みみみみみみみ

霊鷲山暁灰

BRIEFING 袋のネズミ

袋のネズミ

 馬鹿みたいな奴だった。

 僕の“奴”に対する第一印象は今もそれで変わっていないし、なんならもっと『上』の報告書にも『馬鹿みたいな奴でした』と書いてしまった。

 構成する要素全てが馬鹿みたいな偶然の上で馬鹿みたいなバランスによって積み上げられ、やはり馬鹿みたいな奇跡のお陰で保たれている。

 それが“奴”だ。

“奴”に手を出そうとするのはやめておけ。僕の耳に賭けて忠告するが――『何が出るか分からない』。

 鬼か蛇か、タヌキかキツネかはたまたムジナか、それとも言語を絶する○○か。

 神が振る賽があるとして、“奴”だけは出目以外の『何か』で動いているに違いない。

 だから僕は重ねて忠告する。“奴”に手を出すのははやめておけ。

 実のところ、先日起きた『例の事件』。あれも“奴”が原因だ。“奴”はあのとき……おっと、これは本機密音声のセキュリティレベルを逸脱している。諸君らが知る必要のない情報だ。忘れるように。

 ……と、まあ、僕が君に残す記録事項はおおむね以上の通りとなる。

 今僕は生きているのか死んでいるのか、それすらも分かりはしないが、ともかく――君が僕の同胞であるならば健闘を祈る。そうでないならば、有能なる『敵』に敬意を表そう。


 なお、このテープは再生後自動的に消滅する。


 BRIEFING 袋のネズミ


 僕は耳をそばだてた。僕は耳を傾けた。僕の耳は声を拾う。

「しかるに、我が正当なる日本国におけるケモミミ排除は、国際世論からの支持もありまして――」

 街頭テレビジョンから、タカ派で知られる議員の口やかましいアジテート。

 僕は聞きたくもない、とはいえ公僕として従う他ない民意に背を向けた。

「違う。これじゃない」

 誰も聞いていない独り言を人波に残し、路地裏へ身を滑らす。

 しんしんと雪の降る日だった。

 ネオセキガハラ市における、これが今年の初雪だった。

 上を向けば高層ビルディング。老いたペンキ絵職人(ペインター)が、公営ビルに軍の募集広告を描いていた。白い歯の軍人が『I WANT YOU』と笑っている。

 下を向けばタバコの吸い殻。ずいぶん昔から喫煙マナー云々の話はされているが、栄えある西側市民諸君はあまり頓着しないようだ。

 東側の住人はどうだろう。彼らは基本的に嗅覚が敏感で、タバコを好まないらしいが。

 西側と東側。日本と呼ばれた島国が俗に言う『関ケ原合戦』により真っ二つになって、およそ四百年。この街は今ネオセキガハラと呼ばれている。――東西に分裂した日本の中心にして極端、ネオセキガハラ市。江戸と京に首都は分かれたが、前線のこの街は長い時の中で両国行政の中心になってしまった。

