生まれ直したのに、また悪い魔女と呼ばれています。

碧野 悠希

第1話


 その魔女は森の外の人間たちから『悪い魔女』と呼ばれていた。



 それは、長い歳月変わらぬ外見のままが原因だったり、通りすがる度に口籠もって何かを呟いている姿だったり、普通の人間が作れない薬を作れてしまったり、色々な事が起因しそう呼ばれてしまっていた。


 しかしその外見は、魔女という単語からは想像できぬ腰までサラリと伸びたシルバーヘア。瞳は森の住人に好まれる深緑の色をしており、整った顔はすれ違う人全ての視線を集めてしまう程、美しかった。

 だが、普段、木々の影に隠されているその姿は、街へ用のある時には姿を変えてしまう為、彼女の真の姿は誰も知らない。


 この街には、強大な魔力を持つ人間が彼女だけだった。

 時折、軍の人間がその力を頼り、道なき道の先にある小さな小屋の扉を叩く事もあった。

 彼女は国を動かす程の力を持つ魔女であったが、その人間離れした魔力故に、人を遠ざけてしまう事にも繋がってしまう。

 魔女がいる理由で他国はこの国を攻めあぐね、彼女がいる間、この国は大戦を知らぬままでいられた。


 長い間、外見も変わらず生き続けてきた彼女であったが、その心は寂しさで助けを求めていた。


 彼女の名を呼んでくれた師匠はもうこの小屋に帰ってこない。

 彼女はもうずっと長い間『魔女』だった。



 この世界で、わたしでさえ忘れてしまったわたしの名前を呼んでくれる人が一人でも居てくれたら。



 そこで彼女は異世界と繋がる魔法陣を描いた。


 魔法使いたちの間でも伝説とされ、成功した者はいないと師匠に教えられた魔法。

 術者と似たような望みを胸に抱いた異なる世界の人間が、同時期同時刻に存在した場合にのみ発動する、不安定である人間の意志を通してでないと開放されない、異世界へと通ずる扉。



 寂しい。



 彼女は魔法陣を前に強く願う。


 人と関わりたいの。

 もう一人は嫌。

 魔力なんていらないから。

 素質があるからと、魔法使いのお兄さんに見染められ、かつては彼を師匠と仰ぎ二人で暮らしていた。

 けれど、彼も歳をとり、とうとう寂れた小屋で過ごすのは一人になってしまった。


 だから寂しくて魔女は温もりを求めた。


 もう魔法なんて使えなくていいから。




 魔法陣に足を踏み入れた魔女は、光に包まれ、気を失った。




 ***




「ほら。ご覧になって」

「またヒューゴ様たちに囲まれていい気になっておられるのよ」

「まぁ。アレク様も」


 社交界シーズン真っ只中のこの時期は、子どもの為に結婚相手探しに奮闘する親、噂話好きな人間、また新たな交友関係を開拓しようとする人間たちにとって、避ける事の出来ない重要な時期である。


「公爵様たちも、あんなパッとしない子のどこに魅力を感じるのかしら」

「この間なんてライリー様の馬車があの令嬢の屋敷に停まっておりましたわ」


 五、六人が集まって噂をする視線の先には、ベビーピンク色のドレスを着た令嬢の姿。

 そして彼女を取り囲む筆頭にアレク第二王子。

 第三騎士団隊長エドワードと副隊長のライリー。

 アレクの補佐官を担うカーター・サリナハート公爵。

 医術家系に産まれ、自らもそれを学ぶエリオット・フォンテーヌ侯爵。

 と、この国の令嬢たち誰もがお近づきになりたいと願う錚々たる顔ぶれなのである。



「禁忌魔法でも使っているんでなくて?」

「まぁ。そんな卑怯な魔法を使ってまで、ちやほやされたいなんて私には思いつきもしませんわ」

「一人の殿方に愛を囁いてもらうだけで十分よね」



 そういった嫉妬の念を込めた会話が、そこここで繰り広げられている。



 この国には大小の力の違いはあれど、魔力を自らの身に宿す人間も少なくはない。日常生活の中で自然と魔法を使用する人間は、物を冷やす為に氷を作り、料理をする為に火をおこす。

