2 アルバイト開始

 幸佑の部屋に行くのは火曜と金曜に決まった。火曜は掃除と洗濯で金曜は洗濯がメイン、両日とも一応飯を作る予定にしている。作るといっても米と味噌汁にせいぜい一品つけるくらいで、それも母さんの手伝いをしながら覚えたものだから焼いたり混ぜたりがいいところだ。


(それでも外食よりはいいだろ)


 おばさんの言葉を思い出し、そんなことを考えた。母さんは昔からよくお裾分けだと言って、おかずやなんかを隣に持って行った。幸佑を迎えに行くついでに持って行くこともあれば、オレが持って行くこともあった。

 寝起きなのか、化粧っ気のない姿で受け取るおばさんはいつもうれしそうな顔をした。「手料理って、それだけでおいしいのよね」という言葉はいまだに忘れられずにいる。


(いつも母さんの料理食べてるオレにはよくわからないけど……)


 でも、一人暮らしをしているやつらが「実家のご飯ってなんかうまいんだよな」と言うから、やっぱり手料理には何かあるんだろう。そう思い、いつも外食か買ってくるばかりの幸佑にもと、稚拙ながら手料理みたいなものを振る舞おうと考えている。


(調理器具もなんとなく揃ったしな)


 菜箸や細かい調理器具は百円ショップで揃えた。バイトが終わったら使われなくなるものに金をかけるのはもったいない。幸佑が料理をするとは思えないから、それで十分だ。

 持ち込んだ調理器具を洗い、そのまま部屋の掃除をする。二度目の今日は様子がわからないからと気合いを入れて朝から来たのはいいが、物が少ないからかすぐに終わってしまった。むしろ洗濯のほうが足りないものが多くて、最初に洗濯機周りを確認しておくんだったと反省したところだ。


(高そうな洗濯機があるから、てっきり洗剤やらはあるもんだと思い込んでた)


 ところがどこを探しても洗剤や柔軟剤がない。これまでどうやって洗濯していたのか尋ねると、「下着もシーツも全部クリーニングの人に取りに来てもらってるから」と返ってきた。乾燥もできるんだし下着くらい自分で洗えよと思ったが、それよりも「洗濯が面倒そうなやつは捨ててたし」と続いた言葉に目眩がした。きっと一回着ただけで捨てられた服が何着もあるに違いない。

 昨日、クリーニングに出したばかりだというランドリールームは小綺麗なもので、とりあえず洗濯物を入れるカゴを用意することにした。


(つーかランドリールームってなんだ? セレブか?)


 ……そうだった、こいつはセレブニートだった。もう何も考えまいと一端目を閉じ、幸佑に話しかける。


「脱いだものはこのカゴに入れとけ。仕分けも何もしなくていいから」

「仕分けって何?」

「……とにかく、ここに入れろ」

「わかった」

「とりあえず洗剤とか買いに行くか」

「ポチッちゃえばいいんじゃない?」

「ポチる?」

「うん」


 そう言って幸佑がスマホの画面を見せてきた。いつも使っているという通販サイトを開いてしばらく見ていたが、「どれがいいかわかんないや」と振り返る。


「いつもネットで買い物してんのか?」

「ゲームとか服とかすぐ届くから便利だよ? あと外に出るのが面倒なときはご飯も頼むけど。クリーニングだってポチッてしたら来てくれるし」

「健康な若者なら少しは外に出ろ。歩け、動け」

「えぇー、面倒くさい」

「やかましいわ」


 ウダウダ言う幸佑を無視してスマホを受け取り、衣類用洗剤をポチッとする。ほかにも床拭きシートやフワフワした埃取り、ほかにも母さんがよく使っているものをまとめてカートに入れた。「これ何に使うの?」と訊いてくる言葉にいちいち返事をしながら、合計金額をスマホにメモする。


「あとで払うわ」

「別にいいよ。大した金額じゃないし」

「こういう分もって、おばさんから余分にバイト代もらってんだよ」

「別にいいのに。どうせ俺が払っても出どころは同じだよ?」

「気持ちの問題だ」

「そんなもん?」

「そんなもん」


「ふーん」と言いながら幸佑が別のページを開いた。そこはドラッグストアのサイトのようで、お勧めのサプリメントや熱中症対策用品なんてものがずらりと並んでいる。なんとなく何を買うのか見ていたら、迷うことなくスキンの画像をクリックしやがった。しかもまとめ買いときたもんだ。