 僕は引き続き耳をそばだてる。

 ジャッジャッと、薄く積もった雪を踏む音。

 ある場所を境にその勢いが衰える。――となれば、決着は近い。

 僕は懐に手を伸ばした。

 愛用の消音器(サプレッサー)付拳銃をホルスターから引き抜き、ボルトを引っ張って初弾装填。いつでも撃てる。

「動くな」

 平坦な、感情を隠した声。僕が言ったわけではない。

 銃を構えた、体格のいい男が、『壁』を背に僕を睨んでいた。――東西を分ける、セキガハラの大壁を背に。

「『動けば撃つぞ』――か。手垢の付いた言い回しだね」

 僕は皮肉を込めて相手に返した。

 敵も引鉄に指を入れている。

 奴は一応あれで軍人。この距離で放てば、大和民国陸軍正式採用自動拳銃の9mm弾は僕を――そう、ひどく痛い目に合わせるだろう。

 だがそれは、僕の弾丸が奴より遅れた場合の話。

「こういう場合はこんな風に言うものさ。『いい銃だな。ちょっと高く掲げて見せてくれよ』ってね」

「……」

 僕の、場を和ます小粋なセリフも、男はさらっとスルーした。場に満ちた緊張を悟ってか、野良猫がフーッと威嚇の声を上げて逃げ出す。

「サプレッサー付きの.22口径。憲兵の銃じゃないな……」

「生憎職場は秘密だ。イタ電かけられると困るんでね。――そちらの方は」

 男が持つ銃は官給品。それでもって、この民意と正義とついでに愛国心の権化である僕に追われているということは、

「ダメじゃないか元中尉。軍の機密を敵国に売った上、官給品を自国民(ぼく)にブッ放そうとするなんて。売国奴ここに極まれりだ。西軍の英雄石田三成もさぞや嘆くに――」

「黙れ。口の減らない小僧だ」

 つまりは、スパイネズミ狩り。

 某元中尉は生憎あのガタイなので粘着シートにくっつかないし、毒餌はウチで飼ってる狗どもが間違って食っちまう。それじゃあ、拳銃こいつで駆除するしかないだろう。

「あんたほど口は軽くないよ」

 僕の正論に、元中尉は黙り込んだ。

 雪が音をかき消す。街の雑踏も、壁の向こうにある東側の日常も、今の僕らには関係ない。

 間延びした数秒がただ過ぎ去り――不意に、

「!」

 男の右手人差し指にわずかな力の起こり。引鉄の遊びを引き切り、ハンマーが撃針を叩くよりも速く、

「なッ!?」

 僕の撃った弾丸は、相手の拳銃を弾き飛ばしていた。

 黒い鉄の塊。スライドがひしゃげて白い雪の上に落ちる。

「……僕が.22口径を選ぶ理由はいくつかある」

 年若い小僧にしてやられたショックから、元中尉は立ち直った。

「反動が軽いから」

 彼は僕に背を向け、猛ダッシュで壁に向かう。

「発砲音が静かだから」

 そして彼は手袋のような、爪のようなものを解き放ち、

「弾代が安いから」

 壁に張り付き、猛スピードで登り始めた。

 アレはヒトミミ人がケモミミ人に対抗して作り上げた古典的忍具だ。今の世ではスパイ道具と呼ばれることもある。

 本物のケモミミ人でもなければ、僕には関係ないが。

「最後に、」

 僕は銃を男に向けて撃った。ドタンと、重量物の落下する鈍い音が響き、

「ウグッ!?」

 苦悶の呻き声。

「どこ撃っても致命傷になりにくいから」

 彼の太ももから、地面に血が滲む。

 所詮威力の弱い.22口径弾だ。死ぬような怪我ではない。お国公認の殺人許可証マーダーライセンスなるものを持っていても、無用な人殺しは願い下げだ。

「セキガハラの壁なんか越えて、亡命でもしようと思ったのかな?」

 問い質しながら、僕は男を軍隊式コマンド古武術で拘束した。

 銃創を負って、なおも暴れようともがきながら、男が言う。

「殺せ……!」

「話聞いてた? 僕が.22口径を選ぶ理由は……」

 聞き分けの無い人間というのは厄介なものだ。その耳は何のために付いているのだと、僕の方こそ訊いてみたくなる。

 そんな衝動を鋼の理性で抑えて、僕は男に同じセリフを一から朗読しようとした。

 そのとき。まさに土壇場で――異常事態が発生した。

「空が――」

 上空から謎の轟音。

 聞こえたときには、すでに何もかもが手遅れだった。

「おいおいおい、なんだよアレは」

 ミサイルだ。

 準戦時体制にあるこの大和民国において、こういう事態が想定されていないわけではない。各家庭には効果があるのだか無いのだか分からない空襲マニュアルが配布されているし、余裕のある家は核シェルターだって掘っている。