 そういった些細な魔法がありふれているからこそ、ここで魔力を持つ人間は珍しくなかった。


 王子たちに囲まれる彼女の耳に、そういった他の令嬢たちのひそひそ話か届かない筈もない。

 けれど、彼女にだって、何故彼らが自分の周りに集うのかさっぱり分からない。

 ただひたすらに彼らから掛けられた言葉に相槌を打ち、エスコートに身を委ね、踊りに誘われればホールへ足を運ぶ。


 かつて一人は嫌だと望んだのは魔女であった頃の記憶の残る彼女自身だったけれど、ここまで異性に好かれたいなどとは望んでない。

 人並みにお喋りし合える友だちが出来ればいいと思っていただけなのに。


 自分の名を呼んでくれる誰かを探していただけなのに。


 なのに、気付いた時には既に遅く、二度目の人生も今の様に人から恨まれる人生になってしまっていた。



 かつての魔女は、今の自分が周りの令嬢たちから『魔女』と呼ばれている事を知っていた。

 それは『性の』と。



 故に、嫉妬の目を向けられ過ぎて、最近では、自分が気付いていないだけで、本当に人を魅了してしまう魔法を振り撒いているのかもしれないとまで思う様になってしまった。


 魔法陣を使い、異世界へと生まれ直した彼女は、初めの内は魔女として生きた記憶を持ったままの、ごくありふれた街の娘であった。

 だが、またしてもその魔力を見染められ、気付いた時にはフォンテーヌ伯爵家の養女として迎え入れられていた。

 医療に携わる人間は、魔力が強ければ強い程、重宝される、癒しの担い手の後継として。

 今ではその侯爵家長男であるエリオットの力を借りながら、令嬢としてのマナーを叩き込まれている日々を送っている。



 本心を言えば社交界にも来たくはない。

 だが、それを周りが許してくれない。

 エスコートは自分がする、と、兄となったエリオットが常に隣に立ち、その内、彼の友人である第二王子たちに囲まれる。

 街に居た頃は敢えて魔法も使わず、普通に生きてきたというのに、今では彼女の周りを取り囲む人たちのお陰で悪目立ちしてしまっている。

 普通の家庭に生まれ直せるだけで良かったのに。

 農家の娘のままで良かったのに。

 魔力だって望んでなかった。


 何故、こんな魔力持って生まれ直してしまったの?