「そんなもんまで通販かよ……」

「え、だって便利だもん。それにないと困るし」


「これ、薄くて超いいよ? コウちゃんもいる?」なんて聞いてくる幼馴染みの綺麗な額を、ピンと指で弾いて黙らせた。


「痛いよコウちゃん」

「うるせぇ。そういうもんを平然と勧めるな」

「えー。だって健全な男子には必需品でしょ? ……もしかしてコウちゃん、」

「うるさい黙れ何も言うな」

「え? ほんとに? ちょっと待って、コウちゃんって童貞さん?」

「ズバッと言うな、傷つくだろうが!」

「え? ほんと? だってもう二十歳ハタチ超えてるよね?」

「やかましいわ」


 本気で驚いているっぽい幸佑の額に、さっきより強力なデコピンをかましてやった。


(これだからモテモテのイケメンは……)


 なんでも自分を基準に考えやがってと心の中で毒づく。


(別に好きで童貞なんじゃねぇっつーの)


 自分で言うのもなんだが、性格はそんなに悪くないと思っている。ところが平凡な顔立ちにメガネというのは女子受けがよくないらしく、これまで女の子と付き合うところまでいったことがない。


(いや、顔じゃない。きっとこの身長のせいだ)


 父さんは結構な身長があるのに、なぜかオレの体はその遺伝子を見事に無視していた。一六〇センチちょっとしかない身長は女子にとってスルーされる高さらしく、仲良くなっても恋愛対象として見られたことがない。逆に野郎たちにとってはからかいネタにピッタリなようで、大学に入ってからも頭を撫でられたり背後からのし掛かられたりする有り様だ。

 いまだって幸佑が座っているからデコピンできたようなものの、立っていたら額を的確に狙うのは難しかっただろう。昔はオレより小さくてかわいかったのにと恨めしく思いながら、「そういや身長は中一のときに抜かれたっけ」なんてことまで思い出してしまった。


(体だけは立派になりやがって、この健康優良児め)


 そんなことを思いながら自分のスマホに買い物リストを入力していく。


「ねぇ、夜ご飯はどうするの? ついでにネットで頼む?」

「それじゃオレが来た意味ないだろ」


 昼飯は家から持って来たそうめんで簡単に済ませた。夜はせめて味噌汁とおかず一品くらいは作りたい。


「何にすっかな……」


 とりあえず今夜の分だけ買うことにしよう。ネットでかさばる日用品を買ったから食材だけなら楽だ。そう思いながら「混む前にスーパーに行くか」と答えると、なぜか幸佑が目を見開いた。


「え? 買いに行くの? 面倒じゃない?」

「歩いて五分のところにスーパーがあるのに面倒とか言うなよな。オレんちだと自転車かっ飛ばしても十分だぞ? それを週二回は通ってんだぞ?」

「ふーん。あっちに住んでたときも買い物なんて行ったことなかったから、知らなかった」


 なるほど、おばさんもネットでポチッと派か。そういえば中学までは一緒に飯を食っていたけど、その後は幸佑がどんな食生活を送っていたのか知らない。たぶん、いまとそう変わらない状態だったに違いない。


(それでお裾分けか)


 幸佑が高校生になっても母さんは「心配だから」と言ってお裾分けを続けた。いまでもたまに持って行っている。そういえば今回のバイトの話をしていたとき、おばさんが「お母さんの手料理、懐かしくて優しい味がするのよ」なんて言っていたのを思い出した。毎日食べているオレには実感がわかないが、そう言われると誇らしい気持ちになる。

 そんなオレは、料理のお礼にとおばさんがくれる高そうなお菓子が楽しみで仕方なかった。昔、母さんと一緒に「こっちはしっとり系クッキーだ」とか「高級カカオだって」とか言いながら食べていたのが懐かしい。


「とにかく食材は買いに行く。せっかく菜箸とか持ってきたし、ピッカピカの鍋とかもあるんだ。それに外食ばっかじゃ飽きるだろ」

「そう?」

「少なくともオレは飽きる」

「コウちゃんがそう言うなら任せる」

「あ、先に言っとくけど、オレが作るのは簡単なヤツだけだからな。母さんの手伝いで覚えたもんくらいしか作れねぇぞ」

「うん、わかった」


 高校までは台所なんてほとんど入ったことなかったが、大学生になってからは料理の手伝いをするように言われることが増えた。最初は面倒くさいなと思っていたものの、中学の頃から買い物担当だったおかげか、買ってきた材料がどんな料理になるのか見るのは案外楽しい。いまでは献立のことを考えながら食材を見るようにもなった。


(そもそも、母さんに買い物を任せると危なっかしいんだよな)


 ポヤポヤで小柄な母さんは、よく買い忘れをするわ重い物をフラフラしながら持つわで見ていられなかった。そういうこともあって高校に入る前から買い物担当はオレになった。幸佑の部屋の掃除をする練習だと思い、最近は自分の部屋の掃除も始めたところだ。


(もしかして母さん、オレが一人暮らしをしても大丈夫なようにって考えてくれてるのかもな)