 それでも、急にミサイルが落ちてきて驚くな、と言われたところで無理だろう。

 国籍不明のミサイルは改装中のビルに直撃。耳がイカレそうな爆音を、この路地裏にまで響かせた。

 僕は思わず情報漏洩犯を盾に伏せた……が、爆風までは来ない。

「不発弾……?」

 大型のミサイルだ。仮に爆発していれば、ここら辺一帯が更地になっているだろう。

 ひとまず命拾い――とはいえ、

「あのビルは倒壊するな」

 ピシピシ

 ミシリ

 小気味のいい音が徐々に強くクレッシェンド。限界に達したとき、四十階建てのビルは見事に崩れ落ちた。

「……」

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。この国の安全保障は、たった今史上空前の危機に立たされた。犯人がどこの勢力に属していようが、絶対にひどいことになる。

 冗談じゃない。僕ら外諜畑の人間が、シコシコ国際的謀略を検挙し続けたって、こんなパワープレイ一発でおじゃんだ。本当に冗談じゃない。

「どこのバカ軍人のクーデターだこれは」

 今後想定されうる状況について、灰色の脳細胞で思考していると、

「――! ――!!」

 声にならない、くぐもったような声。謎の人影が路地裏を爆走してきた。

 馬鹿みたいな奴だった。

 そいつはバケツを頭にかぶり、どっかの学校の女子制服を着ていた。バケツからは真っピンクの粘液が垂れ、制服の上半身を染めている。――ペンキ、だろうか。

 ペンキのバケツを頭にかぶって全力疾走をする女学生。

 馬鹿みたいな奴だった。僕は繰り返し思う。

「んヴ!?」

 馬鹿は珍獣じみた声で呻き、ああ、やはり馬鹿馬鹿しいが、道に落ちてたバナナに足を取られて空中一回転した。

 信じられるか? 今時バケツを被ってバナナでコケる人間が現実にいるなんて。片方の要素だけでも完全にコントだ。

 意図を外れたバク転により、バケツはガランと音を立て地面に落ちた。謎の女学生は恐ろしいバランス感覚で疾走を続ける。

 ヒトの技ではない。ということは――

「ケモミミ……!」

 彼女はヒトではないのである。

 長い髪に、ネコ系統のケモミミ。ペンキのせいで色までは分からない。

 後ろ姿だけを僕に見せ、そいつは壁に飛びついた。

「こりゃ、逃がすとマズイな」

 ケモミミといえばまさしく、僕ら大和民国と冷戦状態にある坂東共和国の民の象徴。あのミサイルとどのような関係にあるか知らないが、僕のスパイとしての勘は『クロ』だと主張していた。

「飛び降りろ、そこのネコミミ!」

 僕は非常な心苦しさを感じながらも、銃口を彼女に向け――ああ、くそ、元中尉が暴れ始めた。銃口が自分から外れた途端これだ。

 僕は彼にコマンド古武術奥義・コマンド裸締めを極め、意識を落とす。

 再び壁に目を向ければ……

「遅かったか」

 謎のバケツペンキネコミミ女学生(属性過多)は壁の向こう――東側に姿を消していた。



 申し遅れた。僕の名は石田栄一。職業、諜報員スパイ。年齢十六歳。座右の銘は『馬の耳に念仏』。西側の大学を飛び級で卒業した、ありきたりの天才だ。

 当局への引継ぎを終えると、僕は当然のように『本部』へ招聘された。

 僕の所属する組織を正式名称で、大和民国統合幕僚会議付情報部外事諜報課第三室という。長ったらしいので暗記の必要はない。通称をMI3と、そう覚えていれば万事OKだ。

 公式には存在しない、いわゆるスパイ組織。そこが僕の職場というわけである。

 グレーのトレンチコートにスーツは、僕の童顔にはあまり似合わない。

 なので西側軍政の中央である公舎では、少しだけ僕に注目する者もいた。

 そんな彼らも、僕の首から下げられた身分証を見れば興味を失い自分の仕事に戻る。基本的に多忙なエリートさんたちだ。

 今日のような、史上最悪レベルの軍事危機が起こったときにはことさらに。

 だからか、公舎内の公衆電話はガラガラだった。情報統制下で家族と話をしようという参謀将校はそういないだろう。

 僕は電話ボックスの一つに入る。マジックミラーに覆われたセキュリティ度外視の特注品だ。

 受話器を持ち上げ、打ち込む数字は、

 3333333

 決してイタ電ではない。僕は受話器を置き、またすぐに持ち上げる。

 3333333

 受話器を置き、持ち上げる。

 3333333

 コール音三回。そして、

 ガゴン!

