ファンタジー系3
堀川士朗
第一話
「ファンタジー系3 第一話」
堀川士朗
全て夢。
全て幻。
現(うつつ)の中の夢の割合が非常に高い。そんな夢のような現を誰しも生きている感じがする。ふわふわ。写し世。
西暦千九百二十年。
大正九年。
大日本帝国。
華の都、東京シチヰ。
物語はここから始まる。
小蝿川宇在(こばえかわうざい)。この物語の主人公である。出版社、秋明社の社員。
園鷹取康(えんだかどるやす)。同じく秋明社の社員。小蝿川の同期。
二人が秋明社、社会部のデスクで仕事の合間に話をしている。
「眠いなあ、小蝿川」
「ん」
「まるで夢の世界にいるようだよ」
「僕も時たまあるよ」
「寝るより楽はなかりけり、憂き世の馬鹿は起きて働けだな」
「そうだな」
「小蝿川」
「ん?」
「チポポ菌流行ってるな」
「ああ」
「色街に足を突っ込まなきゃ大丈夫だとは思うが、あれにだけは罹りたくないものだ」
「そうだな。今日は何を食べようかな」
「あまり贅沢なものは食えんよ、俺たちの安サラリヰじゃ。金持ちは良いよな」
「園鷹。今回も怪盗奇妙紳士は貧民窟の人たちに惜しみ無く大金持ちから盗んだお宝を分け与えたそうだよ」
「ああ、知っている。貧民窟の連中はタッフネスだからな。お宝を貰ったらすぐにでも闇市でカネに換えちまうだろう」
「痛快だな」
「昨夜もベルベットのスウツで現れたそうだな、怪盗奇妙紳士。でも、帝都には二千六百万台もの監視キャメラが設置されていて、その情報は警察の所有する巨大電子頭脳『百景』に全て繋がっているから捕まるのも時間の問題だろう」
「……そうだな」
仕事を終えて帰宅途中の小蝿川。
そう云えば東京には妖精が少なくなったものだ。
昔はどの家でも一匹くらいは飼っていたものだけどな。
ホヰップ族のかわいらしい奴でも飼いたいなと小蝿川は思った。
まだ夜も蒸し暑い。
子供の頃は、大人は夜遅くまで起きていられて良いなと思ったが、よくよく考えてみると、大人になったら夜遅くまで起きて働いていなければいけないのだと帰りの電車で揺られながら考える小蝿川宇在は市井(しせい)のひとである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
小蝿川宇在は急遽、文芸部の依頼を受けて作家、獅子村兼権(ししむらかねごん)の原稿を拝受する事になってしまった。
人手が足りないらしい。
亞茶亞(アチャア)と小蝿川は思った。
獅子村の悪い噂は単なる業界内のデヱマゴウグスかと思ったが、小蝿川は後に嫌と云うほど思い知らされ後悔の念に立たされる事となる。
小蝿川は獅子村宅にアポヲヰントメント電話を掛けた。電話交換手の女は横柄だった。国営は仕方あるまい。
数十秒後、獅子村が出た。
「もしもし。私、秋明社の小蝿川と云う者です」
「秋明社だろッ。明日取りに来いよ馬鹿!」
獅子村兼権と云う作家。
帝神大学出身。六十五歳。
性格破綻者だ。
秋明社の雑誌『月刊秋明』に「ほかほかダムドねえちゃん」を連載している。
作中登場人物のレヰゾヲンデヰトヲルが破綻を見せ始め、執筆に苦悩していた。兎に角、ダムドねえちゃんのキャラクタアが動いて呉れなかった。
大スラァンプである。
獅子村は日々の執筆に心も身体も疲れ果てていた。
朝まだき。
漸く朝が明け白んで来た。
新聞配達夫の働く音がする。
獅子村兼権がオットマンチヱアアに投げ出している足は痺れている。
寝台特急コキュートス号に乗って、ネルネ共和国温泉郷タマノヰの温泉宿にでも泊まりたい気分だった。
良いなア。
タマノヰ。
旅を枕に。
わしだけの。
風情溢れる宿。
湯水の如く湯水に浸かる。
そして芸者遊び。
別天地。
憧れる。
しかしネルネ共和国は物価が非常に高い。
一流温泉で芸者付きだとしたら一泊四十五万リュウトする。
日本円で四千円もする。
大金だ。
ひと財産だ。
大手新聞社や雑誌社との太い年間連載があと五本は必要だ。それをやったら温泉に浸かる前に疲弊とストレスで確実に死ぬ。
本末転倒であり、下手の考え休むに似たりである。
万年筆の手がさっきっから止まったままである。
ワアド・プロセッサを触る気にもなれない。
何だかあそこがムズムズとするわい。
その日の夕方。
獅子村兼権の屋敷。
書斎のソファの隅の方に座って待つ小蝿川。
板の間の梁はヤニで色付けられ丈夫になっている。
長い、間。
この書斎はラムプシヱヰドなど調度品は良く高級感に溢れているが、獅子村ひとりの存在感のため大変圧迫感を感じさせる。
頑として原稿を渡さず、書く作業も一向にしない獅子村。
やがて口を開いた。
「正座しろ」
「あ、え、はい」
「今から思いっきり顔面を数発ぶん殴るけど、良いか?」
「え。いや、あの」
「ジョウクさ。タヰーホされたくはない」
「ああ。あはは……」
