真夜中の戸張さん

そばあきな

真夜中の戸張さん


 ――隣の席の戸張とばりさんは、真夜中になると知らない誰かと外を歩いているらしい。

 その相手は、髪の長い女の人だったり、若くてカッコいい男の人だったり、はたまた腰の折れたおばあさんだったりと、様々だった。


 好奇心旺盛なクラスメイトが戸張さんに直接聞いていたけど、「人違いじゃない?」の一言で終わりだった。

 確かに、優等生の戸張さんが真夜中に出歩く姿なんて想像できない。それに、外を歩く戸張さんを見たって人も、真夜中にわざわざ外を歩いていることになるのだから、本当に見たって話自体が怪しかった。


 ただ、それが戸張さんだという証明もできないけれど、戸張さんが外に出ていないって証明にもならないから、クラスの一部ではそんな噂が広がったままになっている。



 でも、ある日の真夜中、僕は見たのだ。

 隣の席の戸張さんが、誰かと二人で歩いている姿を。



 街灯の明かりでぼんやりとしか見えないけれど、それは確かに戸張さんだったし、横にいる人は噂の中で聞いた「若くてカッコいい男の人」のように見えた。

 二人は一体何をしているのだろうと気になって、僕は閉めようとしたカーテンを掴んだまましばらく動けないままでいた。


 その間にも、確かめたい、という気持ちが少しずつ膨らんでいく。



 ――いいか? 夜は絶対家から出ないようにな。特に今日は――――。



 頭の中でお父さんとの約束がこだまする。

 その言葉に「ごめんなさい」と心の中で謝ってから、僕は部屋を飛び出して、お父さんたちに気付かれないように家の玄関の扉を開けた。


 どうやら、僕が家から出てきたところは戸張さんには見えなかったらしい。


「戸張さん、こんな時間にどうしたの?」

 僕が声をかけると、戸張さんは少しだけ驚いた表情をして僕を見ていた。


大神おおがみくんこそ、どうしたの?」

「僕は、部屋の窓から戸張さんの姿が見えたから……」

「……ああ、ここ大神くんの家だったんだ」

 そう言って戸張さんは僕が出てきた家をじっと見つめる。

 普段人をあまり呼ばないのもあってか、僕はなんだか恥ずかしいような気持ちになった。


「おじゃまだった?」とふいに戸張さんの横にいた男の人が僕を見た後、何かに気付いたようにまじまじと見る。

「ねえ、この子って……」

 そして、男の人が戸張さんに、何かをひそひそと耳元でささやいた。その様子が、なんだか二人がとても仲がいいように見えて、僕は少しもやっとしてしまう。


 僕の考えていることもいざ知らず、何かを聞き終えたらしい戸張さんは隣のカッコいい男の人に顔を向けた。


「……そう、分かった。ありがとう」

 戸張さんがそうお礼を言った瞬間、強い風が吹いて思わず僕は目を瞑ってしまう。そして数秒後目を開けると、いつの間にか男の人は跡形もなく消えていて、僕と戸張さんの二人だけになっていた。


「……え、さっきまで男の人がそこにいたよね?」

 混乱する僕に、戸張さんは安心したように笑い、優しい口調で話しかける。



「大神くん。今の人はね、吸血鬼なんだ」



「…………吸血鬼?」

「うん、吸血鬼。ワインや生肉で事足りるから、別に人から血を奪わなくていい吸血鬼なんだって」

「……え?」


 僕が間抜けな一言を発した瞬間、戸張さんのところから携帯電話の着信が鳴り響いた。

 だけど、戸張さんは携帯電話の着信なんて聞こえていないみたいに、僕に再び話しかけるので、僕は余計に混乱してしまう。


「私の噂、知ってるよね。真夜中に外を歩いてる、ってやつ。あれ、本当のことなんだ」


 その間にも、戸張さんの携帯電話はずっと鳴り続けている。その状態が五秒ほど続くと、戸張さんは諦めたように服のポケットから携帯電話を取り出したけれど、ディスプレイを一瞥したまま、電話に出ることはなかった。


「お家の人? 心配しているんじゃないの?」

 戸張さんも音は聞こえていたのか、と思いつつ僕が尋ねると、戸張さんは否定の意味で首をゆっくり横に振った。

「ううん、メリーさんだから大丈夫。電話をかけてくるのはいつものことなんだ。番号、教えなきゃよかったな。後でかけなおして、また明日にしてって言うから大丈夫だよ」


 さらっと凄いことを言われた気がする。

 ようやく着信音の消えた携帯電話を再びしまった戸張さんが、こちらの方に向き直って口を開いた。


「……今のでも、ちょっと分かったかもしれないけど。私、元々そういう体質みたいなんだ。普通の人とはちょっと違う人を引き寄せちゃう、って言うのかな。普段は人として生活しているんだけど、真夜中は人じゃなくなっちゃう、そういう人たち」