 ロックの外れる音。同時に僕の身は、電話ボックスに擬態したエレベーターで下降する。

 行先は地下十三階。国家に首輪を付けられた狗どもの巣。MI3の司令室である。


「よく来たな、エージェントA1」

 黒い髪をオールバックに撫でつけた中年の男。鋭い目つきは、彼が潜ってきた幾たびもの修羅場を思わせる。

 MI3局長石田三三は、今日も机の上で指を組んでいた。『腹に一物抱えた司令官』を形からなぞることに余年の無い傑物である。

 ちなみに彼は僕と同じ石田姓だが、血縁は無い。この西側で石田と毛利はありきたりの苗字だ。次に西軍の将である島津、大谷、島、宇喜多などが続く。この列島を二つに分断した関ヶ原合戦の影響は、影に日向に健在ということである。

「状況は理解しているな?」

 彼は見事な屏風を背にし、僕に問いを放った。ヒトミミの西軍、石田三成らが、東軍大将のタヌキミミ野郎を打ちのめしている、大和民国の歴史を象徴するかのような屏風を背に。

「全面核戦争……」

 僕は簡潔に答えた。

「……の、危機ですね」

「そうだ、A1。この国は、史上空前の危機的状況にある」

 先の大戦以降、核兵器による相互確証破壊の傘が地球全土を覆い、しばらく過ぎた。

 この日本列島においても、東西両陣営は当然のように核武装を選択している。

 下手な攻勢を打てば星ごと死の灰に覆われるのだ。僕らは互いに憎み合いながらも、平和を謳歌していたはずだった。

 両国工作員が血を流す、薄氷の平和を。

「こうならないよう、細心の注意を払って汚れ役を買って出ていたのだ。戦争は、我々影の住人だけが行えばいい。民衆に必要なものは軍事パレードと安いアジテーション、アイドルソングにバーガーショップ。――それで良かったのだが」

