分の席へ向かう道すがら僕の横を通り抜ける。予想通りいい匂いがした。

 そして、見知らぬ僕の顔に一瞥を送る。

 相変わらず、読めないクールビューティーのまま、エーコは僕に囁いた。すれ違い様に、一言――

「スケパン仮面マスクに気を付けて」

「!?」

 何を言われたのか、一瞬脳が理解を拒んだ。

 今のは……一体?

 スケパン仮面?

 なんだ、それは……。

 超絶ネコミミ美少女の謎めいた言葉に、僕は何も問えなかった。

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