 そして、ゆっくりと僕の目を見つめて戸張さんは口にした。



「ねえ、だからあなたそうなんでしょ、大神くん」



 その瞬間、隠れていたはずの月が雲から出てきて、僕の意思とは関係なく頭からいつもの耳とは違う耳が出てくる感覚がした。思わず手で抑えた口元から、いつもとは違う、獣のような唸り声がこもって聞こえていく。



 ――いいか? 夜は絶対家から出ないようにな。特に今日は――――。



「特に今日は、満月だから」

 お父さんの約束を破ってしまってごめんなさい、と謝りながら、僕は変化を終えた姿で戸張さんの目を見つめる。だけど、戸張さんは少しだけ驚いた様子はあったものの、恐怖を覚えている様子などは見られなかった。


「……狼男は、初めて見たな」

 数秒の間があってから、戸張さんは心から感心したように口を開く。


「……驚かないんだね」

 僕がつぶやくと、戸張さんはちょっと自慢げに笑みをこぼした。

「まあね、今までいろんな人たちを見てきたし」

 戸張さんが言うと説得力が違うなと、変に感心してしまう。それは、先ほど消えてしまった吸血鬼であったり、電話をしつこくかけてくるメリーさんであったりの話を、ちょっと前に聞いていたからかもしれなかった。


「それに、大神くんがただの人間じゃないってのは、さっき聞いていたから」

 戸張さんの言葉に、僕は「えっ」と驚いた声を上げてしまう。


「さっきまでいた吸血鬼の人――あの人、この辺りで画家として暮らしているんだけど、さっきいなくなる前に教えてくれたんだ。大神くんは、多分こっち側の人だって。夜に何度か見たことあるらしいんだけど、雰囲気がほかの子と違っていたからって」

 そして、戸張さんは僕ににこりと笑いかけた。



「だから安心して、私の体質も、あの人のことも喋ったんだ」



 そんな戸張さんを見て、僕を信頼してくれたんだと安心すると同時に、同じく人間以外の誰かだと、簡単に僕が純粋な人間ではないことに気付かれてしまうのだな、と少しだけ複雑な気持ちになった。


「それにしても、大神くんがそうだって気付かなかったな。普通の人っぽかったし」

「まあ、狼男と人間のハーフだから、満月の時以外は人間の姿なんだけどね。あと、給食で出てくる牛とか豚のお肉で十分だから、狼の要素もほとんどないんだ」

「それは助かるな。もし、人の肉を食べたいって言われたらどうしようかと思ったから」


 確かに、そうだったら、僕は変化した時点でクラスメイトの戸張さんを食べていたのかもしれないなと想像して、ゾッと身震いした。

「自分が危なくなったら、相手を傷つける勇気も大事だ」というのがお父さんの教えだったけれど、できるだけ誰も傷つけたくはない。


 僕は――僕の家族は、ただ平和にこの街で暮らしていけたら、それでいいのだから。


「それで、戸張さんはどうして真夜中に外に出ているの?」

 ずっと聞きたかった僕の質問に、戸張さんが少しだけ髪を揺らして首をかたむけた。


「みんなの話し相手になるためだよ」

「話し相手?」

 オウム返しに僕が尋ねると、戸張さんが「そう」と小さくうなずいた。


「今日はこういうことがあって楽しかったとか、もうすぐこういうことがあるから不安だ、とか。別に話さなくても生きていけるけど、誰かに話して気持ちを分け合ったり、安心したい時、みんな人間の私に話に会いに来るの」

「話すだけ? それで、みんな満足するの?」

「そうみたいだよ。みんな、きっと話し相手が欲しいんだ。性別とか種族とか関係なく、ね。だからもし大神くんが、狼男だとか人間だとか、そういうのを気にせずに話したいことがあったら、真夜中に私を見つけてね」


 そう言って、戸張さんは屈託なく笑った。

 それは、学校では優等生で真夜中に出歩いているなんて想像がつかない戸張さんとは、また違った笑顔に見えた。


 そして僕には、毎日戸張さんのもとに集まる色んな誰かの気持ちが少しだけ分るような気がした。

 戸張さんは、変化した僕の姿を不気味がったりしなかった。僕の姿が変わっても、学校の時と同じように接してくれた。


 それがきっと、戸張さんのもとに集まる他の誰かにとっても、心からうれしかったのだろう。




 ――隣の席の戸張さんは、真夜中になると知らない誰かと外を歩いているらしい。

 その相手は、髪が長くてマスクで顔の半分をおおっている女の人だったり、八重歯がちょっとだけ長いような気のする色白の男の人だったり、走っている車と並走できるほど足が元気なおばあさんだったりと、様々だった。



 そして、戸張さんは今日も、人ではない誰かの話し相手になるために真夜中に外に出ている。



 僕も、満月の夜でなければほとんど人間だけれど、戸張さんとまた真夜中に話したいなと、そう思った。






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真夜中の戸張さん そばあきな @sobaakina

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