「薄氷は割られてしまった、と」

 清廉なる自由国家という建前の裏で行ってきた国民の監視、ネズミ狩り。今や全部が全部、陳腐なまやかしに変わろうとしている。

 三三はしかし、重苦しい自信をもって、毅然と僕に言い放った。

「まだ、手遅れではない。ネオセキガハラ市のビルに激突したミサイルはいまだ『国籍不明』。そして、犠牲者は――ゼロだ」

「ゼロ……!?」

 そんなことは初耳だ。あの状況で、不発とはいえミサイルがビル一つブッ壊した事件で、犠牲者がゼロなどと。

「局長、それはいわゆる『大本営発表』では?」

 戦時中の慣用句。政府に都合の良く国民に耳障りの良い報道ではないかと、僕は疑う。

 しかし、局長は首を横に振った。

「まさしく『奇跡的』としか言いようがない。あのビルは改装中で無人の上、作業員も昼休憩で出払っていた。建物自体も内側に折りたたまれるよう崩れ、結果として――」

 犠牲者、ゼロ。確かに、『奇跡的』だ。

「とはいえ国民感情はそこまで辛抱強くあるまい。――これを見たまえ」

 壁に埋め込まれた作戦スクリーンに、一枚の写真が投影された。人が入りそうな大ぶりな箱に描かれた、あまりに見覚えのある警戒色のマークは。

「放射性物質。やはりあのミサイルは核弾頭でしたか」

 仮に公表されれば……事実がどうあれ関係はない。大和民国人は、敵を坂東共和国と決めつけ、否応なく核戦争になだれ込むに違いない。

「その通り。やはり『奇跡的』に不発に終わったが、仮に爆発していればネオセキガハラ市は吹っ飛んでいただろう。壁があるとはいえ、東側も無傷では済まなかった」

 待て。それはおかしい。

「ネオセキガハラ市は東側にとっても主要都市のはずです。人口も、西側並とはいかずとも少なくない。自殺同然の核攻撃など、どうして……」

「それを君に調査してもらいたいのだよ、A1」

 長官は目くばせ一つでスライドを動かした。そこに映ったのは、

「この少女は……!」

 例の、ネズミ狩りの最中に目撃したバケツペンキバナナ転倒ネコミミ女学生(属性過多)と同じ制服。彼女は西側の街並みを全力疾走している。

 監視カメラの映像の上高速で動いているため、画質は鮮明ではないが……それでも同一人物と見るのが妥当だろう。

「君の報告にもあった、“例の少女”だ」

 僕も、あの状況でケチなネズミを最優先するほど馬鹿ではない。報告だけは本部の方に送っておいた。

「監視カメラに映った“彼女”は、これだけではない。だが、全て使い物にはならないだろうな」

 スライドを次々と動かし、同じ制服を僕に見せていく局長。

 その全てにおいて、“少女”の顔は都合よく隠れていた。ハトや通行人、キャバクラのビラ……挙句ムササビや日本最大の蝶類ヨナグニサン、風に飛ばされたのか女性用下着などなど様々な物体により、“彼女”の顔は判然としない。

 直接目撃したこの僕とて“彼女”の顔は見られなかった。バケツやペンキのせいで、髪色すら分からない。

 三毛かサバトラか、黒か白か。毛色も分からないのでは、ケモミミ人の特定は困難だ。

「偶然だと思うかね?」

 局長の重々しい問いに、僕は答えた。

「いえ。少なくとも、カメラの位置を完全に把握していることは間違いないかと」

「だろうな。ただの女学生ではあるまい。ミサイル落下地点付近からパラシュートも回収されたよ。我々の防空網には小型機の一つも引っかからなかったにもかかわらず」

 ミサイル攻撃の直後に複数ヶ所で目撃された、監視カメラを欺く術を持つ“謎の少女”。間違いなく、両国にとって謎を解くカギは“彼女”にある。

「訊き込みは? 少なくとも不特定多数の民国人に目撃されているようですが、モンタージュくらいは作れませんか?」

 カメラが駄目なら、古典的手法だが人の記憶に頼るのはどうか。

 しかし、局長は渋面を作って嘆息した。

「賢明な手法ではないな。『とある事情』により、あの時あの場所はティーンエイジャーの少女でごった返していた。顔無しの写真など見せたところで、誰も彼も口をそろえて『一々覚えていない』だろう。……そもそも、あの制服を我が国民に見せるのは愚の骨頂だ」

「『愚の骨頂』……ですか」

 となれば、制服の出所は簡単に察しが付く。

「唯一判明している特徴。制服そのものについて調べれば、すぐに結果は出たのだ。なんのことはない。『ご近所さん』だったよ」

「やはり――」

 スライドを動かす。

“例の少女”と同じ制服の女学生たちが、校門に向かってズラっと歩いていた。

「坂東共和国、国立ネオセキガハラ共生学園。壁のすぐ向こう、東側のネオセキガハラにある中高一貫校だ」

「やはり、東側ですか」

 ケモミミを晒し、壁を越えて東側に逃げた“少女”。ミサイル激突直後、あからさまに東側の服を着た人間が目撃されたなどと触れ回れば、結果は見えている。――訊き込みは事実上不可能。