 彼女の頭上では、エリオットたちが楽しそうに歓談し、その周りを遠巻きに、他の御子息や御令嬢たちが囲っている。




「エーヴァ」


 その人だかりの後ろから、よく通る耳障りのいい声が、彼女の名を呼んだ。


「カーラ先生」


 それを合図に。まるでモーゼの十戒の様に人が割れ、その間を物おじもせず、ミッドナイトブルー色の燕尾服に身を包んだ長身の男が歩を進め、彼女の前で立ち止まる。

「楽しんでる?」

 そこに、肩まで伸びた薄い金色の髪を後ろで一つに束ねた、もう一人、見目麗しい男性が輪に加わる。

 まるで彼女の内心を知っていて、悪戯で尋ねてきたような表情に、エーヴァは唇を噛み、彼の方へ身を寄せる。

「……先生にはそう見えますか?」

 困り顔で彼にだけ聞こえる小さな声で告げた言葉に、カーラは楽しそうに「クッ」と一つ笑う。

「助けて欲しい?」

 背の高い彼はエーヴァの視線と同じ高さまで腰を屈めて尋ねた。

「……分かってるくせに」

 まだ彼より年若い彼女の言葉がつい砕けてしまうのは、エーヴァを生徒とする彼が、まるで先生らしく振る舞ってくれないから。

「じゃあ」

 楽しそうに笑うカーラは、彼女の頭を優しく手の平で撫でてから、アレク第二王子たちにも挨拶をしに行く。

 この中で立場としては一番下なのがカーラではあるが、皆が同様、対等に接しているのは、彼が一番年上という事だけでなく、ここに居る皆の師であるからだ。


 カーラは魔力を持たぬ人間ではあったが、知識だけは誰よりもあった。


 故に、王子らが若く青い頃からの付き合いであり、勉学だけでなく、良いことも悪いことも、親からは教えてもらえないたくさんのことを教えてもらっていた。

 だから、彼らは自分たちの師に頭が上がらないのだ。


「さぁ。行こうか」

「え?」


 エーヴァの知らぬところで何か話していたかと思っていたのに、カーラは堂々と小さな手を取り、彼女をその場から連れ出そうとする。

「いいの?」

 手を引かれたエーヴァは、一瞬、パッと彼の手を離し、兄たちに向け頭を下げる。

 手を払われた彼の方は、束の間、表情を無くしたが、再び自分の隣に並ぶ事を選んでくれた彼女に微笑み、自身の腕に手を回す様誘導すると、エーヴァもそれに従った。

「間違えて強いアルコールを飲んでしまい、君の具合が悪そうだ。と言ったら、みんな気まずそうに逃してくれたよ」

「あら。じゃあ、具合が悪い振りをしないと」

 エーヴァの声は弾みながらも、彼女の左手はカーラの右腕に添えられ、残りの手はハンカチーフで口元を覆い、ゆっくりと会場を後にする。


「僕の馬車でいい?」

「ええ。エリオット様と一緒に来たので、そうして頂けると助かります」

 同じ屋敷で来た二人が同じ馬車に乗って社交場まで来るのは当たり前だ。

「このまま僕の家に来る?」

「遠慮しておきます」

「それは残念」

 人目が無くなった当たりで、介抱される演技の必要のなくなったエーヴァは、エスコートを受けたまま、先生の家の馬車に乗り込む。


「先生はいつ来たんですか?」

「うん?さっきだよ」

「なのに、帰ってきちゃって良かったんですか?」

「うーん。まぁ、一通り挨拶は済ませたからね」


 隣合う二人は、馬車に揺られながら他愛無い会話に興じる。

 エーヴァにとって、カーラは初めて出来たと言っては過言でもない、何でも話せる友だちの様な存在だった。

 初めて会った時から、まるでそんな感じがしなく、何処か懐かしい感覚になってしまう。

 まるで、自分が『悪い魔女』と呼ばれる前の師匠と過ごしている様な。




「……ァ。……ーヴァ。エーヴァ」

 話し掛けても返事が無い事を訝しんだカーラは、隣に座る生徒の名を優しく呼び続けた。

「……」

 だが、隣からは「すぅすぅ」という小さな寝息だけが聞こえるだけで、返事はない。

 その内、心地よい重みが左肩に掛かり、カーラは静かにその体温に身体を緩ませる。



 彼はずっとエーヴァがこの世界にくることを待ち続けていた。



 それは、ずっと昔のこと。

 まだ彼が魔法使いと呼ばれていた頃。

 年甲斐もなくその美しい弟子に一目惚れしてしまった。


 エーヴァの存在を見つける前のカーラは、既に一人で生きる事に飽きてしまっていた。

 そんな彼が、溢れて余りある魔力がその身体を覆う少女を見つけたのは、偶然であり必然であった。

 外見だけは若かったカーラであったが、エーヴァを見つけた時の彼は、魔法使いとして百五十年は生きていた。

 その頃、既に彼女と一緒に過ごせる時間が短い事を悟っていたカーラは、自分が教えられる全てをエーヴァに託す事に決めた。


 胸に燻る、人が恋と呼ぶ感情に蓋をし、彼女が笑顔で自分を慕う、師・であるように徹し続けた。


 そうして幾つもの季節を過ごす内、彼女に教えられる事もなくなった魔法使いは、その命が尽きる前に、自らの身体に魔法陣を刻んだ。

 彼女が自分を求めてくれる事を願い。


 それと対となる魔法陣を、少しの嘘と多くの願いを織り込みながら「教えられる最後の魔法だ」と、弟子に伝えた。


 長期戦は覚悟の上。


 今度は師弟関係でなく、恋人として同じ人生を共に歩みたいと。



 エーヴァが一人は寂しいと望んだ時。

 カーラに刻まれた魔法陣と対となる魔法陣が発動する。

 同じ世界、同じ時代に生まれ落ちる様に、と。



 長い年月をかけ、カーラの望みは叶った。

 だが、彼の唯一の誤算は、自らの魔力をそこで使いきってしまい、この世界では魔力を持たぬ、ただの人間という事。

 だが、この世界で生きていくのに、困ることはなかった。

 かつての蓄積してきた知識が自らを助けてくれたから。

 しかしながら、その反対に、魔力を使い果たさぬまま新しく生まれたエーヴァは、その身に膨大な魔力を残していた。

 魔力のないカーラはその力を感じ取る事ができず、自分が彼女を見つける前に、フォンテーヌ侯爵家に先を越されてしまった。

 悔やんでも悔やみきれないが、様々な家で講師をしていたカーラは、侯爵家で彼女と接点を持つ事に苦労はしなかった。


 初めこそ、先生と生徒という関係が色濃かったが、前世の記憶を持ち合わせて生まれたエーヴァに教える事はほぼなかった。

 嬉しかった。

 自分の遺したものが、彼女の中に息づいていることが。

 だが、そうなってしまうと、役目を終えた自分と彼女との接点が無くなってしまう。


 カーラは、エーヴァに避けられない様、少しずつ距離を詰めていった。

 かつて、彼女と過ごした記憶のある彼は、エーヴァの好き嫌いを把握しているので、距離を詰めるのは容易かった。

 しかしながら、彼女を自分の生涯の相手に、と願う人間は他にもいた。

 当たり前だ。

 生まれ変わったとはいえ、やはり彼女の容姿は人目を惹く。


 エーヴァと年の近い彼らの方が、爵位も地位も高い。

 だが、カーラもずっと想い続けていた彼女を他の男に譲る訳にはいかない。


 だから、自らの想いをストレートに伝え続ける彼らと同じ土俵にあがる事は止めた。

 案の定、エーヴァはグイグイと距離を詰めてくる王子たち一行を苦手とし、何かあるとカーラに助けを求めてくる様になった。



 今はまだこれでいい。




 カーラは可愛らしい寝息を立てるエーヴァのおでこに優しいキスをおくる。




「愛してるよ」




 それは、彼が魔法使いだった時には決して口に出来なかった言葉。



「時間はかかっても、僕のところに降りてきてくれたら、それでいい」




 カーラは彼女に愛の言葉を囁くタイミングを慎重に見極めていた。

 だが、溢れ出る感情は、エーヴァの寝顔を間近に耐えきれなくなってしまったらしい。


 彼女の頭の上で囁いてみて初めて、カーラはあまりにも恥ずかしくなり顔を染めると、夢の中にいるエーヴァの体温と自らの熱が交わり合っていくのに気付き、その心地よさを味わいながら、馬車に揺れていた。



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