凍てついた呼び声

登美川ステファニイ

凍てついた呼び声

 俺はヨールム星系周辺の彗星などから氷塊を採取する採氷業者だ。ホータム採氷会社。ホータムと言うのは俺の名前で、爺さんが起業して、親父、そして俺と引き継いでいる。氷は水として宇宙船での需要があるので、比較的安定した職業だった。

 社員は他に三人いるが、この船を動かしているのは俺一人だ。零細企業もいい所で、人手は欲しいが金はない。だから社長の俺が自ら現場に出るしかない。

 今日は小惑星帯に氷を取りに来た。前の採氷エリアはあらかた取り尽くして、この小惑星帯に来るのは今日が初めてだった。

 調査コンサルタントの評価では、小惑星帯全体では約四十億トンの氷があるとのことだった。採取が不可能な破片の様なものも含めての事だから、実際は四分の一程度だろう。それでも十億トンあるから、当面は氷に困らなそうだった。

 俺はしばらく小惑星帯の間を流し、中々よさそうな氷を見つけた。ざっと十二万トンの大きさだ。もっとでかいのもありそうだったが、今日はひとまずこれを採氷するとしよう。

 そう決めて、牽引用のアンカーを打ち込んで曳航していく。成分にも異常はなく、簡易な浄水処理だけで飲用に使える上質なものだった。

 その氷の一部は砕いて、この船のタンクにも入れておく。水の残量が少なかったがこれで一安心だ。俺は早速コーヒーを淹れる。

 船後部のクレーン操作室での作業を終えて、コクピットに戻ろうとした所で異常に気づいた。照明が……点滅している。蛍光灯なら明滅はあり得るが、ここは全部LEDだ。玉切れで明滅するという事はない。となると電気系統の異常だろうか。しかしすぐ普通になったので、俺はそのままコクピットに戻った。

 氷を買取してくれるステーションまでは自動運転でいい。時間を確認すると真夜中で、どおりで眠いはずだった。気の利いた船は時間によって照度を調整して朝と夜を作るが、この船にそんな機能はなかった。

 俺は航路をセットし、自動運転を起動。ほっと一息ついて少し温くなったコーヒーを飲む。香りも味もいつも通り。悪くない氷のようだ。

「電気……老朽化かな? こいつも年寄りだからな……」

 この船は爺さんの代から使っていて、そろそろ六十年を超える。エンジンは百年もつが、それもメンテナンスが前提だ。フレームや外殻は別だが、内装などは基本的に消耗品のようなものだ。一度大規模な修繕や交換を行ないたかったが、金がない、時間がないでいつも後回しだ。目立った問題がなかったことも理由だが、いよいよ修繕が必要になってきたのかも知れない。

 俺は船内カメラでクレーン操作室を出す。電気は普通についていた。画面を十六分割して船内カメラの一覧をスクロールさせる。異常はない。一時的、そして局所的なものか。そう安心したかったが、嫌なものを見つけた。

 廊下で照明が明滅している。さっきクレーン操作室で見たものと同じ現象のようだった。LEDも寿命を迎えれば点かなくなるが、明滅はない。あるとすればそれは電流の強度が変化しているという事だ。

「コンピューター。四番通路の七ブロックの電気設備状況を出せ」

 画面に当該箇所の電気系の数値が表示される。見たところ異常はない。しかし……明滅している。しかもそれが……移動している。隣のブロックに移った。そしてまた隣へ……。なんだこれは?

 異常が移動している? まさか……ネズミのような小動物が入り込んだのだろうか。あり得なくはない。くそ。だとすると防疫の為に船内消毒が必要になる。

 苛つきながら電気系を確認しているが、明滅はさらに移動していく。そしてハッチを抜けて上に上がり……船の前方、どうやらコクピットに向かっている。

「何なんだ? 何が起きている?」

 得体の知れない現象だった。俺はコンソールを睨みながら考えるが、思い当たることはなかった。小動物ということもない。壁のパネルの中を走り回っていることはあっても、そこからハッチを抜けることはできないからだ。剛性を高くするために内部に隙間など無いからだ。ハッチを抜けるなら、人と同じように、廊下を移動していくしかない。しかしネズミが走っていれば分かるから、それもない。