 今のところ何の意図あってかさっぱり理解できないが、とにかく彼女の正体を探る手掛かりは壁の向こうにしかないようだ。

「我々はこの“少女”を、“跳び越えた少女アウトランナー”と仮称することにした」

「“跳び越えた少女”……」

 となれば、僕の任務とは、

「エージェントA1、坂東共和国に潜入し“跳び越えた少女”を尋問、拉致してきたまえ。核戦争の危機だ。手段は選んでいられん」

 冷酷なる秩序の番人、MI3局長は厳然と言い放った。

 女学生……僕の言えた話ではないが、未成年の拉致尋問とは酷な任務だ。公僕としては、まあ、こう答える以外あるまい。

「任務了解です、局長。いいかげん敷地内のネズミ狩りにも飽きてきたところですから」

 実のところ、これが僕にとって初の外地任務になる。ようやく壁の外に出られるということだ。のんびりケモミミの街を観光、というわけに行かないのが痛恨ではあるが。

「頼もしい話だな。それでは、これより任務の詳細を説明する」

 指組司令官面を崩さない局長の一言で、司令室の床が一部せり上がった。

 これは秘密アイテムを公開するときの必要シーケンスであり、決して派手なだけで無駄な設備投資ではない――と、局長および組織内のマッドサイエンティストたちは声高に主張している。

 無駄な必要シーケンス(矛盾)により僕の目の前に現れた物体は、

「人造ネコミミと、制服……ですか」

 ケモミミ圏への潜入に不可欠な偽耳および、ネオセキガハラ共生学園の制服だった。それはいい。

「潜入任務なのだから当然だろう。大卒とはいえ君も未成年なのだから、うってつけの任務だとは思うが」

 それはいい。確かに、未成年の園である高校に侵入するならば、超エリート揃いのMI3所属工作員の中でも僕に勝る人材はいない。それは断言できる。

 それはいい。

「なぜ女子制服なのでしょうか。ちなみに、ご存じでないのでしたらこの機会に覚えていただきたいのですが、僕は男です」

 自分から見てもときおり女子高に突っ込みたくなるようなベイビィフェイスをしているとは思うが、だからといって任務で女子高の制服を渡すのはどうか。

 局長は『間違っちゃった! ゴメンネ!』と僕の潜入衣装を交換する素振りなど、微塵も見せない。

「存じているとも。――不服があるのかね?」

 つまるところ確信犯だ。

「潜入先は女子高ですか?」

 男子制服が無いのなら我慢もする。しかし、東側はそういう国ではない。そもそもの話。

「多様性と平等という実質的全体主義に凝り固まった坂東共和国においては、小学校から大学まで一貫して共学以外存在しないとも。男子校や女子高は、奴らにとっては『差別』に当たるらしいからな」

「男子制服は存在すると」

「然り」

 であれば、

「なぜ僕はわざわざ女子制服で侵入を? 身分を隠すにも都合が悪いでしょう」

 まず有り得ないとは思うが、スカートの中身をガッツリ見られればOUTだ。僕が生まれた時から携えている愛銃は.22口径では済まない。10ゲージショットガンくらいの代物である。男は皆ガンスリンガーなのだ(至言)。

 しかし局長は、あまりに堂々と言い放つ。

「私の趣味だ!」

「変態か!」

 僕はキョロキョロと周囲を見渡し、通報先を探す。この破廉恥なオッサンをいかなる罪状で突き出してやろう。

「知っているとは思うが、我々MI3構成員には不逮捕特権がある。法で裁けぬ陰謀を崩すには、こちらも超法規的存在になるしかないのでな」

 殺人許可証含めた超法規的権限はMI3の代名詞でもある。忘れているわけがない。――それを使ってやることが美少年へのセクハラというのが問題なのだ。中世の坊主じゃあるまいし。