「兎に角なあ、あンたのとこの出版社は業界三番手だろ。つまり三流だ。おのずと執筆は後手に回る。わしは他にも連載を抱えておるのでな。今は帝都社の『常冬の惑星』の集中連載につきっきりなんだ」
「しかし締め切りも過ぎ、入稿が迫っているのです」
獅子村はさっきっから間断なく煙草を喫していた。
立派なヘビヰスモウカアだ。
灰皿が山になっている。
獅子村は今、要塞都市『新濃』に関するルポをまとめあげていて小説にするつもりであり、この部屋にはその原稿もあったが小蝿川はそれを知らない。
「執筆はそんな簡単な作業じゃない!わしは天才なんだ。かけがえのない才を持つ天才なんだ。原稿用紙におのが命を注ぎ込んでいるんだ!その神聖なる行為を舐めてもらっちゃ堪らン!」
「あ、あ」
「首をはねてやろうか、貧乏人。この○ズ拾い!うす馬鹿下郎がッ!」
「へ?」
「あンなあ。お前の生涯収入、いくらだよ?多分わしの二週間分くらいだけど?」
「う」
「泣きそうなツラしやがって。愚民が!豚骨醤油!とりあえずこの二枚だけ持ってけ!昨夜上げた奴だッ!そらッ拾え馬鹿!」
獅子村は憤懣(ふんまん)やる形無しと云った面持ちで小蝿川に原稿用紙二枚だけを乱暴に投げてよこした。
小蝿川は空中でそれを受け取り礼を言ってすぐさま鞄にしまった。
「あ、ありがとうございます」
帰路。
また秋明社に向かう。
とぼとぼと歩く。
疲れた。
ほとほと。
……世の中には一人や二人ぐらい余人から嫌われまくるトリックスタアがいた方が良い。が、これはこれだ。
小蝿川は腹の底から鈍色に似た怒りを覚えた。
うちじゃなくてカストリ雑誌の発禁本のファッキン本にでも自意識過剰な自慰小説を書いてろ!とさえ心に念じた。
慢心驕り昂りが今の獅子村兼権を造り上げているのだろう。
獅子村は死んで呉れたら良いのにな。そうしたらもう金輪際怒らなくて済む。
落ちた犬を叩き、ついでに屁をひる行為を平気でやっていく男だ。あの老人の倫理観の底には、穴でも開いているのだろうか。
人生は、不条理でいっぱいの海を泳いでいくようなものだ。
その覚悟があるかと云ったら、小蝿川は自信がなかったが、さりとて明日死ぬるこの身でもあるまいに。
帰り道、小蝿川は『セリフ宝くじ』を買っていった。
キャラクタアの女の子のタマミちゃんが何かを言っている「○○○○○」の中の字を全て当てると云うもので、ピタリ賞は五百円。一口十銭。十枚買った。
コンビニヱンスストアの道村で売っている。
「○○○○○」の正解は「こんにちは」のような至極単純な時もあれば、「烏賊(いか)ホテル」のような当てるのが難しい言葉もあり、複雑で飽きさせない宝くじだ。
ここのところ小豆相場と揶揄される株価が軒並み上がっている。
しかし株式なんてものは所詮ゲヱムに過ぎないと小蝿川は諦念してそう思っている。
いざ有事となれば株券は紙屑に変貌するのだ。
それよりかは、かような宝くじの方がまだ夢がある。
今日も、このちっぽけでしょっぱい世の中の夕暮れだけは綺麗だ。
黄昏ももうすぐ暗くなる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
仕事も終わって小蝿川は浅草に立ち寄った。
時間も遅く、路地裏では酔漢の若者どもが大声で歌を唄い騒いでいた。
パヰのパヰのパヰの歌だ。
ラメちゃんがどうとやらの泡沫の流行り歌。
至極軽薄だ。
だが、それで良い。
良いんだよ。
若い奴らは元気にはしゃげば良い。
どうせこんなけったいでちっぽけでしょっぱい世の中なのだから。
浅草のカフヱー『桃色倚譚(ももいろきたん)』で一杯だけやっていく事にした。
薄暗い明かりの店内。
電氣ブランを注文してチビチビあたりめを摘まみながら飲んでいた。
最近この店に入ったと云う若い綺麗な女給が相手してくれた。
初めての女だ。
セヰラア服の上に重ねている割烹着姿が少しそそった。
雑誌社の記者だと言うと女は目を輝かせてあれこれ聞いてきた。
社外秘に関わる事は一切喋らないつもりだった。小蝿川はそこまでフラァンクな馬鹿じゃない。
女は九州にある要塞都市『新濃』に関して話を聞きたがっていた。
ああ、あの噂の二百八十センチ砲がある街か。確か馬鹿でかい大砲が街の中心部に存在する軍事都市だよな。
詳しくは小蝿川も知らないから答えられなかった。
『またいらして』
と女は言ったが、小蝿川の安サラリヰではそう頻繁には通えないだろう。
なんか、彼女からは危ない匂いがした。
女は名刺を渡した。
『馬喰(ばくろ)マチ子』と記されてあった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
数日後、獅子村兼権の屋敷に盗みが入った。
獅子村と使用人は寝ていて気づかず、呉須手の焼き物数点と銀の仏像と金貨四十枚が盗まれた。
怪盗奇妙紳士の仕業だった。
ツヅク
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