 そして奇妙な現象はいよいよコクピットに近づいてくる。廊下を抜け、そして到達した。

 照明が明滅する……異常な現象がここでも起きた。しかし電気系統の数値に異常は見られない。

 アスティリア……。

 コンソールの数値を見ていると、声が聞こえた気がした。俺はコンソールの画面から顔を上げる。

 アスティリア……。

 まただ。俺はゆっくりと振り返る……しかし何もない。

 また照明が明滅する。そしてその闇の中に見た。一瞬だけ、男の姿があった。

 俺は咄嗟に後ろに下がろうとして、椅子から転げ落ちた。照明がつく。明滅は止まり……そこには誰もいない。部屋の中を見回すが、当然誰もいない。しかし俺は確かに男の姿を見たのだ。

「コンピューター、船内を走査! 俺以外の人間がいるか?!」

 二十秒ほどしてコンピューターが回答する。

「船長以外の人間は乗船しておりません」

 見間違いだったのか? 俺は額に浮かんだ脂汗を手の甲で拭った。


 俺はもう一度氷の成分を分析した。さっきやった分析は簡易分析で、約四百種類の有毒物質などを検知できる。だが今度はより高度な分析で三千種類を検知できる。分析用の薬品代が高価になるし、一般的な氷では過大な試験になるのでやらないが、ひょっとすると何らかの幻覚物質が含まれていたのかもしれない。

 分析の結果、薬物の類は出なかった。しかし微量だが、宇宙の氷にしては多すぎるタンパク質が含まれていた。微生物? 生物が存在していたという事か?

「コンピューター、氷をカメラでスキャンしろ。中に何か混ざってるか確認したい」

 船外にドローンが放出され、氷を様々な方向からスキャンして三次元的に確認していく。それが3Dモデルで表示されるが、どうやら内部に瓦礫が入っている。人工的な建造物のようだった。

「建物の残骸か……? 何故こんなところに……? コンピューター、この宙域の情報を表示しろ。何が存在していた?」

 コンソールに調査コンサルの資料が表示される。それによると、五百年ほど前にはいくつか惑星があったらしい。しかし侵略されて惑星ごと滅んだとある。その残骸はほとんどが宇宙に分散していったが、その一部がこうして小惑星として残っているという事だった。

 氷に関する資料しか見てなかったが、まさか居住可能な惑星があったとは。しかも侵略で滅んだとは……。この建造物はその滅んだ星のもののようだった。

「タンパク質……一体何なんだ?」

 カメラのスキャンデータがモデルを完成させていく。まだ途中だったが、コンピューターが内部を拡大して表示した。

 そこには……人の姿があった。氷漬けだ。閉じ込められたまま干からびて……死蝋の様になっているようだった。うつろな瞳はまだ見開かれたままで、虚空を見つめていた。

 俺は口の中にあるコーヒーの味を思い出して、吐きそうになった。冗談じゃない。さっき砕いて水にした氷に、人間の死体が含まれていただと?!

 さっき飲んだのは、直接死体に触れたものではないだろう。しかしこの水と男が宇宙に放り出された時点では、あの男がプカプカ浮いていたというわけだ。気持ちが悪い。とんでもないものを飲んでしまった。幻覚剤の方がまだよかった。

「くそ……こんな氷……」

 俺は少し迷ったが、クレーンのアンカーを取り外して氷を宇宙に放棄した。もしステーションが買い取れば、中に何が混ざっていても気にせず浄化して飲み水にすることだろう。人間の死体だろうと何だろうと化学的には綺麗にできる。しかし、こんな氷をこれ以上牽引していく気にはならなかった。

 氷が慣性で宇宙を進んでいく。あの男は氷に包まれたまま、かつての惑星からも遠く離れて宇宙を放浪するのだ。

 アスティリア……そう聞こえた。それはあの男の恋人か、妻だろうか。娘かも知れない。幽霊など信じないが、それでもさっき見た男の姿は、本物としか思えなかった。あの男は暗い宇宙の中で、思い人の名を呼び続けるのだろうか。

 俺は貯水タンクに入れた水も放棄し、内部を洗浄した。そして予備タンクから水を引いて使うことにした。これは購入した浄水だから心配はない。

 いい氷場を見つけたと思ったが、あんな風に妙なものが混ざっているのでは駄目だ。また別の場所を探すしかない。

 俺はもう一度コーヒーを淹れる。いつもの香りと味だった。一安心して大きく息をつく。

 照明が明滅した。まただった。そして、完全に消えた。

 真っ暗になったコクピットで何かが聞こえる。

 アスティリア……。

 男の声が、聞こえた気がした。

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