 だからこの話を持って来てくれたのかもしれない。いまは電車で通える距離だから実家暮らしをしているが、社会人になったら距離とか関係なく一人暮らしをしたいと思っている。そういう話もチラッとしたことがあった。高校卒業してすぐに一人暮らしを始めた幸佑に触発された部分もあるし、周りにいる一人暮らしの奴らを見て憧れたというのもある。

 そんなオレにとって、今回の幸佑の世話係はいい予行練習みたいなものだ。それで破格のバイト代が出るんだから不満や文句なんてあるはずがない。できるだけのことをやって、今後の自分の一人暮らしに活かしたいなんて下心もある。


「買い物行ってくるけど、何かほしいもんとかあるか?」

「ん~、じゃあ炭酸水」

「炭酸水?」

「これを二本」


 パソコンの画面に映し出されているのは緑色のボトルだった。


「これがなかったら……これか、こっちでもいい」


 どっちも買ったことがない。きっとお高い炭酸水なんだろう。炭酸水一つでもオレとは違うなと思いながら、マイバッグ代わりのリュックを背負って玄関を出た。

 こうしてアルバイト一回目の買い物を済ませたオレは、これまた一回目の夕飯を何とか作り上げることができた。


「おいしい」

「そりゃどうも。つっても、野菜切って惣菜の素で炒めただけだけどな」

「ご飯も味噌汁もおいしいよ?」

「高い炊飯器が活躍したのと、母さんに持たされた出汁のおかげだ」

「そっかぁ、ダシかぁ」


 まったく使われた形跡のない高そうな炊飯器で炊いた白米は、たしかに家で食べるのより美味しく感じる。


(米の違いも大きそうだけど)


 米は通販で買っておいたと幸佑が鼻高々に言うので見てみたら、有名どころの高級コシヒカリだった。「それしか名前わかんなかった」とは幸佑の言葉だが、名前を知っていただけえらいと褒めてやるべきだっただろうか。

 味噌汁の出汁は、母さんが冷蔵庫にストックしている干し椎茸の出汁にいりこ出汁をブレンドしたものだ。味噌は、母さんに口すっぱく言われている塩分控えめの小さいサイズをスーパーで買ってきた。高血圧気味な父さんの体を思っての種類だろうが、幸佑の体にもよさそうだと思って選んだ。これまで外食まみれの食生活なら塩分多めだっただろうし、若くてもいまから気をつけるに越したことはない。

 あとはナスが安かったから、豚肉と合わせて惣菜の素でサッと炒めた。オレがずっと通うわけでもないから、下手に調味料を買い揃えるよりはマシだと判断した結果だ。ついでに豆苗も入れてみたけど悪くない。根っこからまた生えるから、あとで日当たりのよさそうなベランダの窓際に置いておこう。豆苗は主婦の味方ということで母さんもよく使うし、二度回収するまで育てるのがポイントだ。


「うん、おいしい」

「そりゃよかった」


 うんと頷きながら食べる幸佑を見て、ふと一人きりの食事が多いのかもしれないと思った。

 たまにはセフレと食べることもあるだろうが、学生じゃない幸佑に一緒に飯を食べる友人がいるとは思えない。高校のとき、モテまくる幸佑は学年どころか学校でも浮いた存在だった。おそらくあのときから友達は多くなかったはずだ。そんな幸佑に、卒業しても一緒に食事をするような友人はいるんだろうか。


(いるようには見えねぇな)


 たくさんいるセフレだって、いつも会っているわけじゃないだろう。


「……飯だけでも、もう少し作りに来るか?」

「え?」

「いや、外食ばっかじゃ、やっぱ駄目だろ。夏休みの間ならオレも時間あるし、火曜と金曜以外も来れるぞ?」

「勉強は?」

「課題はあるけど大した量じゃない。それにサークルにも入ってねぇし、オレのほうは大丈夫」

「そっかぁ……うん、コウちゃんのご飯おいしいからなぁ」


 そんなことを言いながらモグモグと食べ進めている。その姿を見たら胸がグッとなった。手料理もどきを褒められたことより、一人での飯はやはり寂しいんじゃないかと思ったからだ。


「じゃあ決まりだな。そうだな……月水金はどうだ?」

「俺のほうは何もないから、いつでもいいよ」

「じゃあ月水金の午後で。掃除と洗濯は、その都度見てから考える」

「わかった」


 モグモグと食べる幸佑を見ながら、もう一つ言っておかなければいけないと思い口を開く。


「あー、あとな、その、人を呼ぶ日は遠慮するから、メッセージ送ってこいよな」

「人を呼ぶ日? ……あぁ、セフレに会う日ってこと?」

「さすがにそういうシーンに出くわしたいとは思わねぇから」

「うん、わかった」


 こうしてオレのバイトは、当初よりも少しだけ回数が増えることになった。

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