「着てみたまえ、A1」

「嫌だと言ったら?」

「私が哀しむ」

「勝手に哀しめ、変態親父!」

 僕がそう言うと、局長はマジで泣きそうな顔をした。アイスキャンディーの最後の方が棒から滑って蟻の餌になったときくらいの哀しみ方だった。

 あまりにいたたまれなくなってきたので、僕は仕方なく女子制服を着てやることにする。

「どうでしょうか」

 クルっと可愛らしく、ノリノリで一回転したネコミミ女子制服姿の僕を、局長がガタッと立ち上がって評す。

「ン素晴らしいぞA1ッ! もっとあざとい表情をしてみたまえッ!」

 僕は舌をペロリと出してウインク。

「どうでしょうか」

「可愛い可愛い! 私の目に狂いは無かったッ! セクシーなポーズもチャレンジしてみようか!」

 僕は女豹のポーズで床に這い、

「にゃあ」

 と鳴いてみた。

「ンアアッ! 期待以上だA1! 君ならばこの任務に不足はあるまいッ!」

「恐縮です局長。普通にキモいので今すぐ辞任してください」

 普通にキモい局長はスンと真顔になり、再び机の上で指を組んだ。

「それでは早速仕事に取り掛かりたまえA1。……例によって、君が壁の向こうで拘束、ないし殺害されようと、当局は一切関知しないので、そのつもりで」

 局長は何事もなかったかのように定型句を発す。

 僕は何事も無かったかのようにネコミミ女子高生のまま敬礼をした。

「了解しました局長。エージェントA1、これより任務を開始します」



 僕は潜入任務の準備のため、ネオセキガハラ某所のマンションに移動した。ここは僕が拠点として使っている内の一室だ。

 行動パターンを読まれれば襲撃のリスクなどあるため、基本はホテルを転々としているのだが、たまには拠点に立ち寄らないとどうにも落ち着かない。

 侵入者の形跡が無いことを慎重に確認し、部屋に入る。

 暗い室内を照らすため電灯を――これも爆発物が仕掛けられていないか、細かく観察する必要がある。しかる後、明かりを点けた。

「やった……」

 押し殺していた息を解放するよう、僕は呟く。

 ああ、ついにやった。

「やっと東側潜入の許可下りたアアアッ! ケモミミ美少女が僕を待ってるウウウッ!」

 部屋の中には耳、耳、耳……耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳耳の群れ!

 ネコミミ、イヌミミ、ウマミミ、キツネミミ、ミナミコアリクイミミ、レオポンミミ、ウォンバットミミ、ジャコウネコミミ、アフリカゾウミミ、ハダカデバネズミミミ……世界中のありとあらゆるケモミミで埋め尽くされていた。

 もちろん本物ではない。さすがの僕でも、そこまで猟奇的趣味は無い。全部模造品だ。――とはいえ集めるのには苦労したが。

 そう。そうだとも。僕はケモミミが好きだ。特にケモミミの美少女が大好きだ。ケモミミ美少女の耳をペロペロするのが生涯最大の目標になっているレベルで好きだ。

 西側にいる限り、ケモミミ人たちとは隔離されている。いや、全く住んでいないわけではないが、人権度外視の出稼ぎ労働者がヒトミミ人の監視下で働いているくらいなものだ。彼女たちと触れあうには外地任務がほぼ必須条件。

 ああ、酷な話ではないか。壁のすぐ向こうにケモミミ人の国家があるというのに、僕はペロペロどころか手を触れることすら叶わなかった。それでは、なんのために対外工作員などになったのやら分からない。

 これまでMI3上層部に申請してきた『高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に情報収集』という潜入計画が却下され続け早二年。ようやくあのケモミミの楽園へ飛び立てる。

 僕の心はいまだかつてないほどに高揚していた。

 思わず手近なホンドテンミミを手に取り、ペロペロクンカクンカしまくるほどに。

「ケモミミ! ケモミミ! ケモミミ! うわああああああああああ!!」

 これぞMI3のエージェントたる僕の精神抑制メディテーションルーチン……喫ミミだ。

「クンカクンカ、スーハースーハー! いい匂いだなぁ! エゾリスミミっ娘のモフモフ耳をモフモフしたいお! モフモフ! モフモフ! スフィンクスっ娘のツルツルサラサラ耳を永遠にツルツルサラサラしていたァい! ツルツルツルツルツルツルサラサラサラサラサラサラサラサラ! ハッ!? でも僕の部屋にあるコレクションは模造品! よく考えたら本物じゃない。……そんな、目の前にあるこれ全部本物じゃないなんて……。全部非現実だなんて……。うわああああああ! 現実なんかやめてやるウウウッ! ……え? でもこれから東側に、ケモミミ人だけで構成された坂東共和国に潜入できる? いやったァ! 世の中まだまだ捨てたもんじゃないね! 僕の想いよ届け! 東側のケモミミ美少女に届けッ!!」

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